残酷な幼年期のおわり

「まず隗より」すら始められない私たち。



東須磨小・教員間暴力 会見詳報 「4人中2人は前校長と親しい関係」(神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース
話題になっている教師イジメのあれ。閉鎖的組織のダメな所が出まくっているのが地獄ではありますけど。

市教委幹部2人と同小校長の計3人が出席し、冒頭で「このたびのハラスメント事案で児童、保護者をはじめ、関係者に多大なる心配をおかけし、心よりおわび申し上げます」とあらためて陳謝した。

 同小の校長は具体的なハラスメントの内容について、体をたたく、足を踏むなどの暴力▽性的な内容を含む人格を否定するような言動▽所有物の器物損壊などの嫌がらせ-などを挙げ、「学校内やプライベートの場で長期にわたっていた」と説明した。

東須磨小・教員間暴力 会見詳報 「4人中2人は前校長と親しい関係」(神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース

まぁ個人的にはずっと昔の日記から、かのように大人ですらイジメ問題を解決できないのだから「いわんや子供をや」というポジションではあったのでこの構図自体は想定できるお話ではあるかなあと。
しかしハラスメントとか横文字で誤魔化すことが多いのもよくないよね。まさに小学生レベルのザ・イジメとして、当人たちにもくっそしょーもない事をやっていると自覚してくれればいいのに。
イジメを無くそうとする側の大人でさえこの有様なんだから、子供で実現できるわけがないよね。
ていうか最初のこのニュース見た時あまりの内容の低次元さに子供のイジメ事件のニュースだと思ったほどで。激辛て。まさかの大人の、更には教師の事件ということで二度見案件でした。まぁ逆説的に平和さの象徴とも見てもいいかもしれませんけど。そりゃこうして結構なニュースにもなっちゃうよね。
まず大人よりはじめよ、すら出来ない私たち。



ともあれ、ここで更に悲劇的なのは大人にも当然あるイジメ問題という枠を越えた、このイジメ被害者の教師と同じかそれ以上に被害者なのが生徒たちでもあります。

児童たちの様子については「大きく傷ついたことは同じだった。その日は一つ部屋を設け『苦しくなったり、泣きたくなったりしたら来てもいいよ』と言った。その部屋の中で1日、ワンワン泣いた子もいた」と話した。

東須磨小・教員間暴力 会見詳報 「4人中2人は前校長と親しい関係」(神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース

何で泣くかって、自分たちが信頼していた、信頼することを暗黙の裡に要請されていた『教師』たちの内情がこれ以上ないほどあからさまに露わになってしまったからでしょう。
あとしばらくは、絶対的権威であったはずの、そうあるべきだったはずの『教師』という幻想のおわり。
教師もただの人間だったのだ。


かつて子供であった私たちの誰もが、同じく絶対的存在であった両親たちもまたただただ普通の人間であったことを知る*1、『幼年期の終わり』な構図。それを改めて考えさせられるニュースではあります。
多くの私たちが、中高生にもなるとそろそろそういうことを察してくるものではありますけども、小学生でそれはさすがにちょっと早すぎるよねえ。
個人的には普段から、結局教師も私たち自身と同じただの平平凡凡な人間なのだから、というポジションではありますけども、しかしこの点では彼ら彼女らに大きな責任があることも否定できない。
子供時代の、一日の生活のおおよそ半分を占めるだろう学校生活における、信頼関係の最も基礎的な一つが覆されることの心理的影響について。




あまりにもあんまりな無残な救いのない現実の提示。
自立した教師ですらイジメ被害から逃れられないならば、子供たちは一体どうすればいいのか。
フィクションなんかでは、無垢な子供に敢えてそうしたグロテスクな現実を見せて楽しむ、という歪みまくったサディスティック性癖嗜好があったりしますけども、まぁ結果的にやってることはそれに近いよね。
これ幽遊白書で見たところだ!*2
加害者である彼ら彼女らの平凡さは、同時にその普遍性の証明という事実が隠されているのがまた闇が深いというか。


はやすぎる、残酷すぎる幼年期の終わり
このあまりにもあんまりな大人たちの不作為に巻き込まれた、まったく罪のない生徒たちの魂にやすらぎがありますように。

*1:故に自分が同じ立場になった時、改めてそれを為したことを尊敬するという構図でもありますけど。

*2:樹(幽☆遊☆白書) - アニヲタWiki(仮) - アットウィキ

『文明の摩擦』という私たちが今生きる時代

香港への言及は、政治的発言なのか、それとも普遍的権利にかかわる発言なのか?


