通常日記

手抜き日記。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

政治的正しさが生む鬼子

寛容さが生む不寛容さ。


【アメリカを読む】トランプ支持者が集結 「異性愛者パレード」で左右の対立浮き彫り(1/2ページ) - 産経ニュース
欧米的リベラル社会の縮図、あるいは負の側面、という感じはあるかなあ。

異性愛者であることは素晴らしい」とのプラカードを掲げたウィリアムと名乗る白人男性(22)もこの主張に賛同して、ボストン郊外からパレードに参加したという。「異性愛者は年々抑圧されているように感じる。LGBTのパレードは歓迎されるのに、今日のパレードに抗議が殺到しているのがその証拠だ」と話し、「LGBTは政府からあらゆる面で守られ、特権になっている。一番損をしているのは、異性愛者で白人男性である自分のような人間だ」と語った。

【アメリカを読む】トランプ支持者が集結 「異性愛者パレード」で左右の対立浮き彫り(1/2ページ) - 産経ニュース

差別されているかは個人の感覚の問題が大きいのでともかくとして、しかし「無視」されている、というのはまぁ間違いないよね。日本人でもキモくて金のないオジサンたちは割とそういう扱い(=公園通報無罪)だし、まぁやっぱり理解できない話というわけではないよねえ。
そうした人の票を浚ったのがまさにトランプ大統領の選挙戦術でもあったわけですけど。
そしてトランプの勝利は、上記のような彼ら彼女らが決して少数派でないことを証明した。。


面白いのは、そもそもの始まりがLGBYが社会に「受容された」「受容されつつある」ことのカウンターとしてこうした動きが出ている事でしょう。
まずそうした価値観の一般化が先にあってこそこの騒動は起きている。
だから上記白人男性の怒りはそのまま、少なくともアメリカ都市部がリベラルな社会である、ことの逆証明にもなっている。皮肉にも彼が怒っていることそれ自体が、現地社会におけるリベラルな価値観の優勢さ・勝利を証明してしまっている。


無視されているだけで実質的には何もマイナス面がないものの、しかし隣の庭の彼らは『特権』や『保護』を受けているので、自分が「相対的に」不利益を被っていると叫ぶ構図。
賛成するかはともかく、かなりの面で不当で感情的な怒りだとは解っていても、しかし構図としては理解できるしまぁちらほら見る光景でもある。
この辺は「初の」黒人大統領となったオバマさんの登場と構図がそっくりな所でもあるんですよね。
黒人が大統領にまでなれるようになったことで加速した「だったら何故黒人ばかり優遇されるのだ」という感情的な怒り。
その意味でアメリカ社会の日常ではあるかもしれない。


だからこうした騒動って後進さというよりは進歩していることの証明でもある。
ザ・生みの苦しみ。
そして、こうした流れに対する対応の中身こそが、今後の流れを決める分水嶺となっていくのだろうなあと思います。それが失敗した結果がトランプ政権爆誕であると。

ニューヨークのクイーンズ区からパレードに参加したパトリック・ラマさん(56)は、「トランプ支持者であることを地元で明かすと攻撃の対象になってしまうので、ひっそりと生活している」と語る。コネティカット州から参加した50代の白人男性は、自身のフェイスブックで人工妊娠中絶を禁止すべきだと書き込んだところ、左派の若者が自宅まで抗議にやってきたことがあるとも明かした。

 男性は「リベラル化が進みすぎて、自由な発言が許されない社会になっている。恐ろしいが、これが今の米国だ」と吐き捨てた。

【アメリカを読む】トランプ支持者が集結 「異性愛者パレード」で左右の対立浮き彫り(1/2ページ) - 産経ニュース

やっぱり私たち日本でもまったくの他人事とは思えないよね。


彼ら彼女らの不合理で感情的な怒りは、虚しい最後の抵抗なのか、あるいは反撃の狼煙なのか。




――ちなみに他に考慮しておかなければならない変数としてはグローバル世界では常態となった『移民』の存在があるわけで。
基本的には貧しい国や地域からやってくる彼らが同性愛や各種自由権といったリベラルな価値観に宥和的かと言うと……。まぁヨーロッパの現状なんかを見ると興味深いですよね。
長期的に彼らは確実に私たちの民主主義社会に影響を与えることになる。
そう考えると時代の流れは、『歴史の正しい側』に一体どちらが立っているのかを考えるとwktkしてくるお話。


みなさんはいかがお考えでしょうか?

