人に不平等を見せ続けると(政権が)死ぬ

It's the economy, stupid!!


人は不平等を目撃すると暴力事件を起こしやすくなる、しかも富裕層サイドの方がその傾向が強い - GIGAZINE
これは面白いお話。

このことからデセル教授は、不平等が可視化されると人は自身が「持つもの」か「持たざるもの」かに関わらず暴力事件を起こしやすくなると指摘。さらに、「富裕層は怒りを表出しやすくなり、一方で貧困層は自制心を失いがちだという先行研究を支持する結果になりました」と分析しています。

人は不平等を目撃すると暴力事件を起こしやすくなる、しかも富裕層サイドの方がその傾向が強い - GIGAZINE

金持ちの側でもより怒りが爆発しやすくなるというのは新しい知見かなあ。
いやそれも「増長し横暴になる」というとやっぱりこちらも誰もが知ってた案件か。


かくして不平等は両者の軋轢を高める。
まぁ基本的には「人を鉄アレイで殴り続けると死ぬ」位にはみんな薄々知っていたお話ではありますよね。それを裏付ける研究に意味がないわけではもちろんありませんが。
貧富格差が拡大し過ぎると社会不安が進み、それが最後に行き着くのは革命である。。
――すーぐそれを忘れてしまうのが私たち人間の歴史、というかバカな為政者たちの歴史でもあるわけですけど。



この人類普遍の教訓が直近にものすごくよく出たのがあの『アラブの春』でもあったわけで。
チュニジアにしろエジプトにしろ、地中海や紅海沿岸辺りは国外富裕層たちのビーチリゾートのメッカでもあるんですよね。そして、だからこそ、大多数が抑圧される独裁政権下においてはその貧富格差という光と影は一層際立つことになる。政権の腐敗によってそれが導かれているとなれば尚更。
(多くが欧州やってくる)金持ちたちが沿岸部のリゾートを謳歌する同じ国で、生活の為に青果売りをやっている若者が自殺を考えるほど官憲からいびられる地獄絵図。
いやあ『国境の差』ってすばらいいよね。そりゃ革命もおきちゃうわ。
後知恵でアレコレ言うのは簡単だけれども、そもそも未来についての予測は政治・人口動態・経済・社会動向に左右されるので簡単ではない。しかし決定的に重要な変数が「不平等格差」であることも間違いない。
そして彼らのアラブの独裁政権の多くは、まさに独裁政権という名前らしくそれに失敗していた。


こうした経済状況を背景にした革命前夜な光景は今でも世界のあちらこちらで進行中であります。ベネズエラでも南アフリカでも、そして我らが民主主義先進国仲間であるはずのフランスでも。
逆説的に、こうした構図を逆手に取り敢えて特権層の一部をいびってみせることが現代政治において支持獲得のさえたやり方の一つであるということも言えるんですよね。
お金持ちリベラルを嗤うポピュリズム的トランプ手法はやっぱり正しかったんだなって。


本邦でも池袋の暴走事故で「上級国民だから逮捕されない!!」という愉快な言説が未だにあったりしますけども――個人的には弁護士の皆様が解説しているようにありえないとは思っています――まぁそこにある背景と文脈とはこういう社会の空気なのだと思います。
だからちょっとアレなことを言うのもしかたないよね。だってぼくたちは不平等を見せられて感情的になってるんだもん!
フランスに見習え論な人たちも納得の、グローバルスタンダードにそった不平等ある日本社会になってきてよろしいんじゃないでしょうか。
逆説的に本当に安倍さんが政権維持に汲々とする権力者であるならば、むしろそうした『上級国民』をイジメた方が政権維持により繋がると考えてもおかしくないよね。
もしふたたび自民政権が再び倒れることになるとすれば、やっぱりこういう空気こそがそれをやるんじゃないかなあ。


ちなみに、この「不平等による人民の怒り」対策でも、文字通り最前線を行くのが中国であります。
世界第二位までたどり着いた急激な経済成長の代償として必然的に生まれた世界でもトップクラスの格差による社会不安に彼らはどう対応していくのか。インターネット規制と同様に、それらが上手くいくのならば誰もがその中国的手法に右へ倣えすることになる。警察国家、個人信頼度調査、表現規制、マスコミ規制、SNS規制、etcetc……。
少なくともこれまでは、そして今後しばらくも私たち先進諸国は資本主義がもたらした不平等にあまり上手く対応できそうにない。
平和で安定した社会のゆくえは中国にかかっている。
がんばれ中国。






まぁそれってつまり、不平等が生む社会不安を政治的強権を使ってどれだけ抑え込めるか、というお話でしかないんですけど。
あるいはどれだけそれを上手く隠蔽できるかということでしか。
でもしかたないよね。だって私たちには不平等を無くすことも、あるいは上手く目を逸らすことができなかったんだもん。いやまあまったく無かったわけでもないんですけど。しかしまたそれをやってしまうわけにもいかない。
もしかして 戦争


みなさんはいかがお考えでしょうか?