「中国は海外に対しても言論統制を強めており企業は決断を迫られている」と専門家が主張 - GIGAZINE
昨日の日記の騒動が思ったよりも広がりつつあるそうで。
これはもう僕のようなハンチントンフクヤマオタクとしては、ものすごくwktkする展開です。
まさかほんとうに、こうまであからさまに『文明の衝突』な光景が現実になるなんて! 端から見ている分には、ぶっちゃけどちらに転んでもおいしいので、いいぞもっとやれ感がすごい。


ポケットの中だけにとどまらない香港デモ騒乱 - maukitiの日記
以前の日記ではあくまで可能性の一つとしてだけ触れたお話ではありますが、当事者たちの決死の活動と、そして政府側の杜撰さによって、実際にポケットの中だけにとどまらなくなりつつある香港騒乱。
上記日記こそ書きましたけど、その一方で少なくない可能性で、香港のデモはこのまま背後には『中国政府』というほとんど無限のリソースを持つ存在がある以上、香港政府政府側が遠からずデモ側を圧殺し静かに消えていくとも思っていたんですよね。だからこそ、大多数の外野からすれば香港の騒動って「結末の見えている悲劇(中国政府「そのもの」が揺らぐことはまずない)」でもあったわけで。
それはあくまでローカルな香港という一部地域の内部で、小さなポケットの中の社会にそれまであった各種「自由」が失われるだけ。

シルバー氏はモーリー氏の投稿をめぐる問題について、「平等、尊厳、表現の自由という価値観は、長年にわたってNBAを定義してきました」「アメリカと中国を含む世界中の人々が、異なる問題に対して異なる視点を持つことは避けられず、価値観の違いについて判断を下すのはNBAの役割ではありません」と述べ、再度モーリー氏を擁護する声明を発表。

さらにその後の記者会見において、「私が声明を出したのは、CCTVがモーリー氏の発言内容だけでなく、『モーリー氏の表現の自由を支持すること』に反対したからです」「このような結果は私たちが期待したものではありませんでした。しかし、これは私たちの価値観を守ったことによる結果であり、私たちはこれからも自分たちの価値観を守り続けます」とシルバー氏は主張しました。

「中国は海外に対しても言論統制を強めており企業は決断を迫られている」と専門家が主張 - GIGAZINE

ところがぎっちょんタイムリーな形で、しかも世界規模で動員力の高いスポーツ(及びeスポーツ)を巻き込みながら飛び火しすることで、この話題がただの政治的云々という枠を超えてランクアップすることで『文明の摩擦』という油が注がれる構図が生まれつつある。
「中国は海外に対しても言論統制を強めており企業は決断を迫られている」と専門家が主張 - GIGAZINE
企業利益の保身に走るマクロな大企業たちと見事に対比する形での、自身の不利益を省みない英雄たちのミクロな個人たちの行為
このブログのように匿名では幾らでも言うことはできても、しかし彼らのように実名を晒してああして香港擁護を唱えるのはすばらしく勇気ある行為だと思います。僕には絶対無理でもあるし。


グローバルな時代だからこそ起きる、この「自由」に関しての理解と定義と運用の違いについて。

  • 公で行われる「個人的発言」をする権利を私たちは擁護すべきなのか? 
  • それともこうした政治的発言は公では制限されるべきだという指摘は正しいと認めるべきなのか?

これって典型的な二律背反でしょう。
「他国の価値観に口を出すべきではない」と「個人には自由に発言する権利がある」
私たちは一体どちらを優先するべきなの?


