通常日記

手抜き日記。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『(立憲君主)信仰の擁護者』が去るとき

神が守っていた女王陛下が守っていた立憲君主制
 
 

英エリザベス女王、死去 英王室発表 - BBCニュース
エリザベス女王が亡くなったそうで。ゴルバチョフさんに続いてのニュースで、かの時代を象徴していた最後の世代の人たちが去っていく、というタイミングでもあるのでしょうね。

英王室は8日夕、エリザベス女王が滞在中のスコットランド・バルモラル城で亡くなったと発表した。96歳だった。

王室は声明で、「女王は本日午後、バルモラルで穏やかに亡くなった」と発表。「国王と王妃は今晩、バルモラルにとどまり、明日ロンドンに戻る」と発表した。

エリザベス女王の死去を受けて、長男チャールズ皇太子が国王となった。これからイギリスの追悼の先頭に立つ。国王は正式名がチャールズ3世となる。

英エリザベス女王、死去 英王室発表 - BBCニュース

かくも偉大であったエリザベス女王の死去と『コモンウェルス・レルム』の今後については、マジで無限にネタがある位語る価値があるネタだとは思うものの、せいぜい本を数冊読んだだけの浅学な僕には手の余るお話ではあるので、今後いっぱい出てくるであろう評論や論文を楽しみにしておきます。


【評伝】 エリザベス2世、強い義務感が支えた長い治世 - BBCニュース
本邦では数年前に退位という形をとったおかげで大分和らいだその喪失のショックは、上記の英連邦だけでなく、おそらくは――最近はそういう言葉を使われなかったものの――『君主制』そのものへの疑義がまた強まって行くのでしょう。
あまりにも名君だった故の、その反動として。
個人的には、徐々に『国家』が融解していきかねない遠心力が強くなりがちな現代民主主義政治制度においては、割と立憲君主制は理に適った制度だとは思っているんですよね。ただ、そうはいってもこの連綿と続く『王室』システムなんて、こんなの後付けで用意できる存在じゃないかなり幸運な偶然の産物でもあるんですけど(クーデターを企むほどに政治的でなく*1、且つ国民世論の主流から嫌われない程度には愛される王室なんて生存バイアスじゃないですけどもうほとんど残っていないわけで。)。
今回の死去を受けても見られるように、まさに、国民のほとんどが女王の死を悼むこの光景こそイギリスである、なんて。
……でもイギリスの場合、それが最後の砦というか保険というかその固有のアイデンティティが強すぎて、EU離脱を間接的に擁護してしまった面があるようにも思うんですけども。


ただまぁ今回の件でも解りやすく明示されていたりしますけども、これだけ慕われたエリザベス女王ですら、あるいはだからこそ、まぁその統治の間に起きた出来事によって端的に言ってインドなど一部外国から「憎まれていた」ことが見えてしまうのは、国際関係の色々と限界を感じてしまうと言うかなんというか。
ずっと議論され続けているEU構想に致命的に欠けているヨーロッパ人としてのアイデンティティーや、あるいは気候変動や核の安全保障などグローバルな問題に必要不可欠なその協力体制はほど遠いよねえ。
まさか共有できる王室なんてあるはずもない我々グローバルな地球市民は、一体どのような価値に固有のアイデンティティを見出し協力体制を築けばいいのだろうか? そして現状のそれらの問題が解決できていないように、我々も答えを見つけ出せていない。


エリザベス女王の死去について。
「エリザベス2世、神の恩寵による、グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国および他のレルムや領域の女王、コモンウェルスの長、」などそもそも縁遠い他のどれよりも、極東の某国から見たら、『(立憲君主制)信仰の擁護者』ではあったかなあ。
まさに名前だけではない、本人の資質と行動そのものが示してきた現代的な王室の在り方として。
女王陛下は神が守ってくれたものの、ではその女王陛下が守ってきた君主制は一体どうなってしまうのか。
まったく私たち日本人も他人事ではないよねえ。



みなさんはいかがお考えでしょうか?
 
