通常日記

手抜き日記。
 

  • 米政府、「ワクチンパスポート」導入しないと発表 - BBCニュース
    • ナチュラルとコーディネーターな分断世界が生まれそうでwktkしてました。
    • ぶっちゃけこれに近いことをやる所は絶対他に出てくるよねえ。そしてその上で、ではその他のワクチンについても似たような制度を取り入れることになったら? と思考実験するとすごい面白いよね。反ワクチンの人たちは喜ぶのか怒るのかすっごい気になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 「マリオカート」に世界から貧困をなくすヒントがあるとの論文が発表される - GIGAZINE
    • 割と面白いお話。というか以前どっかで見たマリオカートゲームデザインの記事で似たようなことを言っていたよねえ。逆転がしやすいアイテムはプレイヤーからは不評だけれども、無ければ無いでゲームが単調なモノになる、なんて。
    • 転じて、現実世界について「逆転が少ない平坦な」世界であって欲しいと願う人たちはおそらくかなりの数でいて、そうした人たちの声に真摯に応えた結果がご覧の現実世界である、というのが個人的なポジションになるかなあ。それが良いか悪いかは別問題として。割と悩ましいところ。以前労働市場ネタで書いた気がしますけども、それって絶対コンフリクトするよねえ。

 

 

「職業に貴賤はない」と貴方がたは言うけれど、

それって賤が「無いことになっている」だけじゃないの???



アマゾン配送員、飲料ボトルに排尿せざるを得ないことも 同社が認め謝罪 - BBCニュース
先日の通常日記でも少し言及したアマゾン従業員のボトラー疑惑のお話をもう少しだけ。

するとアマゾンは直後に「ボトルに排尿するなんてことを本当に信じているわけじゃないですよね? もしそれが本当なら、誰ひとり私たちのために働かないだろう」と反応した。

アマゾン配送員、飲料ボトルに排尿せざるを得ないことも 同社が認め謝罪 - BBCニュース

この反論が二重の意味で墓穴を掘っていて、あまりにも見事すぎるザ・「語るに落ちてる」感あってすごい好きなんですよねえ。
誰も働かないよ、と自分が考えている職場で実は働かせている、という邪悪さ。
名探偵の誘導尋問でうっかり自白しちゃうバカな犯人役なのかな?



「普通の人間ならば(ここ重要)、そのような劣悪な職場環境で働くことはあり得ない=故にアマゾンでもそんなことはありえない」という無邪気な確信。
そんな風に強い言葉で反論するものだから、いざボトラー労働が真実だと明らかになってしまったとき、ただのウソや隠蔽以上の傲岸さと無神経さからくる社会の『断絶』の見せてしまっている。

ポカーン議員は3日、アマゾンの謝罪を拒否し、「はぁ。これは私をめぐる問題ではなく、あなた方が十分な敬意と尊厳をもって接していない従業員をめぐる問題なんだ。まず、すべての労働者に不適切な労働環境を与えていることを認め、次にみんなのためにその問題を解決し、最後に、労働者が会社から妨害を受けることなく労組を結成できるようにしてください」とツイートした。

アマゾン配送員、飲料ボトルに排尿せざるを得ないことも 同社が認め謝罪 - BBCニュース

この問題を告発していた議員が「あなた方が十分な敬意と尊厳をもって接していない従業員をめぐる問題」と言っていたのは、まぁその通りなんですよね。
重要なのは、トイレが使えないことそれ自体じゃないんですよ。
自らが図らずも自白しているように「もしそれが本当なら、誰ひとり私たちのために働かないだろう」と言いながらも、実際にはそれで長年働いてきた人たちの存在しているという事実。
つまりそれって、そのような環境で働いている人たちのことがまったく見えていなかった、考慮していなかったということに他ならないわけで。



そんな人間扱いされない使い捨ての労働者という構図というのはそこれそアマゾンに限らず、私たち日本のブラック企業や実習生制度のアレコレ、もちろん世界中にありふれている光景でもありますけど。
『見えない人間』を見る気のない人間 - maukitiの日記
この辺は以前も日記ネタにしたことがあって、つまるところラルフ・エリソンの『見えない人間』のそれと同じ構造にあるのでしょう。