別にそれが大して重要ではないテーマだったら問題なかったんですよ。しかし『政府の政治的正統性』あるいは、『(普遍的価値観と信じてきた)自由の権利』についてコンフリクトしてしまっては、お互いに後には引けなくなってしまう。
しかも後者に至っては、まさにそうした政治的正統性を批判できる自由こそを、守るために生まれた権利でもあるわけだし。
かくして、ザ・『文明の衝突』の時代――とまではいかないにしても、しかし確実に『文明の摩擦』が起きている現代世界。




蛇足ながら、これって実はリベラルな人たちにとってもちょっと福音となる構図だとはちょっと思っているんですよね。
――だって少なくとも自分たちの社会内部で「これは本当にリベラルなのか?」という風に深刻なジレンマを考えるよりもずっといい。どんどん細分化していく、女性の権利や(イスラム的価値観の住民から生まれる)政教分離LGBTの権利の扱い方など、現代リベラルたちには「内憂」がいっぱいあるんですよ。もちろんそれ自体が彼らの正当性を毀損するわけでは絶対にないけれど。
しかし、この「外患」な構図においては少なくとも解りやすく『善*1』のポジションを主張できる。もちろん上記のように経済的なジレンマを生むことにもなるんですけど。
米政府、中国高官らのビザ発給を制限 ウイグル人弾圧めぐり - BBCニュース
一方で、対中国に最も強硬なのが反リベラルな政治的志向でもあるトランプ大統領率いるアメリカ、というのはやっぱりとっても皮肉なお話ではありますけど。
いや、レーガン政権なんかの事例を考えたら特段おかしくはないか。旧西側世界の盟主は伊達じゃないぜ。


私たちはその中国からの要請にどう応えるべきなのだろうか? そしてその解答について考えるとき、更なる疑問が浮上してくる。
今、ふたたび、あらためて、(基本的人権や各種自由権普通選挙による民主主義といった)自由主義は普遍的価値観なのか? が問われるとき。


みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:もちろんこれは、正しくリベラルらしく「自由主義的価値観こそ普遍的である」という前提に立つ

「自由主義の倒し方、知らないでしょ? オレらはもう知ってますよ」

ソ連もそうやって西側陣営を倒せば良かったのにね。共産主義()とかやってるから負けちゃうんですよ。


NBAチームGM、香港支持ツイートで謝罪 中国から批判殺到 - BBCニュース
現代世界の縮図のようなお話だなあと。

NBAは、モーリー氏のコメントは「残念だ」と述べた上で、「NBAは中国の歴史と文化に多大な敬意を持っている。スポーツとNBAが、共存のための力になることを願っている」とする声明を発表した。

ブルックリン・ネッツのカナダ人オーナー、ジョー・ツァイ氏はフェイスブックで、モーリー氏が中国人の香港への強い思いを読み違えたと批判。中国の電子商取引最大手アリババグループの副会長でもあるツァイ氏は、「国や社会やコミュニティーによって、触ってはならない話題がある。中国領土の分離独立運動を支持するというのも、そのひとつだ。中国政府にとってだけでなく、すべての中国市民にとって」と書いた。

しかし、NBAは民主主義を支持する前に中国政府に屈したとして、共和党民主党、双方の政治家から批判を浴びている。

NBAチームGM、香港支持ツイートで謝罪 中国から批判殺到 - BBCニュース

「我らがズヴィズダーリベラルな民主主義の光こそ、世界をあまねく照らす」ことで歴史の終わりとなるはずだったのに。
――しかし30年後の2019年の現実では、まぁご覧の有様であります。
まったく歴史は終わらなかった。その「普遍性(という幻想)」が、身も蓋もなく金の力で露わになるというのは、まぁやっぱり現代世界のよくできすぎている寓話だと思うんですよね。ソ連さんは何で今の中国みたいにできなかったのだ……。