 

*1:ぶっちゃけヨーロッパの他の王家が消えていったのはコレが大きいよね。

通常日記

手抜き日記。

 

  • 東京五輪贈収賄事件 「大広」を捜索 KADOKAWAからも多額資金か | NHK | 事件
  • 組織委元理事 AOKI以外の複数企業もスポンサー候補で紹介か | NHK | 事件
    • なんか割とものすごい大きなニュースになっているアレ。ミクロな私たちの生活にも直結している名前が出てきているのもあるせいか、周囲でも盛り上がってるなあと生暖かく眺めてます。
    • 個人的にはずっと書いているようにオリンピックはやってもやらなくてもどっちでもいいし、結局東京オリンピックもほぼ見なかったし、今でもその思いは変わってないです。札幌もやりたい人が多いならやればいいんじゃないかな。
    • ――その一方で、開会式のgdgdの顛末やこのスポンサー騒動を見ると問題はオリンピック云々にとどまらない害悪さなので、それはそれとして、どんどん膿を出せばいいとぉもぅょ。むしろこうしてこれまで表沙汰にならなかった一部組織のヤバい部分を露にしてくれるなら、今後はオリンピック開催を応援したくなるし、なんなら競技本番よりも面白いまである。

 

 

 
 

 

 

 

 

 


  • 日本ではなぜ経口中絶薬に配偶者の同意が必要なのか - BBCニュース
    • 僕は基本的に賛成しますけども、その一方で「ここでプロライフの意見をひとつまみっと……」ってやりたくなる気持ちも同時に生まれてしまうかなあ。
    • 「女性の身体は女性の物」というのはもちろん大前提として、ではそのお腹の胎児をどうにか(意味深)する権利はだれのもの?

 

 

 

  • 「ロード・オブ・ザ・リング:力の指輪」が配信初日に2500万回以上視聴されるも「レビュー非表示措置」が施される - GIGAZINE
    • なんか燃え上がってるやつ。原作設定よりも配慮を優先すると言うのであれば、まぁそれはそれで一つの「市場の要請」ということで個人的にはいいんじゃないの派かなあ。――と簡単に考えてしまうのは別に僕が原作にコダワリがないからなんでしょうけど。一方で原作好きな人の反発もわからなくはないし、なんなら制作側が「(制作の都合上)原作と解釈不一致にしました」とか言っておけばいいんじゃないかな。
    • それこそ過去にやってきたゲームあるいは映画だって(逆の意味も含めて)『政治的配慮*1』がなされてきた作品なんていっぱいあるわけだし。まぁエンタメだろうと、いやエンタメだからこそそんなもんだよね。

 


 
 

*1:例えば『FE聖戦の系譜』の近親婚設定とか

天国(世界平和)に一番近かった男

「1991年8月19日までにソ連を改革できなければ即死亡!」



ゴルバチョフ元大統領が死去、91歳 ソ連最後の指導者 - BBCニュース
旧ソ連最後の指導者、ゴルバチョフ氏の政治人生を振り返る - BBCニュース
そういえばゴルバチョフさんが亡くなったそうで。

リチャード・ニクソン米大統領時代に国務長官を務めたヘンリー・キッシンジャー氏はBBCのニュース番組「ニューズナイト」の取材に応じ、ゴルバチョフ氏は「人類とロシア国民のためになる歴史的な変革を始めた人物として歴史に刻まれるだろう」と述べた。

ゴルバチョフ政権と共に東西ドイツの統一交渉を行った元米高官のジェイムズ・ベイカー氏は米紙ニューヨーク・タイムズに、「ゴルバチョフ氏は彼の偉大な国家を民主主義へと導いた巨人として、歴史に名を残すだろう」と語った。