ラルフ・エリソンが『見えない人間』の中で述べているのは、何も直接的な侮蔑ではなくて、そうした無関心の極致にあるような態度こそが被差別な立場にある人びとの尊厳を傷つけている、ということなんですよね。
アメリカ北部にあった黒人への人種差別の極致とは、黒人を無いものとして扱う白人たちの態度である、と。
不当な扱いをすることだけが差別ではなく、そもそも同じ人間だとみなされていないことこそが。

『見えない人間』を見る気のない人間 - maukitiの日記

やっぱり上記の最初にも書いたアマゾンの反論って、『見えない人間』扱いされているアマゾンドライバー、という構図についてこれ以上ないほど見事に語るに落ちている発言だと思うんですよねえ。
アメリカ版平田オリザ
日本のアレも、アメリカのコレも、もう社会分断を煽るためにワザとやってるんじゃなかって思うレベルの。


ということで巨大企業にまともに人間扱いされずに働かされる彼ら彼女らは、自らへの敬意と尊厳と取り戻すために働いてくれるだろう政治家たちに投票することになる。
黒人の権利をきちんと守ってくれるだろう政治家に投票したあの時のように。
アングル:バイデン陣営に食い込む巨大IT企業、「追及」に備え | ロイター
……一体だれが?
おれたちには、トランプしかないんだ! だから、これがいちばんいいんだ! - maukitiの日記
もしかして:トランプ



敬意と尊厳が与えられないまま働かされる人たちと、まるでそんな人間扱いされない職場環境など存在しないかのように振る舞う人たちによって生まれる断絶。
現代社会の縮図のような今回のボトラー騒動なお話について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?
 
 

帝国の終焉?

一周回って、にほんがつんでる!


Niall Ferguson: A Taiwan Crisis May End the American Empire - Bloomberg
ということで前回通常日記でも触れたニーアル・ファーガソンの論考記事に衝撃を受けたのでもう少しだけ。

Berlin was talking about writers. But the same distinction can be drawn in the realm of great-power politics. Today, there are two superpowers in the world, the U.S. and China. The former is a fox. American foreign policy is, to borrow Berlin’s terms, “scattered or diffused, moving on many levels.” China, by contrast, is a hedgehog: it relates everything to “one unchanging, all-embracing, sometimes self-contradictory and incomplete, at times fanatical, unitary inner vision.”

Niall Ferguson: A Taiwan Crisis May End the American Empire - Bloomberg

アイザイア・バーリンの作家についての有名な著作である『ハリネズミと狐』を引用して、彼は現在の米中を「守るべきものが多すぎるアメリカ」と「台湾を最重要問題と位置付けている中国」と話している。
そしてその両者が戦うことになると……。



ここで個人的に歴史の韻として興味深いのは、この状況って両大戦前夜のイギリスそっくりな構図な所だと思うんですよね。
――いやまぁ守るべきモノの多い覇権国家と、そうではない挑戦者、という国際関係論では人類史では永遠に変わらないだろうとされる構図でもあるんですが。
ドイツの膨張を見て、海外の帝国領土防衛を優先させるのか、あるいはイギリス本土の防衛を優先させるのか、という難問に直面したイギリス。
その難問に1910年代と1930年代の二回も直面したという点で割とギャグのようなお話でもあるんですけど。
しかし、どちらにしても1912年にチャーチルがエジプトではなくイギリス本土防衛の為にマルタ艦隊を北海に戻すという決断をしたとき、ドイツとの戦争の勝利と引き換えに、イギリスという世界帝国の終焉の始まりとなった。その後退は1930年代の第二次大戦でも同様に進み(これは私たち日本もまったく他人事ではなかった)、最後にはスエズ危機で完全に帝国は終焉を迎える。


かくして50年ほど掛けて「守るべきモノが多すぎた」イギリスは、徐々に海外領土を諦めていき最後には次の世界帝国たるアメリカにトドメを刺されれることになった。
いやあ色々示唆的ではあるよねえ。
はたして、アメリカが防衛すると明言している『台湾』も、そうした事例の歴史の1ページとなるのだろうか?