通常日記

GW満喫(ゲーム*1)してました。これは先週書きかけのまま放置しててちょっと賞味期限ギリギリな手抜き日記。


 

  • 自分たち若者の未来が盗まれた……気候変動対策を訴える16歳 - BBCニュース
    • 「明らかに、あの人は科学に耳を傾けていないし、私たちの言うことも聞いていない。なので、あの人の考えを変えることはできないと思います」と答えた。」
    • とっても正直でいい。ただそれを言ってしまうと「だから私たちオトナも進められないのだ」という現状追認オチになってしまうんじゃ。考えを変えられない人たちが世の中にはいっぱいいるのに。
    • 少なくとも僕も気候変動問題は概ね真実で危険があぶないと思っているけれども、かといってそれを信じていない人たちを説得できるかというとまったく自信はないです。
    • 「まず隗(トランプ)よりはじめよ」これ日記タイトルにどうですかね。

 

 

 

 

 

 

  • 新天皇を迎える韓国 | 木村幹 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
    • 面白いお話。その「無理解」は同時にまた、退位と新元号関連が期せずして(韓国だけでなく世界的にも)結構なニュースとなったのも同じ理由だよねえ。物珍しいガラパゴス文化と言えばその通りなんですけども。かといってローカルなそれを否定しだしたら全世界すべての文化・価値観は一つの旗の下に集うしかなくなってしまうわけで。そうやって文化勝利したいのがリベラルの根幹だと言うと、こちらもその通りかもしれない。

 

  • レイシストはどっちだ? - Togetter
    • 個人的にも『積極的是正措置』はあまりよくない手法だとは思うかなあ。
    • その上で、それは日本の中韓台への配慮と同じだとも。あるいはヨーロッパの旧植民地地域からの移民難民受け入れとも。道徳的マゾヒズムに弱い先進諸国の私たち。仕方ないよね、確かに私たちは『先駆者』として功績があると同じくらい(この比率は諸説ある)罪があるのだから。しかしそれこそ人類の歴史そのものでしょう。

 

*1:今やっているラストイデアのジョブは『氷斧』! ぐるぐるたのしい。

「勝利の為には都合の悪い情報は無視しよう!」という旧日本軍的振る舞い

戦前戦中時代の日本社会への身を張った風刺なのかな?




れいわあけおめ!
「辻元清美氏(立民党副代表)を叩くのは権力への加担。一緒に与党を叩いてもダメ」と香山リカ氏(創より) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
ということで新元号早々にアレな人のネタをやるのもどうかと思うんですが、でもまあ通常運転だからしかたないよね。
頭のおかしげな発言でもよく考えてみれば少しは得るもの(日記ネタ)があるかもしれない。迂闊に深淵を覗いているとか言わない。

この後は原文を抜粋しよう。


具体的にいえば、若いころからメディアで注目され社会的な活動から政界入りした辻元清美氏は「噂の真相」でも繰り返し取り上げられてきたが、いまもし同誌があって辻元氏を話題にしたらどうなるだろう。
圧倒的少数派となっている野党の中で気を吐く辻元氏を叩くことは、権力に加担することにほかならないのである。
 「別のページでは与党政治家も取り上げてますので」といった両論併記のエクスキューズは成り立たない。社会の側に圧倒的アンバランスの構造があるからだ。

「辻元清美氏(立民党副代表)を叩くのは権力への加担。一緒に与党を叩いてもダメ」と香山リカ氏(創より) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

うーん、まぁ、そうねえ。単に身内の『権力争い』という文脈で見るならば、言っていることは適切というか合理的だと思うんですよね。
自分の政治的ポジションに都合のいい話はより大きく、都合の悪い話はより小さく。
舌戦において針小棒大にやるのは基本であります。


あくまで「公」とは関係のない私的な身内でやるならばまったく問題ないでしょう。
まぁこの場合まさにその「公」のど真ん中にそれを要求し、国会議員など日本政治中枢でやろうとしているんですけど。


