ソマリアの重さとアフガンの重さ

というわけで、選挙も終わってしまいました。
まぁほぼ事前の予想通りで何ともアレなんですけど。
バンドワゴン万歳。


民主党政権になるそうで。
期待やら恐怖やら諦観やら好悪色々入り乱れてカオスです。


さて置き、民主党政権になったらほんとにアフガニスタン派兵するんでしょうかね。
イラクからアフガンへ、確かに時代の要請ではあります。
時代と言うよりアメリカか。

愛が無ければ見えない byうみねこ

そう考えると、アフガニスタンは「まだ」幸せなのかもしれません。
アメリカに相手してもらえるのだから。
ソマリアなんて、あんな状況になっても、あんな状況だからこそ、もう誰にも相手にしてもらえませんよ。
海から遠巻きに眺めてるだけ。うわーすごい適当。


アフガニスタンが皆に相手にされて、ソマリアが誰にも相手にされない理由。
結局、「価値が無い」からなんでしょう。
ソマリアがどうなろうがどうでもいい。でもアフガニスタンはどうでもよくない。
世界は全く非情なものです。
道徳って何ですか。


現実主義と言ってしまえばそれまでですけど。
かつてアメリカはソマリアで米軍が十数人殺されて投げ出して、*1
アフガンでは八百人以上殺されててもまだまだやる気です。


アメリカにとって、ソマリアは米軍兵の命十数人の価値もなかった。
アメリカにとって、アフガンは数百人以上の米軍兵の命を掛ける価値がある。
愛情の反対は無関心であるとはよく言ったものです。
愛情と言うよりは現実主義――攻撃的現実主義か。



さて、アメリカにとっては、命を掛ける価値がソマリアと違ってあそこにはあるそうです。
日本には「命を掛ける価値」ありますか?