ゴルバチョフ元大統領が死去、91歳 ソ連最後の指導者 - BBCニュース

以前からちょくちょくこの人に関連する時代についての本を読んでいて、身近な分本邦の某鳩山さんを個人的には思い出してしまうんですよねえ。
おそらくは本気で善意で『改革』を推し進めようと意気込んでいたものの、結局はそれに(むしろ悪影響の方が大きいというレベルで)大失敗してしまった。
ゴルバチョフは昭和の・ソ連鳩山由紀夫だったかもしれねえ。いやまぁ時系列的には「平成のゴルバチョフ」の方が鳩山さんなんですけど。




第7回 「ウクライナ侵攻はない」と旧ソ連の専門家はなぜ主張したのか | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト
「西高東低」のゴルバチョフ氏の評価 そのギャップから学ぶべきこと:朝日新聞デジタル
「ゴルバチョフ逝去をロシア人がどう思っているか知りたい」海外の反応|暇は無味無臭の劇薬
上記BBCや廣瀬先生あるいは大串先生などの旧ソ連の専門家の方々が指摘しているように、結果として冷戦を終結させることになったゴルバチョフについて、西側からは「ソ連からやってきた平和の使者!」的な扱いをされることが多いものの、その国内ではまぁ悪魔の様な扱いであったと。

「昔、ゴルバチョフが好きでした、とは一言も言えなくなりました。『最初はよかったけれど、後で国家運営に失敗した』ということではなくて、最初から評判悪いですし、それも特にアゼルバイジャンだけというわけでもないんです。ゴルバチョフ時代にソ連の各地で、反ロシア的な行動が起きたとき、彼は激しい弾圧をしていたんですよね。アゼルバイジャンの場合ですと、1990年、ソビエト連邦軍がバクーに侵攻した『黒い1月事件』があり、相当数の一般人が殺されました。それを決断したのは、最後はゴルバチョフです。わたしが、『ゴルバチョフすごい』と思っていた頃は日本では相当なアンテナを張っていない限り、そういう情報はキャッチできなかったと思います。しかし、後で調べてみると、旧ソ連のあちこちで弾圧や流血の惨事が起きていたんです」

第7回 「ウクライナ侵攻はない」と旧ソ連の専門家はなぜ主張したのか | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト

そして事実上共産党と一体化していたKGBを統制することにも失敗した彼は、運命の1991年8月19日に至り最終的には救出されるもののクーデターまでされてしまう。
う~ん、やはりこれはスケールのより大きいソ連の鳩山。少なくとも実際に欧米諸国を「トラスト」させることには成功していたし、なんなら新たな世界平和を目指しながらも失敗してしまうところまで。



ともあれ、結果として、西側とも協力することでロシアを再びアメリカに並ぶ超大国にするというゴルバチョフの試みは致命的に失敗し、その彼自身への悪評だけでなく国内的には西側との協力関係というテーマもまた致命的に信用されなくなってしまった。今でも民主党政権時代の負の遺産を思い出させ政権交代という幻想を棄てさせてくれているあの人のことかな?
――どちらにしても、そのソ連崩壊時の民衆たちの恨みつらみは、プーチンの下で西側非難な陰謀論として歪に培養されていき、やがてそのナショナリズムウクライナへの戦争という形で噴き上がることになる。
帝国の復讐 - maukitiの日記
歴史学者ドミニク・リーベンが解説する「“帝国の崩壊”という観点からみたウクライナ侵攻」 | 「ソビエト帝国の無血解体」という奇跡への代償 | クーリエ・ジャポン
こうしたゴルバチョフから始まる今尚続く『ソ連崩壊の物語』として見ると、新しい戦争の始まりというよりは、むしろ冷戦終結ソ連崩壊の余波であるという指摘には割と納得できる構図であるように思えます。


