無能を選ばないのが私達の義務です

 民主党鳩山由紀夫代表の政治資金管理団体友愛政経懇話会」へ個人献金したとして収支報告書に記載されている複数の人が、「献金した事実はない」と話していることが朝日新聞の調べで分かった。鳩山氏への個人献金については、既に亡くなった人が献金者として記載された事例が明らかになっており、会計処理の不透明さが一層強まった形だ。

http://www.asahi.com/politics/update/0625/TKY200906250172.html

ちょっとベタすぎませんか。脇が甘すぎる。お願いだからもう少し頑張って欲しい。
まぁ自民にもアレな人が居るのであんまり言うのはフェアじゃないけど。



とりあえず昔某チャーチルさんが言ってたように、
「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けば」
なわけです。


「聡明な」独裁政治が行われるならそれの方がずっといい、
けど延々と聡明な独裁者が現れるとは限らない。無能な独裁者の出番が来たら最悪です。
翻って、民主主義の利点と言えば、
「選挙で無能を落とす事ができるから」という点だと思うんですよね。


少なくとも、選挙民のレベル(教育レベル)より大幅に逸脱した人が選ばれる事は少ない。
その「選挙民のレベル」という足切りが一定以上働くなら、確かに民主主義は懸命な政治体制だと思います。
かつては避けようの無かった「無能な為政者」というリスクを限りなく低く抑えられるのだから。
まぁ逆説的にその「選挙民のレベル」が余りにもアレ過ぎて失敗した民主国家は幾らでもあるわけですけど。


つまり「無能を落とす」事は私達民主国家に生きる人の義務であり、必須事項なわけです。
積極的に無能に投票する事も、消極的に無能以外へ投票しない事もやってる事は同じです。
民主国家に生きる以上、「(少なくとも一番の)無能以外を当選させる」のが私達の義務なんです。
別に憲法とか法律に書いてあるわけじゃないですけどね。
けどこれをやらないと民主国家である意味が無い・利点が無い。


投票するだけじゃなくて、「よりまとも」な人を選ぶのが本当の義務。
それが嫌なら余所で「ドキッ!ロシアン独裁者ゲーム!ポロリもあるよ!*1」でもやってればいいんですよ。



別に好きとか嫌いとかはいい、トマトを食べるんだ!byちよ父
ちょっと間違えました。
自民とか民主とかはどうでもいい、無能を落とすんだ!
それが僕たち宇宙船日本号に乗ってる人の最低限の義務です。


(この日記はあずまんが大王新装版発売の影響を一部受けています)

*1:粛清的な意味で「コロリもあるよ!」