そうした反権力ポジションへの恣意的な印象操作が、日本社会の為になると彼女は本気で信じているんでしょうけど、gryphon先生が指摘しているように僕もそうは思わないかなあ。
しかし彼女はそうではない。政権打倒の為にはこうした振る舞いが許容されて然るべき、と考えているのでしょう。そうした思想信条というだけならば別によかったのに。
こうした彼女の独善さは――まさに彼らカルト的反政権な人たちがアベ独裁政権をそのように表現するように――「日本社会を私的におもちゃにしている」ことそのものだと思うんですよね。
逆説的にこうして堂々と発言してしまっている辺り、彼女が属しているだろう身内のサークル内ではそうした主流派にとっての「都合の悪いニュース」がどう扱われているのか想像に難くない。
せめてその身内の常識として内にとどめておけばよかったのに。何でよりによってそのトンデモを外に出しちゃったんだ。
語るに落ちてる感。
悪しき独裁者が率いるアベ政権という深淵を覗き過ぎたせいで、彼らそのものになっちゃったのかな?




ここでひたすら愉快な構図なのは、彼女のように反戦リベラルを自称する人が戦前戦中の帝国日本・軍とそっくりな振る舞いをしている所だと思うんですよね。
「(アメリカに国力で決定的に劣っているなんて)都合の悪い話は無視すべきだ!」
かくして日本は現実を見ないまま内輪の論理を優先させた結果として『戦争』へ邁進し、そして劇的に敗北した。
もちろんこれは単純化された政治神話ではありますが、しかし概ね間違ってない歴史でしょう。
――きっとあの頃も、小国である日本が大国であるアメリカにアンバランスに立ち向かっているのに、空気を読まずに都合の悪い言説(現実)を口にする輩は米国への加担でありタイホしろって言われてたんじゃないかな。
だからこそ戦後という時代を生きた私たち日本人たちにとってはこうした失態こそ、過ちを繰り返すべきではないと教えられてきたはずなのにね。その妄信的振る舞いへの反省こそ、戦後日本の平和主義と自由主義への根幹とすら言っていいかもしれない。
あるいは大震災以来勢いづいた反原発派が言う『原発安全神話』への批判だってそういう構造から生まれたはずなのにね。


それなのに「大義実現の為に、都合の悪い話を公にするべきではない」と堂々と言う香山リカさん。
やっぱ身体を張ったギャグにしか見えないよねえ。
平成の終わりに、昭和初めの頃の振る舞いをしてみせるなんてとっても時事ネタだよね。






ともあれ、最初のネタににもどって「権力への加担か否か」は個人的なポジションとしてはダニエル・パトリック・モイニハン先生が言うように、
「人はどんな意見を持ってもいい。しかし事実に根差さない事を言う資格はない」
という辺りかなあ。事実に基づいているのであれば、誰を叩いたっていいと思うよ。基づかないことを言うのは今風にフェイクニュースっていうんですけど。
しかしそうしたフェイクニュースを規制しようとすると、規制をする権力側にとって都合の悪いニュースも容易に消えてしまいかねない。そのバランスは一体どうやればいいのか。フェイクニュースこわい。


令和という時代も、「誰かにとって都合の悪い現実」を堂々と口にできる日本でありますように。
(反権力を称しながらかのように振る舞う香山リカさんを見ながら)……うーん、だめそう。

「AnywheresとSomewheres」という現代民主主義政治の最前線テーマ

「地方民たちよ立て! 不満を怒りに変えて、立てよ! 地方民よ!」



「老人を都会に集めれば良い」「限界集落は廃村にしてコンパクトシティ構想で…」とかいうけど人間を簡単に移動交換出来ると思ったら大間違い - Togetter
うーん、まぁ、そうねえ。

「老人を都会に集めれば良い」
限界集落は廃村にしてコンパクトシティ構想で…」
「人手不足なら外国人を受け入れれば…」
といった話に共通して感じるのが、
「人間を簡単に移動交換出来ると思ったら大間違いだよ(-_-;)」
って事です。
人間には意志や感情という「物」には無い面倒なもんがあるんで

「老人を都会に集めれば良い」「限界集落は廃村にしてコンパクトシティ構想で…」とかいうけど人間を簡単に移動交換出来ると思ったら大間違い - Togetter

これ私たち日本では少子高齢化や地方衰退(東京一極)なあるあるネタに回収されがちではありますけども、実は先進世界共通の現代政治・民主主義政治の最前線のテーマの一つでもあるんですよね。