現代のアメリカが世界帝国たる所以となっている、東アジア・中東・東ヨーロッパに展開しているアメリカ軍たち。
もちろん全軍で戦えば、少なくとも「今はまだ(ここ重要)」アメリカが勝つのは間違いない。
ところが守るべきモノが多すぎるアメリカは、それを集中するということは別のどこかを諦めなくてはならない。
本当に、そんな決断できるの???
少なくとも上記イギリスの事例では、そうした決断には大きな反発があり、だからこそそれでも決断し国を救ったチャーチルが英雄扱いされているわけで。
現代アメリカの政治家たちは、核保有国同士の戦争を回避しアメリカ本土を守ろうと、チャーチルの決断に比肩する決断をすることができるのだろうか。


まぁそうしたレッドライン詐欺な決断がされるということは、身も蓋もなく台湾が見捨てられるということであり、「明日は我が身」な私たち日本国民でもあるんですけど。
そして一方で、アメリカが「台湾を絶対に見捨てない」という決断をするということはつまり……。
うーん、にほんつんでる。


もちろんここで私たちの(中国以外の)誰もが満足する結果というのもあって、それは中国が台湾への武力統一という選択肢を諦めるという未来である。
まさに今のアメリカがそうしているように「台湾は絶対に見捨てないぞ~!」という強力なメッセージを発信しまくればそうなる可能性もあるかもしれない。

As a student of history, to quote Kissinger, I see a very dangerous situation. The U.S. commitment to Taiwan has grown verbally stronger even as it has become militarily weaker. When a commitment is said to be “rock-solid” but in reality has the consistency of fine sand, there is a danger that both sides miscalculate.

Niall Ferguson: A Taiwan Crisis May End the American Empire - Bloomberg

しかし、ニーアル・ファーガソンは言葉だけが強くなっていて、むしろ軍事的コミットは弱体化し不安定化しているとも指摘しているわけで。それこそ対戦相手である中国は、逆に血を流さすにアメリカが撤退してくれれば万歳ということで、こちらと逆方向に同じように考えているのも間違いない。
そうした両者の思惑から、悲しいかな、専門家の意見としては現状維持が続くという可能性はあまり高くない。
はたしてアメリカが『帝国の終焉』を決断せざるを得ない状況はやってくるのか。


やっぱり私たち日本としては、ことその決断がされる状況に陥ってはどう転んでもネガティブな影響しかないというハラショーな立場にいるんですけど。
でもそれも仕方ないよね。
だってアメリカという世界帝国の庇護下において、おそらく世界でも最も恩恵を受けぬくぬくとしてきたヘイワシュギな日本だもの。それが無くなってしまった時に一番大きなダメージを受けるのも道理であります。



アメリカ帝国の終焉について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?
 
 

通常日記

手抜き日記。

 

  • Niall Ferguson: A Taiwan Crisis May End the American Empire - Bloomberg
    • ニーアル・ファーガソン大先生の大変面白いお話。もし台湾でも『レッドライン詐欺』をやってしまったらそれはアメリカ帝国の終焉である、なんて。まぁ割とありうるお話だよねえ。太平洋の半分が中国側になること待ったなし。かといって熱戦となってもやっぱり私たち日本は最前線間違いなしであります。中国語勉強しておくべきかな?
  • 「If Stavridis is right, Taiwan would be more like Belgium in 1914 or Poland in 1939.」
    • 国際関係論好きな私たちとしては、最後にあるこの言葉だけですっごくゾクゾクしてきますよね。台湾は1914年のベルギーか1939年のポーランドのようになってしまうのだろうか?

 

  • 【独自】核兵器の先制不使用案は「日本の反対で断念」 オバマ政権元高官が証言:東京新聞 TOKYO Web
    • 核禁止条約に入らなかったポジションと一貫していると言うことはできるかもしれない。上記のような現代世界を見た場合、個人的にはオバマより日本政府の方が現実が見えていると評価しますけど。
  • 「一般論では核の先制不使用は全核保有国が検証可能な形で同時に行わなければ有意義でない。米政権の安保戦略の暫定指針は承知しており、現実の脅威に適切に対処しながら核軍縮を進めることは適切と考える」
    • 日本政府の「あやまちを繰り返さない」為のさえたやり方について。まぁもちろん核廃絶に熱心な人たちは怒るでしょうけど、そこまで一般の人たちこの問題に興味あるかなあと考えると、そこまで無いだろうし特に反発もされないんじゃないかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本国民が、もうワクチン行政に悩まされなくても、いいようにする!