まぁこの辺りはもうずっとやってきている当日記の定番ネタではありますけども、こうした結構大きなニュースとして取り上げられているのを見ると改めてしみじみと考えてしまうお話ではあります。
中国と私たちは信じているモノが違う。
考えてみれば当たり前とも言えるこの現状を認めるということは、戦争に負けたこともあって私たち日本人もほとんど絶対的真理として信じてきた自由主義な価値観は実は普遍的ではないかもしれない、ということを事実上受け入れているということを意味している。
はたして我々は今後、このように他国で行われる自由や権利の侵害に「正しい態度として」沈黙していかなければならないのだろうか? 
――香港で、北朝鮮で、シリアで、イエメンで、スーダンで、あるいは世界中のほとんどどこでも。
政治的に問題だからと繕うことで。
それってつまり「リベラル」という価値観の終わりでもある。そこに普遍性が無いのならば、その権利擁護の歴史・運動そのものの正当性の喪失でもある。私たちがこれまで「人権はぜーったい!」とか言っていたものが、その定義というのは結局、時と場所によってそれぞれ違う幾つかある解釈の一つでしかなかったのだ。
人びとはみんな違ってみんないい。
『人権』『自由』『平和』の定義だってみんなちがってみんないい。


ちなみに、こうしたトレンドは単に「スポーツ」だけではなく所謂「eスポーツ」でも同様でもあるわけで。バスケだけがそうなっているわけじゃ絶対にないよね。
blitzchung選手が政治的発言によりGMから降格処分 | BeerBrick Hearthstone
「香港を解放せよ」 と叫んだハースストーンプレイヤー。大会への参加を1年間禁止されてしまう - Kultur
ゲームな分野では「中国」というマーケットの巨大さ、あるいはプレイヤー層という意味でも、中国の存在感はずっと大きい。なのでこっちの方がよりあからさまでもあるんですよね。上記バスケNBAの一歩先を行って『規約』としてあるように。
大きな市場・マーケット・存在である故に彼らの機嫌を損ねるようなことはしてはならない。
それはつまり、政治的な話題を避けることである。中国国内で何が行われようとも。



同じタイミングで、つまり香港が揺れているこのタイミングである故に、こうした「政治的発言の問題視」な事件が起きているのはとっても示唆的だよなあと。
そして「政治的な意見を言うべきではない」という建前も、「中国からのマネーを逃したくない」という本音も。
構図はどちらも一緒でしょう。
中国政府の本気っぷりというか、この「安易に触れてはいけない」ことにする空気感というか。
そりゃ私たち日本人も香港問題について見て見ぬフリを続けるしかなくなってしまうよね。
――だって中国からのお金はだいじだもん!
ハリウッドなどを筆頭に、著名な演者は政治的にリベラルなことがほとんどではありますけども、あちらも今後は上記のようにこうなっていくのかなあ。
ハリウッド映画、消える「悪役中国」 成長市場に配慮  :日本経済新聞
もうこちらはしばらく前から既にシナリオ上、中国をわかりやすく悪役に書けない、という構図が言われ続けてきたように。




最早私たちは無邪気に自由主義的価値観に絶対の神聖を見いだせなくなっている。
「自由が失われる!」「人権を侵害している!」などと政治的な話題で批判をする方が公の態度としてふさわしくない、というスタンダードに。
それが良いのか悪いことなのかはともかくとして。


自由主義の普遍性の終わりについて。
あるいは中国という国家が台頭した現代世界における、正しい公人としての振る舞い方について。


民主主義や自由主義などの価値観を擁護するような、リベラルな態度を一般社会で公にするなんて恥ずかしい()という世界まであと何マイル?


みなさんはいかがお考えでしょうか?

通常日記

手抜き日記。

 

 

 

 

  • 「アジア系学生の入試差別問題」の裁判でハーバード大学が勝訴 - GIGAZINE
    • 「確かにハーバード大学の入学試験は完璧だとはいえません。人種を念頭に置いた選考は、その手続きにおいて有利にされていないグループに対し、ある程度の不利益の受忍を要求します。しかしこれは、多様性がもたらす全ての利益と、多様性に対する社会の要請によって正当化されるべきです」
    • まぁそれを堂々と主張できるのならば確かに一つの選択肢ではあるよね。すべては多様性の御名の下に。

 

 

 

 

 

 

 

  • 「艦これ」盛況 新たな層の観光客誘致に成功 | 長崎新聞
    • アズレンネタで思い出してしまった黒歴史をこれでどうにかごまかそう。ここで一周してしばふ先生の比較的穏健な絵柄が一般社会ともマッチしやすいというのは、ザ・歴史の偶然という感じで面白いですよね。
    • そういえば2019夏イベントもどうにかクリアしました。既に言われているように全甲提督でもたぶん今までで一番簡単だと感じたので、ほんと楽なイベントで助かりました。

「何か良いことをしたーい!」という私たちの心のスキマを埋めるもの

『気候正義』はそれを埋めてくれるだろうか?