Amazon.co.jp: The Road to Somewhere: The New Tribes Shaping British Politics (English Edition) 電子書籍: David Goodhart: Kindleストア
それを上手く指摘していたのが、2017年に現代政治潮流について論考したデビッド・グッドハートさんの『The Road to Somewhere(どこかへつながる道)』という著書でありました。

しかし離脱を決定した昨年の国民投票以前にも、社会科学者たちは左や右といった旧来の区別を超えた新しい政治的志向を提案していた。

その一方は、経済発展と社会的自由の強化という「2重のリベラリズム」を広く支持する高学歴の都市居住者。もう一方は、自由化の恩恵をあまり共有しておらず、その影響によって不安定な状況に置かれている人たちである。グッドハート氏は、この2つのグループを「Anywheres」と「Somewheres」と呼んでいる。英国の国民投票によって、後者による前者の拒絶が示された。

コラム:離脱後の英国二分する「不完全な羅針盤」 - ロイター
  • 「people from somewhere」(自分は特定の地域・文化に属している一員、と考える人たち)
  • 「people from anywhere」(自分は特定の地域に縛られない自由な(グローバルな)都市市民である、と考える人たち)

現代民主主義社会における私たち社会の内部にはもちろん大小様々な分断がありますけども、トランプ旋風やブリグジットの勝利によって、これ以上ないほど解りやすく示されたのが、上記反グローバル運動としての『分断』ですよね。
グローバル化によって恩恵を受ける人たちと、そうではない人たち。恩恵の有無だけではなく、そこに価値観の断絶が生まれ政治運動へと発展するようになると……。
党派性が私たちの生きる道? - maukitiの日記
そうしたアイデンティティー意識を基にしているからこそ強固な結束・政治的連帯を生み、やがてその強固さは劇的な政治変化を生み出すことになる。





(まるで疑問の余地のない自明の論理のように)「しごとがないなら、よそへいけばいいじゃない」
――かくして少なくない人びとが「ならば〇〇ファーストだ!」と政治のローカル化を怒りさけぶことになる。





ちなみに日本でもこうした政治手法の潮流は生まれつつあって、大坂維新もそういう傾向だし、いやまあ東京ファーストとかで見事に大爆死した人も居たりするんですけど、
玉城デニー氏「オール沖縄はアイデンティティー」 - 沖縄:朝日新聞デジタル
中でもかなり上手くやっているのが「オール沖縄」な玉城デニーさんでしょう。選挙では連戦連勝であります。
そこで「米軍基地が嫌なら引っ越せばいいじゃない」といって説得できるわけがないよね。だって彼ら彼女らはその土地にこそ価値を見出しているんだから。
沖縄という土地にアイデンティティを見出す人たち。


「自分たち沖縄」と「不特定多数の自分たち以外の本土」との分断をうまく政治的利用している。イデオロギーであれば中道として妥協できるそれは、しかしアイデンティティではそれは不可能でしょう。

でも、(翁長雄志知事を支持してきた)オール沖縄は、イデオロギーではなくアイデンティティーだ。ウチナーンチュ(沖縄の人)が歴史や文化や自然、自分たちの暮らしを見つめた時に、一つになれるものを求めて政治を展開していこうと言ったのが翁長知事だった。そのイデオロギーよりアイデンティティーという言葉を大事にできれば、課題は全部解消できると思う。

玉城デニー氏「オール沖縄はアイデンティティー」 - 沖縄:朝日新聞デジタル

somewheresな沖縄を代表しまとめようとする玉城デニーさん。そこでは我々と他者という壁を生み出そうとしている。しかしそうした壁・差異の強調こそ政治的支持として強力でもある。
そもそもそうしたグローバル化による自由に対して、ローカルからの反発して生まれたのが『somewheres』だったんだから。
沖縄の部分をアメリカにしたらトランプさんそのままだよね。



ちなみに面白いのは、こうしたオール沖縄な政治運動には日本ではリベラルな人たちの支持が大きいわけですけども、そもそも上記「people from somewhere」なグッドハートや、あるいは先日の日記で言及した「停滞とカオス」を言ったサンスティーンなどの政治論考の大前提にあるのは、トランプ政権の誕生やブリグジットの投票結果があるわけで。
だからオール沖縄って、ローカルな価値観を前面にトランプ旋風やブリグジットと同じ政治トレンドにあるのだと個人的には思ってます。
自分のアイデンティティをより広く持ち世界市民をイマジンするリベラルに、対抗して生まれたローカルファーストな政治トレンド。そしてその文脈からリベラルな都市住民・メディアからは、反グローバルと結びつくローカルなアイデンティティを優先させる政治手法への懸念と批判が巻き起こっている。