一方で特に皮肉な構図だと思うのは、国内では『悪魔』とまで言われていたゴルバチョフを、西側では本気で善意から無邪気に冷戦終結=世界平和の立役者であると持て囃した結果が、今のプーチンですら用いている「欧米によるロシア弱体化の陰謀」の歴史的な証拠だと見られてしまっている点でしょう。
その評価のギャップこそが、今の欧米のロシアの価値観の分断を生んでしまっている。
いやまぁそもそも東西冷戦時代からすれ違ったままだろうと言うとまぁ身も蓋もないんですけど。


その最初の一歩であるはずの「ゴルバチョフ評」すらも、こうして「世界平和に一番近づいた男」と「地獄行きの悪魔」と真っ二つに分かれているのは、ロシアによるウクライナ侵攻で混沌としている現代世界を見る上で考える価値のある歴史的分断の一つではないかと思います。
こうして結果論として振り返ってみても、ポスト冷戦時代にあったロシアと欧米世界の蜜月とはやはり初めから同床異夢でしかなかったのではないか、なんて。
冷戦が終わったあの瞬間から、現在ウクライナで見ている分断はずっと続いてきたのだ、と。


平和の使者か、あるいは悪魔だったのか、ミハイル・ゴルバチョフの死について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?

通常日記

手抜き日記。
 
 

 

 

  • ポーランド、ドイツに戦争賠償180兆円請求 独政府は応じず 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News
    • まぁどちらの言い分もそれなりの説得力があるとは思うんだけれども、じゃあその対立が「最終的にどこへ向かうか」という設問を考えると結局『戦争』で決着という方向に行くしかない、というのがこの賠償問題に限らず人類が続けてきた国際関係の本質だよね。
    • 逆説的に現代ではその最終的解決手段という選択肢がまず無いからこそ、こうして呑気に揉めることができるとも言える。ポーランドがロシアに言わないのもそういう理由があるのは間違いないだろうし。

 

 

 

 
 

通常日記

手抜き日記。

 

 


  • 戦争をエスカレートするのはどちらか | 公益財団法人日本国際フォーラム
    • 面白いお話。当人たちの真意を知るすべはないものの、結果として和平派=早期降伏派がロシアの主張そのものと重なってしまっているのは皮肉な話だよねえ。「命が惜しければ降伏しろ」ということを堂々と主張することには以前から色々と思う所はありましたけども、鶏が先が卵が先か、両者が同じ事を口走るようになってしまっているっていうね。答え合わせかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

敬虔なる能力主義者たちのキリエ

経済格差の方法というテーマながら、そこで流動性の確保を堂々と言ってしまう無垢で敬虔なる信徒について。



「学歴中心の履歴書から経験中心の履歴書へ」女性起業家の発言が10か月経って“炎上” ? SAKISIRU(サキシル)
「経験は金で買えない」は真実か「そもそも経験には金がかかる」の反論続々…学歴の平等性の話も - Togetter
切り抜き動画のせいらしいのか、何故か10か月前の話題らしい「学歴vs経験」なネタが盛り上がっていたそうで。まぁこの腐敗した世界に堕とされたGOD'S CHILDな私たちにとってはどうしようもなく刺さってしまい、一家言を口に出したくなってしまうテーマではありますよね。

今の日本は、学歴を重要視し過ぎだと思います。いい大学を卒業して、いい企業に入社する、それが高収入につながって、それが成功として捉えられる。これが果たして本当に当たり前なのでしょうか。そのレールに乗れない、または落ちてしまうと、失敗として捉えられ、結果として収入が下がってしまっているというのが今のスタンダードだと思います。

つまり、この学歴社会こそが経済格差の原因であると思います。だからこそ、人を評価する判断基準は学歴ではなく、その人個人が持つ唯一無二の経験。いつからでも、自分の頑張り次第で結果も生み出せて、収入格差がなくなると思います。

「学歴中心の履歴書から経験中心の履歴書へ」女性起業家の発言が10か月経って“炎上” ? SAKISIRU(サキシル)

