アイテム課金ゲーという第二のワールドシミュレータ

日本のネトゲにおける定額課金とアイテム課金の話。*1

平等な世界を目指した先に

さて、ネットゲーム特にMMORPGにおいては、その本質は「投入時間ゲーム」である。
要は投入時間こそが全てを解決する。どれだけ多くプレイ時間を費やしたか。
つまり時間がない人は楽しめない。しかしまぁある意味確かに平等ではある。
それでも「時間が無くて平等にゲームを楽しめない」と言う人は古今東西何処にでも居た。
投入時間こそが全て。


こうしたネットゲームの状況に一石を投じたのが「アイテム課金」というシステムだった。
最早、それが開発運営なのかそれともユーザー自身が望んだ結果なのかは解らないが、現在それが主流となったのは間違いない。
そうした要素が全く無いというゲームは現状では恐らくもう殆ど存在しない。


それは「投入時間こそ全てなゲーム」という要素のアンチテーゼとして産まれた。
こうして開発運営あるいはユーザーが望んだアイテム課金というシステムは、
ある意味成功し、そしてある意味失敗した。
アイテム課金というシステムによって、投入時間こそ全てという要素だけではなくなったのは真実である。
投入時間だけが全てを解決するわけではなくなった。


しかし実際の所アイテム課金というシステムは、
投入時間ゲーというゲーム本来の要素を排除する事はできなかった。
結局「投入時間+アイテム課金という投資、どちらも両方必須」という状況に陥っただけだった。


投入時間こそが全てを解決した定額課金と、
投入時間+アイテム投資、の両方が揃えば全てを解決したアイテム課金
こう見ると、ある種究極的に、現実に即した平等性は確かに実現したのかもしれない。


恐らくネットゲームをやっていた我々の多くは、
投入時間だけが全てを解決するようないかにもな「ゲームらしさ」が嫌になったんだろうと思う。

第一ワールドシミュレータ=旧UO

かつてネットゲーム=MMORPGの前身であり原型でありオリジナルであったウルティマオンライン(以下旧UO)は、
正しくワールドシミュレータであった。
その後膨大に産まれたMMORPGは幸か不幸かそうした方向性は進まず、別の存在へと進化、人によっては退化した。


実際の所、最初に述べたような「ひたすら投入時間ゲー」というのはある意味とても親切な世界であって、
とにかく時間さえ掛ければ一定以上の成果は得られる、という優しい世界だった。
こうした方向にMMORPGが進化したのは別に不思議な話ではなく、
結局、旧UOのようなあまりにもワールドシミュレータ的なまるで現実的で不親切な世界へのアンチテーゼだったのだと思う。
実際UOはその後、ワールドシミュレータからいわゆるゲーム的な方向へと舵を切った。


その時我々の多くは、
不親切で優しくないワールドシミュレータではなく、「ゲームらしさ」を望んでいたんだと思う。


リアル大好き!

例えばプロスポーツでは特に、投入時間=練習量こそが全てを解決するわけではない。
いやらしい話をすれば、プロになるような「スポーツ廃人」は膨大な投入時間+多額の投資を行っているわけで。
これは例えば勉強、難しい試験等のある資格職でも変わらない。
勿論少数の例外は存在するとしても、投入時間=勉強時間だけが全てを解決するわけではない。
大多数は相応の投資を伴っている。
現実世界は投入時間だけが全てを解決するわけではない。



こうして見ると、いわゆる「アイテム課金ゲー」は正しく現実に即しているんじゃないかと思う。
UOが過去の記憶となった後に産まれた、新しいワールドシミュレータなゲームなのかもしれない。


オリジナルなワールドではなく、現実にそっくりなワールドの、シミュレータ。


かつてのワールドシミュレータから、
投入時間こそが全てを解決するようなゲームに。まさに正しくゲームです。
そして次は、現実に即して正しく、投入時間が全てを解決するわけでないゲーム、へと進化した。
さて、これを再びワールドシミュレータと呼んでいいものかどうか。


以前のようなオリジナルではない、
しかし、確かに我々の現実世界に似たワールドシミュレータを。

*1:「課金」の誤用についてはもう許してください