それを本邦では逆転して一般にはリベラルとする人たちが応援しているというのはちょっと愉快な構図だよね。その逆のポジションにはグローバル化と国際主義リベラルを行く安倍さん。いやまあこの辺は国際貢献を巡る構図でも捻じれているあるあるなお話ではありますけど。



古くからあるローカルなアイデンティティ固執する人たちと、グローバルな現代世界ではもうそんなものに価値はないと鼻で笑う都市住民たち。
リベラルや保守という違いではとどまらない現代社会の分断。
やっぱりこのテーマは現代民主主義政治の最前線のテーマだよねえ。


現代政治を分断する「Anywheres」と「Somewheres」について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?

「想像してごらん、人はみんな兄弟なんだって」

つまり、『血の報復』も兄弟である私たちみんなが被害担当するのだ。



スリランカ連続爆発、事前情報を得ながら当局未対応か - BBCニュース
スリランカ国防担当相“テロはニュージーランド銃乱射の報復” | NHKニュース
「神はこの世をイスラム教徒のために創造した」信仰のあり方が激変するスリランカとテロの関係 - FNN.jpプライムオンライン
うーん、ソフトターゲットなテロこわいという気持ちが更に強くなるニュースかなあ。

スリランカの最大都市、コロンボを中心に起きた同時爆破テロ事件について、スリランカ政府は、ニュージーランドで先月、イスラム教の礼拝所が襲撃され、50人が死亡した銃の乱射事件に対する報復だったという見方を示しました。

スリランカのウィジェワルダナ国防担当相は、23日、議会の演説の中で、「今回の事件は、入念に準備された自爆攻撃によるもので、最大限の破壊と犠牲者を出そうとしたものだ」と述べ、改めて事件を非難しました。

スリランカ国防担当相“テロはニュージーランド銃乱射の報復” | NHKニュース

報復云々は後付けで幾らでも言えるし正直言ったもん勝ちな面はありますよね。「社会が悪い」「時代が悪い」にちょっと似ている。
実際問題として準備期間からはそこまで大きくはないでしょうけど、そこに動機の要因のどこまで占めていたかなんて外野からははかりようがないし。そう言われてしまっては私たちはそうなのかと聞くしかない。


だから、ここでグローバルジハードな構図において変わったのは、それを言う側だけでなく聞く私たちの側でもあると思うんですよね。
――すっかり「ありうる(かもしれない)」と認識するようになってしまっている。
『9・11』以来、欧米世界を中心に見られた数々のテロとそこで繰り返されてきた言説によってその土台はかなり固められてしまった。
「信仰する者たちよ、あならがたの身近にいる不信仰者たちに戦いを挑め」
というコーランの言葉が、多かれ少なかれマジだったと思うようになってしまった私たち。

グローバルなジハードという観点からは、シリアやイラクアフガニスタンなどで多くの無辜なイスラム教徒を虐殺している大敵とみなされているキリスト教徒が標的とされるのは、むしろ当然であるとさえ言える。スリランカ政府はこれまでの調査結果から、今回のテロがニュージーランドクライストチャーチで発生したモスク銃撃テロに対する報復であったことが明らかになったと述べている。

「神はこの世をイスラム教徒のために創造した」信仰のあり方が激変するスリランカとテロの関係 - FNN.jpプライムオンライン

身近だから、警戒が薄いから、というソフトターゲットな理由でどこかの白人至上主義のバカのツケを背負う羽目になる人たち。
発表されている「報復」の言葉を信じるのであれば、まさに彼らは国境ではなく同じ「不信仰者だから」という視点でそれを実行している。
彼らは皮肉にもイマジンの理想の一部を体現している。そこには国境の有無など関係なく、目標はみな同類なのだからという理由で。
私たち人類はみな兄弟なのだから、遠く離れたほぼまったく無関係な知らないバカがしでかしたことの復讐のターゲットにされるのもしかたないよね。



いやまあ、同じくレノンが歌った「宗教のない世界」とは真逆ではあるんですけど。しかしそれ故に今回のような宗教を題目にしたテロへのアンチテーゼでもあるかもしれない。

イスラムの)みなさんはジョン・レノンのImagineはお好きではないのですか?