『気候正義』の正しさの射程はどれくらい? - maukitiの日記
前回日記の続きというか、ここ数回続けてきた気候正義に関しての本題。
MIT Tech Review: 気候変動アクティビズムは世界を動かすか?
ということで最近は『気候正義』というのがリベラルな人たちのトレンドだそうで。
まぁグレタさんの演説の盛り上がりも、こうした背景があってこそ、という構図があることは間違いありませんよね。

9月23日にニューヨークで開催された国連気候行動サミットに先駆けて始まったグローバル気候ストライキは、最新かつ史上最大規模の運動であった。この気候変動アクティビズムは、強力な世界的ムーブメントになりつつある。

MIT Tech Review: 気候変動アクティビズムは世界を動かすか?

個人的に思うのはこれって――もちろん懐疑論は根強くありながらも――かなり隙の無い強力な『正義』だということであります。だからこそ、こうして世界的なムーブメントになるのも頷けるというか。
常日頃から「善き」人間でありたいと願う私たちが、堂々と、臆面もなく、大きな声で口にできるすばらしい正義。
それはここしばらくの『正義』『真理』の不在に悩んできた人たちにとって大きな福音でもあったのだろうなあと。



戦後ヨーロッパの大目標であったはずの「欧州連合」は、もちろん全てが失敗しているとは決して言えないものの、実際に蓋を開けてみればまぁご覧の有様であった。
自由主義」(とその普及)はアメリカがネオコンと共に見事にコケることでもう今更それを外交政策として口に出すことも出来なくなってしまった。
あるいは「民主主義」という面でも同様で、こちらはヨーロッパが称賛していた『アラブの春』は見事に失敗した。
挙句には中国の経済成長を目の当たりにした私たちは、最早リベラルな欧米政治家ですら中国に対して「民主主義を取り入れて我々のようになるべきだ」とは絶対に言わない。上記アメリカの失敗と併せて民主主義政治の普及だなんて彼ら彼女らはとうてい口にはできなくなっている。
戦後リベラルの核心的教義でもあった『人権思想』も――その中心にキリスト教的良心があったせいなのか――欧州の多文化社会化に伴うイスラム教的価値観と部分的にコンフリクトすることで、それを従来のように気軽に持ち出すことが不可能になった。もうそれは国内的にすら、あまり大きな声で堂々と掲げられる価値観ではなくなりつつある。


100年さかのぼれば、国民国家はあの大戦争と共に消失し、マルクスの夢から生まれた共産主義社会主義という私たち人間の不完全さを補うだろう完璧な社会システムを目指した努力は、しかしそれを生み出す私たち人間の不完全さによって当然の帰結として失敗した。
そして更に200年さかのぼれば、啓蒙思想を通じて『神』という存在すらも。


かくして「善き」人間であろうとする彼ら彼女らにとっては、現代社会ではもう堂々と掲げられる価値観ってほとんど残っていないんですよね。
そのどれもが穢れてしまった。
かつて無数に存在していた理想郷や夢や宗教や政治的イデオロギー、そのどれもが不完全なモノでしかなかった。あらかたの絶対的正義(とされていたもの)や普遍的価値観(とされていたもの)を試してみたものの、そのほとんどすべてが失敗した。
シャンタル・デルソル風に言うならば、ソ連崩壊を目の当たりにしたかのような喪失感。すべては幻想でしかなかった。
歴史は終わらなかった。
それはなにも欧州人たちの無能さや見る目のなさというわけではなく、たゆまぬ「理性」と「合理主義」の帰結として。