金の話をしていてはお前たちの未来を守れない 金が無ければお前たちの未来を守れない

「あなたたちが話しているのは、お金のことと経済発展がいつまでも続くというおとぎ話ばかり。恥ずかしくないんでしょうか!」 

 
 

「よくもそんなことを」 トゥンベリさん、怒りの国連演説 写真11枚 国際ニュース:AFPBB News
グレタ・トゥーンベリさん、国連で怒りのスピーチ。「あなたたちの裏切りに気づき始めています」(スピーチ全文) | ハフポスト
前回に続いての気候変動ネタ。
最近はもうすっかりお馴染みになった、気候変動テーマにおけるアイドルであります。いやあ現代のジャンヌ・ダルクみたいだよね。オルタ化したらトランプ支持者になっちゃうのかな? 

【9月24日 AFP】スウェーデンの高校生環境活動家グレタ・トゥンベリ(Greta Thunberg)さん(16)は23日、米ニューヨークで開幕した国連(UN)気候行動サミットで演説した。トゥンベリさんは、世界の首脳らが温室効果ガス排出問題に取り組まず、自分たちの世代を裏切ったと非難し、「よくもそんなことを」と怒りをぶつけた。

 アントニオ・グテレス(Antonio Guterres)国連事務総長が開催した同サミットは、実現が危ぶまれる地球温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定(Paris Agreement)」を再び勢いづかせる狙いがある。熱のこもったトゥンベリさんの演説は、サミットの基調を定めるものとなった。

「よくもそんなことを」 トゥンベリさん、怒りの国連演説 写真11枚 国際ニュース:AFPBB News

まぁその怒り自体は理解できます。
社会は実際に腐っているのに、親をはじめとする大人たちはみーんな見て見ぬフリをする! 賢い私だけがその悪に怒り震えている!
もしかして:中二病
環境問題かどうかは別として、しかしその『不正義への怒り』という点で見ると、割と少なくない私たちが、かつて子供であった大人たちが通った道ではあるよね。
僕も卒業文集なんかに「環境保護運動したい!」とかセクシーなことを書いていたタイプの子供だったのでよく解ります。今見ると足バタバタさせるの間違いなしなので、今後も重大犯罪などを起こさないようひっそりと生きていきたいと思います。




ともあれ、マジレスをするとこの気候変動の問題って解決策自体は意外と単純なんですよね。その「合意」ができないというだけ。
どこまでいっても『金』の問題でしかない。
温暖化問題が解決しない政治的な三大理由 - maukitiの日記
というかこのネタが盛り上がると、未だに上記9年前の日記にアクセスが増えてもういい加減消したくなるんですが、まぁ概ね正しいことを書いているとは今でも思ってるんですよね。この人知識のアップデートができてないとか石を投げないでください。

  • 世界全体を射程に入れた共通政策の実現性
  • 後進国への補償をどのように定めるのか?
  • 国内政治としての優先順位

まぁ9年前どころではない長期間で構図としては変わってないよね。彼女の言うように時間制限は更に短くなったのは確実だけれど。


だからやっぱり話は簡単なんですよ。気候変動をただちにゼロにすることは不可能だけれども、変化を緩めることは可能である。
お金さえあれば。
気候変動が問題だと言うならば、追加の費用を払えばいい。
――その上で、だれが、だれに、どれだけ、お金を払うの?
つまり「お金の使い方の優先順位」の問題でもある。それは単純に0か100かだったら話は簡単だったんですよ。しかしその費用負担の分配パターンは無限近い形で存在していて、しかもその上で、世界の200近い国々と地域がそれぞれ違う意見を持っている。
更にはその国々の間は明確に覆しようのないパワーバランスが存在している。


故に、私たちは国際社会における実効性ある合意が未だにできていない。
故に、今回のグレタさんのニュースのように「正当性ある子供の怒り」のような光景を見ても、おそらく今回の会議で何か具体案が決まることはない。
故に、小泉進次郎大臣風に言うならば、きっと30年後になっても実現できていない可能性が、高い。