イマジンはいいぞおじさん - maukitiの日記

やっぱ悲惨なテロが頻発する今の時代こそジョン・レノンの『イマジン』かもれしないね! 


でも臆病な僕は「宗教のない世界を」なんて現代ポリコレ基準ではかなりギリギリラインを堂々と歌っちゃうモノに賛否を公に示すのはちょっと躊躇うところかな!
二重の意味で。


みなさんはいかがお考えでしょうか?

通常日記

手抜き日記。

 

 

  • 1942年に日本兵、豪の看護師21人を銃殺する前に何を 真実追求の動き - BBCニュース
    • 多くの研究者が指摘するように『レイプ』は人類普遍の戦争の道具というかもっとも長い歴史をもつ武器(暴力)の一つでもあるからねえ。日本がやっていないというのはありえないし、かといって日本だけがやったというのもありえないわけで。
    • そしてもう一つ、女性でさえこうして圧力を受けたのだから、いわんや男性をや。

 

 

 

 
 

 

 

 

 

現代版贖宥状

貧乏人の救済が「我々に」一体何をしてくれるというのだ。



大聖堂火災、「最初の30分が被害拡大防いだ」 仏大統領は5年以内の再建約束 - BBCニュース
我らのノートルダムが大炎上してしまったそうで。世界遺産常連ではあるのでさすがに僕でも知ってます。文化勝利狙うならまぁ取っとくかな位の認識かな!(civ脳)
まぁそこまでは単なる悲劇として語っていればよかったんですが、そこから再建への流れが愉快な構図になってきているそうで。
コラム:ノートルダムが温めたフランス人の冷たい慈善家精神 - ロイター
ノートルダム高額寄付に怒り=反政府デモ激化も-フランス:時事ドットコム
尚も続く黄巾賊イエローベストな運動が続く現状を考えると、まぁ確かにこれ以上ないほど現代社会について風刺のきいたお話だよねえ。

国家の誇りの象徴を修復することは、道徳的に理にかなっている。フランス国内の争乱が続くなか、ノートルダム寺院の再建を手助けすることは、富裕層にとって社会に何らかの形で還元していることを示す良い機会だろう。

 4月16日、コラムニストのEd Cropley and George Hayhaは、ノートルダム大聖堂再建のために多額の寄付が短時間で集まったことについて、慈善活動への関心が低いフランスでは珍しいと指摘。写真は放水される大聖堂。4月15日にパリで撮影(2019年 ロイター/Philippe Wojazer)
残念なのは、国の記念碑がほぼ全焼しないと彼らの凍った財布を解かすことができなかったことだ。

コラム:ノートルダムが温めたフランス人の冷たい慈善家精神 - ロイター

現代の贖宥状かな? 
石は命よりも重い。希少性を考えればその選択は合理的ではあると言える。


 【パリ時事】大火災に見舞われたフランスのパリ中心部にある観光名所、ノートルダム大聖堂の再建のため、大富豪らから多額の寄付金の申し出が相次いでいることに対し、マクロン大統領の政策に反対し昨年11月からデモを続けている抗議運動参加者らは「不公平だ」と不満を募らせている。

ノートルダム高額寄付に怒り=反政府デモ激化も-フランス:時事ドットコム

(端から見ている分には)ひたすら面白いのは、少なくともここで大富豪・大企業な彼らが社会的貢献に繋がると考えている点でしょう。
――貧しい人たちを救うために寄付するよりも。
そしてそれは実際間違っていない。少なくとも(優遇されるのが一般的な)税制度においてはそれは適切であり、つまり国家政府がそのようなメッセージを送っているのだから。彼らの不公平さではなく、むしろ制度の不公正さというべきだよね。いやまあその肝心の『制度』がどうやって決められるのかというと以下略。


見返りを含めた「救うべき価値」があるのは、有象無象の貧乏人たちよりもノートルダムの方だった、というだけ。
フランスも本邦も見習って『コンクリートから人へ』でもやればいいのにね。


過去の欧州キリスト教世界において、まさに教会を建てる費用を稼ぐための『贖宥状』の乱発がどうなったかを考えると、やっぱりこれ以上ないほど風刺のきいたニュースではあると思います。
ノートルダムを救うために寄付金を出すこと自体が善行であることは、おそらく、まちがいない。
だから「人間が善行によって義となる」のか?
今の社会にもどこかにいるかもしれない現代版ルターは一体何を思うのか。


みなさんはいかがお考えでしょうか?