再び、それでもめげずに私たちは新たな理想郷を、夢を、正義を探し続けるべきなのか。
――あるいは何もかも諦め、全世界にむけて発信できる絶対的正義も普遍的価値観もない、今この時だけが楽しければいいだなんて刹那的な冷笑主義で生きていくのか。





ところぎっちょん、全人類には不幸なことに、そして一部の私たちには幸いなことに、地球がヤバいレベルの環境保護なムーブメントがやってきた。
地球がやばいということは、畢竟それは「善き」人間であろうとしてきた私たちが長年追い求めてきた全世界を射程に入れた革命的運動でもある可能性が高い。昔から外に敵が出来ると世界は団結するっていうのはあるあるな展開でもあるしね。
うーん、これには全世界の人たちも乗るしかないビッグウェーブだよね!
「みんな、ぼくたちの地球を守って!」といたいけな少女も叫ぶ!
これに乗らない奴は非国民! ――似ているのでまちがえました、同じ日本人として恥ずかしい!


『気候正義』は、神も絶対善も普遍的価値観も見失った私たちの、21世紀の「善き」人間でありたい私たちの新たな拠り所・指針となってくれるだろうか?
この多文化主義相対主義でいっぱいな現代世界において、何の憂いもなく堂々と公言できるという意味ではこれ以上ないほど稀有な、『正義』『普遍的価値観』『真理』として。


気候変動問題への取り組みが『正義』となった背景について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?

『気候正義』の正しさの射程はどれくらい? 

それは私たちが生活スタイルの変化を無条件に許容できるくらい?


地球温暖化を止めるには私たちが「肉や乳製品を食べなくなる」ことが不可欠 - GIGAZINE
まぁ概ね言っている事は正しいとは思うんですよね。ザ・ぶっちゃけトーク。文中でも言われているようにそれっぽく「不都合な真実」と言ってもいいかもしれない。

フォア氏は「地球が危機的状況にあることは多くの人が意識しているものの、実際に地球温暖化に対抗するべく活動している人は少ない」と指摘。2018年には人々がこれまで以上の環境に関する情報を手に入れていたにもかかわらず、過去最高の温室効果ガスを排出しました。これはつまり、問題認識はあっても多くの人が行動に移せていないという状況があることを意味します。

もちろん温室効果ガスの排出は一個人の活動で全てが決められるものではなく、中国やインドでの石炭使用の増加、世界経済の成長、人口の増加、さらに極端な気候による冷暖房使用の増加といった理由もあります。しかし、多くの人々が実際に地球温暖化対策を行っていないという点も事実であり、人々は地球温暖化の危機から目を背けているとのこと。

地球温暖化を止めるには私たちが「肉や乳製品を食べなくなる」ことが不可欠 - GIGAZINE

「子どもの数を減らす」「自動車を使わない生活をする」「飛行機に乗らないようにする」「植物中心の食生活にする」
身も蓋もないお話。それらが私たちの生活をかなり劇的に変えるのは間違いないよね。
(僕自身も含めて)普段は気軽に「温暖化ヤバい」と口にはするものの、しかしその対策のために私たちはどれだけの不便さ・ガマンをする覚悟があるのか、と問われるとまぁしり込みしてしまうよね。
そこまでする気はないって答える人が圧倒的な大多数なんじゃないかな。


だからこうしたジョナサン・サフラン・フォアさんの身も蓋もない主張って、逆説的に今話題のグレタ・トゥンベリさんの主張があそこまでウケている理由の一つ、でもあります。
彼女はまさに――一面の真実として――国連サミットに参加するような主流政治家たちの不作為を批判している。
しかし、何もそこに居る政治家たちの無能さや独断や偏見「だけ」によってその不作為が導かれているわけでは絶対にないでしょう。少なくとも民主主義国家であるならば、その政治家の背後には必ずその不作為を容認ないし黙認している私たち有権者の存在があるわけで。
なにしろ彼らを選んだのは、セクシーな小泉進次郎大臣を選んだのは、結局私たち有権者なのだから。


「邪悪そのもの」である政治家たちの『製造責任』のすべてが私たち有権者にあるわけでは絶対にない。
しかしその責任の一部は、そして進まない理由の一部は、絶対に私たちにもある。