お金の合意に失敗し続けている。
やる気があるとかないとかそういう問題じゃないんですよ。


費用負担というお金の合意ができなければ気候変動の為の政策を実現することはできないし、それでも経済成長が続くのだというおとぎ話が無ければ、私たち先進国の豊かな人たちが「かつて」そうしてきたように、「これから」同じことしようとしている後進国の貧しい人たちを説得できない。
「もう先進国の席はいっぱいだから、後進国のお前らにはヨットや飛行機に乗れる文明的で豊かな生活を送る席はねーから!」
なんてスネ夫のび太に言うみたいにやって本当に許されると合意できると思っているの? 
そうでなければ、少しでも誠実であろうとするならば、たとえウソだと解っていても「おとぎ話」をするしかないんですよ。


かくして現実世界の大人たちは、まるでブリーチポエムの様相を呈することになる。

金の話をしていてはお前たちの未来を守れない 金が無ければお前たちの未来を守れない

と見事なデッドロック状態に陥っている現実の大人=政治家たちに対して(自称)未来の若者世代代表である彼女は叫ぶのです、

「あなたたちが話しているのは、お金のことと経済発展がいつまでも続くというおとぎ話ばかり。恥ずかしくないんでしょうか!」 

うーん、もちろん否定派でやる気のない人も多いでしょうけど、それでも大多数の大人たちは真面目にやっているだろうにね。
結果が出てないだろというと身も蓋もありませんけど。
結果がすべてだという社会人しぐさとしては正しいかもしれない。まだ子供なのに。


地道に話し合うこと以外では先に進めない。しかしそれではいつまでたっても正義を実現できない。
だからこれって、古今東西の正義マンの多くが『革命家』ひいては独裁権力なんかを志向してしまう理由でもあるんですよね。だってそうすれば、こうした地道な議論の積み重ねをすっ飛ばして確実に一足飛びに正義を実現することができるから。
まぁ副作用もいっぱいあるんですけど。


ということで、この子が本当に何も解っていないんだなあ――もちろん「子供の無知」を責めることを大人がするのは絶対にフェアではない――それなのに周りの大人は無知を教えてあげないままただただ都合のいい偶像として利用しているだけなんだなあ、と個人的にしみじみ思ったのはこの件ではなく、少し前にあったトランプさんへの発言だったんですよね。
ザ・無知の無知。

 出発前に記者会見したトゥンベリさんは、気候変動の危機を軽視するトランプ米大統領らを念頭に「科学を理解せず受け入れない人は必ずいるが、そういう人は無視する」と述べ「私は行動するだけだ」と決意を示した。

「環境少女」ヨットで英出発 米目指し、排出ガス抑えた旅(共同通信) - goo ニュース

アメリカを動かさないで、この21世紀の現代世界において一体何が実現できるというの? 
それこそ無理だと解っていても彼と議論して説得して動かすべきでしょう。
もちろんこの人と話をしないという発言もトランプの「次の」大統領を待つ、という擁護もできなくはない。でもそれってつまるところ私たち「邪悪な」大人がやっている先延ばしと一体何が違うの?
もし本当に時間が迫っているのであれば、今でこそ世界で最も影響力のあるだろう*1超大国アメリカ大統領と話して、何でもいいから前に進めるべきじゃないの?
むしろ否定派であるトランプ大統領を論破してこそ大きな前進があるはずなのにね。しかし彼女は強い言葉で否定してみせただけ。


彼女は雰囲気で気候変動への怒りを訴えている。
まぁそれでも、16歳の子供だから、という免罪符で許されるべき年齢ではありますけど。そこを否定されるべきではない。嫌いな人とだって付き合わなければいいしね。
学校に行く気はあるようだし、まだ未来は白地図だと思われるので、是非今後も勉強していけばいいんじゃないかな。その熱意があればボーっと生きている愚鈍な大人である私たちよりもずっと大きな貢献ができるはず。勉強すれば。
勉強をしないなら……、うん、まぁ、活動家にでもなればいいんじゃないかな。
国際合意な国際関係か国際法、社会的費用や公共政策な経済学か、あるいはワンチャン『気候変動キャンセラー』とか開発できる科学者でもいいかもしれないね。30年後には戦闘前に「グレタ粒子散布!」とか言ってるかもしれない。戦闘前?