「学歴がダメなら経験で勝負するようにすればいいじゃない」的な発言をした平原さんをして『令和のマリーアントワネット』とか大変面白いことを言われていて個人的に目を奪われていますけども、でもまぁぶっちゃけこの議論の本題である「格差を解決する方法」においては何の解決もなってないよね。
この辺は、その後の成田さんのあまりにも身も蓋もないアメリカにおけるAO入試の実情によって引っ張られている面もあって彼女だけの問題ではないと思うんですけども、
そもそも『学歴』だろうが『経験』だろうが、どちらにしてもそこで経済的勝者と敗者が生まれるのは間違いなくて、そこから格差が生まれるのは確実じゃないですか。


――ただ一方で、これは能力主義における中心的教義である『流動性の確保』という面では、それなりに説得力のあるお話なんですよ。

  • 『学歴』で勝負する為には良い大学に入ることがそのレールの出発点でありそこを間違えると挽回するのが難しい。
    • 故にもっと流動性を確保する為に『経験』を基準にしたらどうか。

という彼女の主張には全面的には賛成できないものの、一つのアイディアとしては理解できます。
でもこれは結局のところ、ただただそちらの方が一度失敗しても建て直せる=流動性が高い、と主張しているだけであって、本題の「格差を解決する方法」にはまったく繋がらないわけでしょう。
学歴で負ける人たちがいるように、(既に上記togetterなんかで散々批判されているように)経験で負ける人たちが居るのも確実なのにね。
むしろ、そこで安易に学歴よりも経験勝負の方がより公正なルールである、と主張してしまうことは、より「努力した勝者」と「無能で怠惰な敗者」との収入格差を正当化しかねない紙一重なお話であります。



この辺の構図については、サンデル先生が『実力も運のうち 能力主義は正義か?』の中で次のように仰っているわけで*1

能力主義にとって重要なのは、成功のはしごを上る平等な機会を誰もが手にしていることだ。はしごの踏み板の間隔がどれくらいであるべきかについては、何も言わない。能力主義の理想は不平等の解決ではない。不平等の正当化なのだ。

上記の彼女が確信犯(誤用)として不平等の正当化を言っているとはまさか思いませんし、おそらく彼女は本気で善意から、学歴より経験の方がいいと言っているのでしょう。
しかし経験の方が収入格差を無くす公正なルールだと主張することで結果として――おそらく本人もそこまで意識していないだろう――身も蓋もない残酷な能力主義の一面を見せてしまっていることこそ、今回の件で一番面白い所だとは思うんですよね。
そうなると、最初の『令和のマリーアントワネット』という評価が一周回って正しいことになってしまって、やっぱりクッソ面白いお話だと思うんですけども。

だからこそ、人を評価する判断基準は学歴ではなく、その人個人が持つ唯一無二の経験。いつからでも、自分の頑張り次第で結果も生み出せて、収入格差がなくなると思います。

「学歴中心の履歴書から経験中心の履歴書へ」女性起業家の発言が10か月経って“炎上” ? SAKISIRU(サキシル)

つまり、学歴社会ではなくなりいつからでも取り戻せるはずなのに収入格差が生まれるとしたら、それは本人の努力が足りないからである。Q.E.D.
学歴が無いなら経験で勝負すればいいのに。
……え? 何でいつでも自分の頑張り次第で取り戻せるのに努力しないの?


かくして、格差を解決する方法と流動性の確保の方法を一緒くたにして祈ることで、気付いているのかそうでないのか本人が無垢に確信している能力主義的な敬虔な一面を露にしてしまっている。
今回のお話ってそういうマリーアントワネットなお話なのだと個人的には思ってます。
まぁでもサンデル先生が言っているように、それは成功者のほとんどが通る道だから仕方ないよね。誰だって自分の成功は、自分の才能と努力の結果であると信じたいものだし。
しかしそれは敗者を努力が足りない怠惰な存在であると見下す冷酷な能力主義と表裏一体でもある。


みなさんはいかがお考えでしょうか?
  
 

*1:第5章 「成功の倫理学