エピストクラシーか、テクノクラシーか、どちらでもお好きな方をお選びください。
まぁ悩み続けるのもやむなしというのであれば、これまで通りデモクラシーを続ければいいんじゃないかな。



<新型コロナ>国産ワクチン、3年前に治験直前で頓挫 東大・石井教授「日本は長年、研究軽視」のツケ今に:東京新聞 TOKYO Web
ということで、こうして現実の『危機』によって明らかになった、ワクチン行政についての身も蓋もないお話。

◆副反応訴訟めぐり承認20年進まず
 なぜ国は予算を付けなかったのか。一つは、ワクチンの副反応が国内で問題として広く報道され、世論がワクチンを受け入れにくいことがある。国の指導で自治体が奨励したさまざまな予防接種を巡っては、1992年のワクチンの副反応の集団訴訟で国が敗訴。それ以降の約20年間、国内では新しいワクチンがほとんど承認されなかった。
 企業もワクチン開発に力を入れてこず、研究者も少なくなった。石井さんは「(コロナの第1波があった)昨春、すぐに対応できる企業はなかった」とみる。加えて、米国では治験と同時に製造施設の準備を始めるなどの「ワープスピード作戦」に大規模な予算が投じられたが、日本では財政の動きも鈍かった。

<新型コロナ>国産ワクチン、3年前に治験直前で頓挫 東大・石井教授「日本は長年、研究軽視」のツケ今に:東京新聞 TOKYO Web

……うーん、まぁ、そうねえ。
売れるからと反ワクチン報道に熱を上げたマスコミが悪いのか、それを真に受けた国民が悪いのか、あるいはその国民世論を忖度した政治家たちが悪いのか。
まぁみなさんそれぞれに個人的なポジションに沿う形での悪者を定義づけてみればいいんじゃないかな。
それでココロの平穏を買えるならばお酒や薬に頼るよりはマシだろうしね。ただ内心にとどまらず陰謀論に走って周りを巻き込むのはかんべんな。
医療情報室レポート№199( 特 集 : 我が国の予防接種行政を考える )
個人的にどれが誰が一番悪かったのかと敢えて答えるならば、まぁ曲がりなりにも『主権者』とされる私たち国民の方じゃないかなあ。
その立場から考えると、今回のワクチン自国開発失敗の顛末って、まぁ原発事故やあるいは巨大地震対策でも見られた割と「あるある」な光景ではあるので、今回のワクチン開発失敗を、さも例外かのように殊更に論ってみてもあんまり得るものはなさそうとは思います。
なにしろ愚かですぐに騙され感情的反応に走ってしまう私たちがバカな思い込みをして、それを受けて政治が動いた結果でしかないのだから。


ここでふと考えてみると面白い日記ネタになるのは、ならばこの失敗を繰り返さないために必要なのは我々が愛し確信している民主主義政治を捨てるのが一番簡単である、という点だと思うんですよね。
マスコミのバカなニュースに騙されない、かしこい人たちがワクチン行政を強権的に差配すればよかった。
つまり、無数の人びとによる愚かな意思決定ではなく、上記教東京新聞のインタビューに答えている教授のような少数の賢者か専門家による政治的意思決定こそが正解だった。
次からそうすればいいよね。ワクチン行政に素人が口を出すから失敗したのだ。
「素人は黙っとれ――」といつもの画像を張るだけ。簡単じゃん!


それこそプラトンの時代から現代中国共産党まで通じる、『無知による統治』という民主主義政治への批判があるように。
まぁ彼らの言うことって概ね正論ではあるんですよね。
別に何も常に無知で愚かな振る舞いをするのが民主主義の常だと言いたいわけじゃないんですよ。ただ、それこそ今回のワクチンのようにマスコミが誤った情報を大々的に流すこともあるし、あるいはそもそも(トランプやブリグジットの方を見ながら)知識の限界から判断を誤ることだってある。
根本的な大前提としてあるのは、そもそも民主主義政治というのは最後の一線で、その判断能力や専門知識の有無ではなく公平な権利こそが一番重要だと考えている、という点でしょう。
失敗を回避する、ことが最優先じゃないんだから多かれ少なかれこうなってしまうのもある意味で当然の話ではあります。