彼女のような子供が「恥ずかしい」と評する論理には一定の説得力がある。それは否定できない事実でしょう。

「あなたたちが話しているのは、お金のことと経済発展がいつまでも続くというおとぎ話ばかり。恥ずかしくないんでしょうか!」 

しかしその恥ずかしい政治家たちが話しているのはつまり、基本的には私たちが払った税金のことであり、そして短中期的に日常生活に確実に直結する経済発展の話でもある。
おそらく世界が気候変動対策に「本気になった時」、日本でも消費税増税よりもずっと大きなインパクトがあるのは間違いない。生活スタイルの変化の強要という意味でも。
私たち大人は、私たち有権者は、そうした『お金』『経済発展』の話ばかりをする政治家たちをどのように見ればいいだろうか? 
やはり投票先を変更すべきなのだろうか?



当日記はグレタ・トゥンベリさんを応援しています。
みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:まぁこの理屈だと、ならばオバマ大統領時代にそれはどれだけ進み、そして大統領交代でどれだけ後退したのか、という手痛い反論もあるんですけど。

脱原発派と気候変動否定派の両方を満足させる、「空気を操る程度の能力」を持つ政治家の真髄

ナウでヤングな若者にとってイケてるチョベリグでセクシー温暖化対策運動。



「気候変動問題はセクシーに」小泉大臣が国連で演説
小泉ジュニアな人が通常運行をしていたそうで。

 一方、この演説の前の記者会見での小泉大臣の発言が海外メディアで報道されました。
 小泉環境大臣:「気候変動のような大きな問題は楽しく、かっこ良く、セクシーであるべきだ」
 ロイター通信はこの発言を取り上げ、「日本の新しい環境大臣が『気候変動との戦いをセクシーに』と発言した」と大きく報じました。ロイター通信はまた、日本が23日の気候行動サミットで発言しないことや火力発電を増やしていることを指摘し、日本政府の地球温暖化問題への取り組みに懐疑的な見方を示しています。

「気候変動問題はセクシーに」小泉大臣が国連で演説

うーん、まぁ、そうねえ。
小泉進次郎環境相が気候変動問題について「セクシーであるべきだ」と言った背景: 極東ブログ
極東ブログさんでもその前例が指摘されていましたけども、「sexy」ってそこまでユニークな使い方かというとそうではありませんよね。めっちゃイケてる~とかそういう若者言葉なノリ。少なくともまったく見ないというわけでもないし。
まぁ日本語訳で「セクシー」ってカタカナにしているのが更によくないよね。
――いや、ネイティブではない僕たちにとっては本場の人に使われても脳内には「(せくしー?)」って浮かぶんですけど。そして自分で使うには心理的ハードルがすごい高くてまず無理~ってなるやつ。
それをこうして日本人ながら堂々と使ってみせる辺りに彼の非凡さを見てもいいんですけど。その点は素直に尊敬します。


ともあれ、ネット上ではまぁ笑われまくりですけども(天邪鬼的に擁護するなら)それなりに理解できるお話ではあるんですよね。
つまり、気候変動問題に取り組む姿勢というのはそれだけで「カッコいいこと」であるという価値観を前提とすれば。
温暖化問題とは、理屈じゃないんや! 絶対的な正義なんや! つまりセクシーや!
その意味でいうと、こうした光景って欧米的リベラルさの極致、ではあるんですよね。この件についてのあちらの報道が本邦と比較してもまぁ概ね中立なのもそういう理由でもある。少なくともトランプのようにリベラル的価値観のスタンダードから外れているわけでは絶対にないし。


そして、そうした振る舞いというのは「大衆を動かす」という一点においても間違っていない。
小泉進次郎氏 回答がポエム?「何言ってるかわからない」の声(女性自身) - Yahoo!ニュース
仮に中身がなくとも『空気』を作ろうとする彼の振る舞いは、まぁポピュリストな人として見ればとっても合理的ですらあります。
ポエムであろうと、とりあえず清潔でハンサムな見た目と、そして落ち着いて理知的(に見える)弁舌の能力さえあれば。それさえも十分すぎる才覚ではありますが。