これまでの日記でも書いてきたように、彼女の演説には突っ込みどころも少なくはないんですが、意図的なのか天然なのかライターが優秀なのか、上記理由からとても上手くできている内容だとも思うんですよね。
――それは政治エリートの責任を追及する一方で、私たち大衆側のそれをほとんど触れずに済ませているから。
「わるいのはせいじか!」という一点突破。
いやあ単純化された世界観でとても解りやすいよね。
現実世界の複雑さをまるっとオミットしているのも、まぁ話を簡潔にする為だと思えばそこまで悪くもない。


ただ、そうやって見えにくくすることはできても、しかし彼女の「変化」には二つの意味があることは否定しようがない。
マクロな政治を変えることは、ミクロな生活を変えることでもある。
まさに彼女自身が飛行機ではなくヨットでアメリカ大陸に渡ったことそれ自体が証明しているように。


「政治家は世界を変えるべきだ」と主張するとき、それと表裏一体にあるのは私たちミクロな個人生活も同様に「生活スタイルを変えるべきだ」という主張でもある。
だからこそ、この『気候正義』を議論するときに、少なくとも「大人」の議論として、この部分に触れないのはとても不誠実な態度だって思うんですよね。
私たちは一体、その正しさと引き換えに個人の生活からどれだけを差し出すつもりがあるの?




ちなみにここで、トップダウンボトムアップか、どちらが「主」「従」であるのかという点は実は結構重要だとも少し思ったりするんですよね。

  • 私たちは気候変動対策のために、
    • 個人の生活スタイルを変えることで、政治をも変えていくのか。
    • 政治を変えることで、個人の生活スタイルをも変えていくのか。


啓蒙的にエリートこそが変化を主導すべきでなのか、それとも大衆の意識を変えることで社会全体の変化を促すべきなのか。
――少なくとも僕は半径5メートルな人間関係においてすらも、上記4つの生活スタイルの変化を説得することはできないと思うので前者に賛成する以外ないかなあ。
金の話をしていてはお前たちの未来を守れない 金が無ければお前たちの未来を守れない - maukitiの日記
「中間層を沈黙させる程度の能力」を持つ彼女の真髄 - maukitiの日記
だからこそこれまでの日記の末尾で書いてきたように「当日記はグレタ・トゥンベリさんを応援しています」なんですよね。
だってすべての人類に叡智を授けるなんてぜったいむりだっておもうから。上から目線な政治的エリートによる強権発動でしか無理じゃないかな。
そしてそれが多くの面で民主主義政治な価値観とコンフリクトする可能性は、高い。




『気候正義』の正しさ射程について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?

「中間層を沈黙させる程度の能力」を持つ彼女の真髄

小泉大臣に引き続き国連には能力者いっぱいだねえ。さすが世界レベルだぜ!


憎悪の個人攻撃、「激しさ増している」 気候変動訴えるトゥーンベリさんが反発 - BBCニュース
マララと真逆のグレタ・トゥーンベリが、人々の心をつかめる理由 | サム・ポトリッキオ | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
グレタさんネタが思ったより盛り上がっているそうで。
海外に限らず日本のネットでもちらほら見かけることは多くて、まぁ思ったよりもマジレスしちゃう人が多いのは、そのままイデオロギー分断な現代社会っぽい光景ではあるのかなあと。

トゥーンベリさんは26日、ソーシャルメディアに「ヘイター(憎悪をまき散らす人)が今まで以上に活発になっている」と投稿した。トゥーンベリさんによれば、ヘイターたちは気候危機について話す代わりに「私の見た目、服装、癖、他の人との違い」などを追いかけているという。

憎悪の個人攻撃、「激しさ増している」 気候変動訴えるトゥーンベリさんが反発 - BBCニュース

これって所謂『生存者バイアス』そのままですよね。結果として、この状況でも尚発言するのが、発言せずにいられなのがそういう人たちというだけ。
反リベラルなのか、熱狂的否定派なのか、あるいは敵の敵は味方とばかりに(普段は関心ないくせに)反トランプの空気を敏感に感じ取っては尻馬に乗ろうとする人たち。
ザ・顔真っ赤。
われわれは民度がひくすぎるので - maukitiの日記
まぁ民度が低いというと身も蓋もありませんけど。空気を読まないマジレスはともかく、彼女の見た目とか服とか癖とかをイジった個人攻撃してしまう時点で敗北宣言に等しいよね。よかった。日本のゲーム実況動画にしょーもないコメントするような有象無象な人たちだけが殊更に民度低いわけじゃなかったんだ。
世界の人類みんなその程度なんだなあって安心できるよね。ぼくたちもダメでいいんだ。だってにんげんだもの