ということで今回のワクチン騒動の失態を繰り返さない解決策としては単純なんですよ。
――その政治的意思決定を、少数の賢者か、少数の専門家に委ねればいいだけ。
――間違った選択肢をしようとも「社会の構成員たちは、誰もが政治とその結果に関与すべきである」という目的こそを大前提に置く民主主義政治を捨てればいいだけ。
おそらく賢者や専門家である彼ら彼女らは、衆愚な我々がとったワクチン忌避な選択肢とは違い、その科学的知見を下に――まさに人類が感染症と戦うための叡智の結晶である武器――ワクチンの開発とその接種を強力に推し進めていくことでしょう。
おわり。
さらば、全てのデモクラシー。
こんにちは、エピストクラシーかテクノクラシー




ただ、ここで重要なのは、政治的意思決定に参加する資格を誰に与えるか、という単純な話じゃないんですよね。
むしろ考えなければいけないのは、政治的意思決定者を決めるにあたって一体何を最重要視すべきなのか、という点であります。

  • 政治決定に間違いを出来る限り減らすのを第一目的とすべきなのか?
  • それとも、誰もが政治決定に関わる平等と公正さを担保することを第一目的とすべきなのか?

その二つは根本的にコンフリクトする難題であります。まぁもちろん我々の誰もがかしこくなれば問題解決はするんですが、それでは当日記定番オチである「ならば、今すぐ愚民どもすべてに英知を授けてみせろ!」とマジレスされるの不可避であります。
逆説的に、上記のようなプラトン中国共産党が言う『無知による統治』が民主主義批判としては的外れな理由でもある。
だってそもそも無知な人たちにも統治に参加する権利を与えるのが民主主義であるんだから。それは欠点ではなくむしろ美徳である。
そしてこれは、かれこれ2000年以上、政治的動物である私たち人類がずっと問い続けてきた難問でもある。



現実に生きる私たちとしては、正解が解らないままでも、とりあえずはどちらかを選ばなくてはいけない。
デモクラシーか。あるいはエピストクラシーかテクノクラシーか。
つまり我々は、政治に「まず」何を求めるのか。



公平さか、間違いの少なさか。
このアホみたいなワクチン騒動での政治的意思決定のお粗末さをご覧になったみなさんは、いかがお考えでしょうか?
 
 

通常日記

手抜き日記。
 

 

 

 

 

 

 

  • JRで車いすは乗車拒否されました : コラムニスト伊是名夏子ブログ
    • うーん、まぁ、そうねえ。基本的にあるべき理想論・目指すべき目標としては言っていることには概ね同意します。できるものならバリアフリーした方がいいに決まっているよね。
    • ただ現実のおカネの問題を考えた時に、この目標を推進していくことは、つまり「インフラの衰退」を率直に認め、よりコンパクトシティ化や地方(赤字路線)を積極的に切り捨てていく、という結論にしかならないと個人的には思うんですよねえ。功利主義的に考えた時、一体どちらがより多くの幸福を生み出せるだろうか? というのは割と難題じゃないかと。
    • もちろんこの方は別のアイディアがあるのかもしれませんけど。僕にはそうした未来像しか想定できない。みなさんはいかがお考えでしょうか?

 

 

 
 

商業主義化した東京オリンピックに立ちふさがる、最強のふたり

大坂なおみと文春。


『AKIRA』主人公のバイクが… 渡辺直美も絶賛した「MIKIKOチーム開会式案」の全貌 | 文春オンライン
東京五輪組織委員会の「週刊文春 発売中止及び回収」要求に対する「週刊文春」編集部のコメント | 文春オンライン
ということで、組織委員会がマジレスしてしまって大炎上しているらしい文春の記事であります。

 記事は、演出家のMIKIKO氏が開会式責任者から排除されていく過程で、葬り去られてしまった開会式案などを報じています。侮辱演出案や政治家の“口利き”など不適切な運営が行われ、巨額の税金が浪費された疑いがある開会式の内情を報じることには高い公共性、公益性があります。著作権法違反や業務妨害にあたるものでないことは明らかです。

東京五輪組織委員会の「週刊文春 発売中止及び回収」要求に対する「週刊文春」編集部のコメント | 文春オンライン

個人的にはこの記事を『文春』が報じたということ自体が面白いニュースだと思います。
以前も通常日記で少し言及しましたけども、結果として、既存権力・権益に真っ向から立ち向かっているのが文春という週刊誌になっているのはジャーナリズムの鼓動を感じてしまうお話だよなあと。


他のマスメディアは、この内部情報を手に入れることができなかったの???
それとも手に入れていたけれども、組織委員会からのクレームが怖くて黙っていたの???
あるいは、そもそも内部情報にニュース価値があるとは思っていなかったの???