《ごめん、進次郎のポエムが何言ってるのか全くわからない》
《それっぽい感じで何か語りつつ、実は何も言っていない小泉進次郎。こういう人を雰囲気で持ち上げるのは、いい加減にしたほうがいい。ろくなことにならない》
《自分の意見すら持ってるか怪しいよね》

小泉進次郎氏 回答がポエム?「何言ってるかわからない」の声(女性自身) - Yahoo!ニュース

ネット上での不人気とは裏腹に、しかし彼が「例外的」とも言えるレベルで、一般社会で人気があり続けてきた政治家であるということは、まさに彼の戦略が正しいことを自己証明している。


ということで、今回の「セクシー」は空回っている感は否めませんけども、やっぱり一貫性はあるとは思うんですよね。
「空気を操る程度の能力者」である小泉進次郎さんらしい振る舞いとして。
まさに「セクシー」という言葉を使ったことそれ自体が、彼が大衆受けする政治家であるということの証左でもあるんじゃないかと。


そのように考えると、「気候変動との戦いをセクシーに」とか言って煙に巻くことで実質的な負担を逃れる所までやってみせたら、ものすごく有能な政治家だと手のひらを返す可能性もあるので、自国第一主義な人たちは期待してみてもいいんじゃないかな。
彼の能力があれば、今回のニュースで海外報道から批判的に報じられているような、私たち日本が自国第一主義的に脱原発の為に火力発電を増やしていることも上手く誤魔化してくれるかもしれない。
そうだよね。実際、私たちは自分たちの安全の為ならば、気候変動はどうなったっていいと思っているんだもんね。
脱原発こそが大正義!
原発より火力!


脱原発を目指している人も、気候変動問題で日本が過度な負担を背負うべきでないという人も、今こそ小泉進次郎大臣のポエムワールドによるなんだかそれっぽいことを言って煙に巻く能力こそが求められていることを考えると、ものすごい適任なのかもしれない。
世界全体の重大なテーマである気候変動問題がありならがも、しかし自国第一主義的に脱原発をやっている私たち日本人にとって最適な人材。


実は、今回のニュースとはそのような構図として見るべきなのかもしれない。
脱原発派の主張と、気候変動なんてウソっぱちだという主張、その両方を両立させることができる唯一無二の大臣として。
タフネゴシエーター小泉進次郎
海外からの圧力を煙に巻いた小泉進次郎大臣に、日本人みんなでKPしよう!


みなさんはいかがお考えでしょうか?

通常日記

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一握りの天才を生む「模倣」という裾野の広さ

あるいは「模倣」という反知性主義の本質。


模倣こそ進化のカギ? 人類は有毒な植物をどうやって料理してきたのか - BBCニュース
面白いお話。

私たち人間は、祖先が試行錯誤を通じて貯めた便利なアイデアを、次の世代はただ真似して継承してきた。

もちろんその中には、あまり役に立たないアイデアも紛れ込んでいただろう。雨乞いの踊りや、火山に噴火しないようお願いするためのヤギのいけにえなど。

しかしこうした事例も含めて私たち人間は、チンパンジーのようにどの手順は省略しても安全か判断できると過信せず、すべての手順を愚直に真似したほうが、全体にうまくいったのだろう。

もちろん、文化的進化で実現できることには限界がある。現代では科学的手法が正解を教えてくれる。はい、キャッサバは本当に2日間寝かせなくてはなりません。いいえ、ヤギをいけにえにしても火山は機嫌を直してはくれません。

科学の原理を理解すれば、試行錯誤や模倣から学ぶよりも速やかに前進できる。しかし、19世紀のオーストラリアでキングの命を救った集合知を軽視してはいけない。

それが文明や、機能する経済を可能にしているのだから。

模倣こそ進化のカギ? 人類は有毒な植物をどうやって料理してきたのか - BBCニュース

反知性主義』の本質、ではあるよね。とりあえず経験則から正しいことを学び取っている私たち。
エビデンス? ねーよそんなもん。
実際、本邦の現代社会にも肌感覚な「ケガレ」思想なんかが大好きな人たちいっぱいいるからねえ。もしかしたらワンチャン彼ら彼女らの方が正しいかもしれない。僕は科学的知見からそれでも海に流した方がいいと思ってますけども。