別にこんなの言うまでもないことですけども、彼女の発言に賛成するにしろ反対するにしろ、穏健的消極的な大多数の中間層は(正しい大人の振る舞いとして)「子供を見守る」的振る舞いが最適解でもあるわけでしょう。
対策の必要性が(彼女ほどには強くないにしても)あると思っている人はもちろん、あるいは多少反感を持つ人であってすらも。
彼女のご意見にマジレスすることは幾らでもできるけど、しかし相手は16歳の子供だもん。そこを否定してまっては「大人」として失格でしょう。
――であればこそあのトランプさんですら「ハッピーな子供」と婉曲的なツイートにとどめているわけだし。


かくしてどちらの中間層も正しく沈黙し、過激な両極の人たちの声だけが響き渡ることになる。
その構図を「激しさが増している」「活発になっている」と評するのはちょっとマッチポンプ感あるよねえ。それってつまり他の声が相対的に沈黙しただけなのに。




グレタさんが今回やってみせたことの顛末ってつまりそういうことだと思うんですよね。それ以上の意味があるかというというと……うーん、まぁ、そうねえ。
邪推としては、気候変動否定派な人たちはむしろ彼女が出てきたことで喜ぶべきだと思うんですよね。よりちょろい相手が出てきたという意味で。


グレタ・トゥーンベリさんが持つ「中間層を黙らせる程度の能力」について。
彼女が否定しようのない大正義である『子供からのご意見』というモノを振りかざすとき、恥ずべき私たち大人たちの大部分は正しく沈黙する。
もちろんそこには、今回の件を好意的に伝えるニュースが多くあるようにメリットが存在する。
しかし一方で、そうやって沈黙させることは意図せぬ結果として両極端の意見だけが目立つようになる状況を生むことにもなる。
だからこの構図って実はトランプさんのような気候変動否定派にも利する構造でもあるんですよね。だってそこでは本来現実的な意見として表明されていたより穏健派の意見をも封殺してしまうことになるから。


つまり今の状況って、実はグレタさんの意見に不満な人たちも笑うべき状況でもある。

国連気候行動サミットに集まった要人たちの前で、グレタは感情的かつ情熱たっぷりに毒を吐いた。「あなたたちは私の夢、私の子供時代を空虚な言葉で盗んだ。よくもそんなことを」

マララと真逆のグレタ・トゥーンベリが、人々の心をつかめる理由 | サム・ポトリッキオ | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

何故なら科学者の主流意見だとされる真っ当な気候変動の主張に反論するよりも、彼女のような攻撃的で過激で危険で感情的な意見に反論する方がずっと簡単なんだから。
冷静()な「大人の意見」として。
激怒しているグレタさんを前面に押し出せば押し出すほど、気候変動対策を訴える人たちは感情的である、というレッテルが貼りやすくなる。
子供な彼女に対して敢えて煽っているかのようにも見えるトランプさんがやっていることって、つまりそういうことですよね。


彼女が過激なことを言えば言うほど喜ぶのはただそれに賛成する人たちだけでなく、狡猾な気候変動対策にネガティブな人たちでもある。
「子供を政治利用している!」と怒る人は少なくありませんけども、でもそれって諸刃の剣でもあるんですよ。


実際に、正しく気候変動の脅威を認識していながらも過激な対策には反対する圧倒的大多数の穏健派たちの声は、まさに彼女の過激な意見によって沈黙させられている。
やっぱり今の構図ってトランプさんのような気候変動否定派な人たちも高笑いしててもおかしくないって思うんですよね。




当日記はグレタ・トゥンベリさんを応援しています。