まぁでも特にテレビを中心にした既存マスコミがコレを批判できなかったのも理解はできるんですよね。
――だって彼らはその巨額放映権と大きく見込める視聴率というポジションから、完全に利害当事者なんだから。
利益相反どころの騒ぎではなく、完全にオリンピックの側に立ってしまっている。そんな彼ら彼女らが内部告発のような「都合の悪い」ニュースを取り上げるなんてありえない。


そうした構図を考えてみると、上記文春編集部のコメントって、むしろ他のマスメディアに対してのものすごい火の玉ストレートになっている所がクッソ面白いよなあと。
商業主義に進化したオリンピックによって、メディアもその権益に深く組み入れられてしまった故に、強く批判できない。
そこに登場した文春が、権益構造を監視し報道するジャーナリズムという存在価値を正しく証明してしまっている。


ということで、今回の文春騒動の件って、商業主義化したオリンピックの歪みの一つ、だと思ってます。
勇気ある週刊文春の報道というだけでなく、
メディアがスポンサー様には逆らないという本質的制約と同じように、放映権と視聴率を人質に取られたマスメディアの沈黙、という逆証明という形での。




かくして2020年の東京オリンピックでは、これまでも批判されていたその行き過ぎた商業主義という問題について、メディアとジャーナリズムという構図が再び議論になりつつある。
チキチキ! ならばスポーツ大会で「許される」「許されない」政治的主張のラインはどこなのか選手権! - maukitiの日記
今ふたたび、スポーツに政治的意見を持ち込むことについて問われている私たち - maukitiの日記
更にはそれだけでなく、近代オリンピックが1980年のモスクワ以降の政治的主張の否定、という問題も大坂なおみさんによって再浮上しているわけで。
ボイコットの報復合戦を終わらせるために政治中立化が求められたからこそ、商業主義に走らざるを得なかったオリンピック。
商業的に成功したからこそ、政治的中立を実現したオリンピック。

もし今回のように「黒人の人権を守れ!」が許されるならば、
ウイグル人たちの人権を守れ!」とスポーツ大会で言う事も許されるの?
この大阪さんの『勇気ある発言』の後ろには――もちろんそのことが彼女個人の責任に帰するわけでは絶対にない――世界中に無数にあふれている『人権蹂躙に関する政治的主張』の是非について、我々の態度が問われることになる。
その意味で、確かに、勇気ある彼女は世界を変えようとしている。

チキチキ! ならばスポーツ大会で「許される」「許されない」政治的主張のラインはどこなのか選手権! - maukitiの日記

前門の大坂なおみ。後門の文春。
世界最大というレベルにまで商業化したオリンピックに立ちふさがる難敵たち。


一方はその政治的主張の再復活を目論んでおり、
そのもう一方ではメディアを巻き込んだ巨大イベントと化したことで不在となっていた権力監視なジャーナリズムの正義を、再び叫ぼうとしている。


政治的中立を諦めるということは、かつてのような「(まさに大坂なおみさんがやっていたように)ボイコット」が乱発される政治分断なオリンピックの復活でもあるし、
マスメディアを利害当事者として巻き込んでいる商業主義オリンピックを批判するということもまた、政治的中立を実現していた経済的自立の終わりの始まりでもある。


どちらにしても二人は、商業主義なオリンピックに対しての、強力な批判的メッセージを発信している。
いやあコロナだけにとどまらず、オリンピックをやるのって大変だよね。
他人事として見る分には、正直本番を見るよりもクッソ面白い政治ショーだとは思ってるんですけど。


現代のオリンピックの方向性を決定づけている、不可分な政治的中立と商業主義について。
これから先一体どうなっていくんでしょうね。
みなさんはいかがお考えでしょうか?