さて置き、上記BBCの記事でも登場する人類学者のジョセフ・ヘンリック先生のお話は有名どころの邦訳だとたとえば『文化がヒトを進化させた』なんかでも読めますけども、彼がそこで言っているのは、模倣が大事なのは当然として、そうした模倣による手法を維持し、そこからもう一歩進んで更には発展・進化させていくのに必要なのが『規模』でもあるというお話でもあるんですよね。
模倣をする人が多ければ多いほど、進歩と呼べるようなイノベーションが起きる可能性も高くなる。
逆説的に、技術を模倣していくにも一定以上の人口が必要である。
ポストアポカリプスな議論において、現代的な文明を存続させるには人口が〇〇以上必要である、というのはそういう理由なんですよね。同時にまた文化人類学として、数の少ない先住民な人たちが文明を進められなかった理由でもある。


なので、本邦でもしばしば見られる「大学なんて一部のエリートだけが行けばいい」というユニークなオレ的教育理論を述べる人への反論としても、このニュースは読めるかなあと。
模倣し後ろの世代に伝えていくだけでもやっぱりそこには裾野が必要でもあるわけで。そしてその裾野は広ければ広いほどよい。だって裾野が広ければ広いほど『天才』が生まれる可能性が高くなるから。
あるいは世界に誇る日本のオタク文化もこういう文脈にあることは指摘されたりしますよね。プロの技術が高いのはともかくとして、アマチュアの裾野の広さこそがそれを支えていると。まぁ素人目としても「プロじゃないのに」上手い人いっぱいいますよねえ。


私たち人間の文明は純粋な知識よりも、互いから学びあい模倣しあうという高度な能力によって作られている。そしてその進歩の歩みこそが私たち人間の文明史でもあると。
だからより大きい人口というのはそれだけでイノベーションの可能性が高い。みんなCivilizationでおぼえたよね!


まぁこうしたお話ってつまるところ、やっぱ人口大杉な中国スゲー!っていう所に落ち着いてもしまうんですけども。スポーツでも学問でも、散々私たちが現在進行形で見ている光景でもあります。
「中国が私たちのようになる」のではなく「私たちが中国のようになる」のかもしれない - maukitiの日記
やっぱ日本も中国共産党的手法を見習うべきかな! 独裁的手法というだけでなく、普通ではないエリートによる投票という意味で一部リベラルな人たちも賛成しそうだしね。
もちろん一方で、その裾野は大きくても、それを自由にできる「場(自由)」が無ければ意味がないというのも重要な点ではありますけども。


オプティミストな僕としては、人口が増えれば増えるほど、世界を変えてくれるような天才とイノベーションが生まれてくる可能性が上がると思っているので、人口減らせとか言う人たちは全員間違っていると内心では思ってます。
「次の世代の人には我々よりもっと知恵があろう」
さすが中国人の鄧小平はいいこと言うよねえ。



やっぱガチャの大正義な成功戦略とは回数を回すことなんだよね。ミクロで見ると人生とかいうゲームはクソ過ぎるガチャゲーだけれども、マクロな視点で見ると神ゲーなんだなって。
がんばれ未来の天才たち。

2019年も中盤を過ぎた辺りで「罪悪感はもう終わりだ」とさけぶ

あるいは「罪悪感はまだ終わっていない」とさけぶ。


「非対称」をめぐる議論〜『韓国が日本に言ってもいいが日本が韓国に言ってはいけないこと』はあるか、ないか - Togetter
わりかし非難轟轟ですけども、個人的にはかなり同意するところではあるんですよね。
当日記のポジションとしては、非対称な関係故にその言葉の意味合いが変わってくる、というのはやっぱり「ある」と思ってます。
まさか加害者と被害者が対称だとは絶対に言えないし。
――ただ、だからといって2019年の日韓関係にそれが当てはまるかと言うと、うーん、まぁ、それこそが現状の日韓摩擦の根幹なので簡単に解答するのはむつかしいよね。

自分は(歴史的な非対称から)「韓国が日本に言ってもいいが日本が韓国に言ってはいけないこと」というのは間違いなくあると思うのだが,みんな「日本が韓国に言ってることを批判するお前はなぜ同様のことを韓国が日本に言うのを批判しないのだ,それはダブスタだ」と言うのラジよね。

「非対称」をめぐる議論〜『韓国が日本に言ってもいいが日本が韓国に言ってはいけないこと』はあるか、ないか - Togetter

だから今の日韓関係において本当に問わなくてはいけないこの問題の本質とは、まさに「(歴史的な非対称から)」という部分が現在でも当てはまっているのかどうかだと思うのラジよね。


日韓に歴史的な非対称性はある。
――ではその非対称性は「現在でも」当てはまるのか?


贖罪はもう十分なのか?
罪悪感も十分なのか?
しかしその「十分さ」って一体誰がどうやって決めるの?


かつて奴隷だった黒人の子孫に補償すべきか 米国で議論:朝日新聞デジタル
この問題の類似例が、ちょうどタイミングよくニュースにもなっていましたよね。
アメリカ社会は、特に黒人初のオバマ大統領誕生という文脈から、むしろ子ブッシュ政権時代よりも白人黒人の人種間対立が鎮まるどころかより激化=表面化したという意味でより一層現在進行形でもあるわけでしょう。もうこれ400年も前の話なのに。いや、公民権運動を考えれば日韓のそれよりずっと最近ですけど。
ついでにヨーロッパの受け入れる移民難民も『旧植民地』という視点は絶対に外せないわけだし。
ということで、欧米社会ですらそうなのだから、やっぱり「日本だけが」「韓国だけが」「日韓だけが」この歴史的非対称な問題があるというのはあんまりフェアではないと思ってます。

 黒人作家のタナハシ・コーツ氏が「奴隷労働が米国の富を築き、黒人への暴力は解放後も続いた。米国は奴隷制と切り離して考えられない」と証言。「過去の世代の責任を今の世代に負わせるべきではない」とする見方に反論した。

かつて奴隷だった黒人の子孫に補償すべきか 米国で議論:朝日新聞デジタル

特にこの部分なんて名詞を入れ替えれば韓国側の主張とほとんどそのままだよね。
故に日本の戦犯企業はその責を負うべきである!
過去の世代の責任を今の世代に負わせるべきだ!




ともあれ日韓に話をもどして、ここで面白いというか皮肉な構図になっているのは、それぞれが主張する対称か非対称かという意見と、そのポジションがしばしば捻じれているように見える所でしょう。

  • (日本の高度成長期と軍事政権時代の韓国が記憶に残り)特にオジイサンサンオバアサン世代が持つ、素朴な優越感な上から目線で韓国を下に見ることでも成立していた非対称性と、そして未だ日韓の歴史問題は終わっていないとする非対称性。
  • その一方で「最早謝罪は終わっているのにいつまでも賠償を求める韓国」という韓国を一見見下しているようで既に両者は加害者被害者という立場を越えて対等であるとするかつてのネトウヨ――今では中間層まで食い込みかなりの多くの人たちが信じるようになった世代交代で一般化した対称性と、経済成長と民主主義政治を実現した韓国は日本に追いつき分野によっては追い抜いているとする人たちの対称性。


うーん、結局、現在の日韓関係において対称性はあるのかないのか、非対称性はあるのかないのか、ちょっとよく解らないよね。
どちらも自分のポジションに都合のいい形で対称か・非対称かを使い分けているだけじゃないのかな、とか言うと両側からどっちもどっち論死ねと怒られそうなのでお口チャックしておくのがいいと思います。


2019年という現在において、日韓関係は非対称か?
それとも私たちはもう対等な関係なのか?
――まぁ別に白か黒かと答えるのではなく、上記のように自分の都合のいいように対称と非対称を使い分けたっていいんじゃないかな。その曖昧さこそが最も現状を正しく認識しているとも言えるかもしれないし。


まぁその対称非対称についての曖昧さこそが、ぶっちゃければポジショントーク・我田引水っぷりこそが、この問題が拗れている根幹だとは個人的には思ってますけど。
でもしかたないよね。私たちは違う国家だもん。東アジア共同体は夢でしかなかったんだ。


非対称性の時効について。つまり歴史の「認識」問題について。
みなさんはいかがお考えラジでしょうか?