かつて失敗した「外交による平和」

最近は「対話外交」だとか、「友愛外交」だとか、いわゆる平和外交が流行りらしいです。
うちの国の民主党でも流行ってます。
世界的ですもんね、乗るしかないでしょう、このビックウエーブに。的な。


さて、それほどまでに素晴らしい対話やら友好による外交政策が有効であるならば、
(別に新しい概念って訳では勿論ない)何故最近までそうしたものが下火であったのか。



ぶっちゃければ、昔失敗したから、という身も蓋もない結論に落ち着く。

外交政策の限界、と学者は言った

1931年、日本軍が満州で軍事行動を起こした。
もちろん、国際連盟や多くの西側の大国は非難したものの、
この満州での軍事行動は、結果的に満州全土が占領されるまで阻止することはできなかった。


何故止められなかったのか。
国際連盟は主要加盟国による軍事力以外に直接的な方法に出ることはできず、
そして肝心なその主要加盟国や他の大国にやる気がなかったからだ。

  • イタリア
    • 中国に権益が無いのでどうでもよかったので傍観。
  • ソ連
    • 日本の行動に危険を感じていたものの、共産主義者はそれ以上に他の国から嫌われていたので傍観。
  • ドイツ
    • 中国に権益があったものの、日本の「現状打破主義」がヨーロッパでも役に立つかもと傍観。
  • フランス
    • 上記ドイツの件もあって日本を止めたいと思ってはいたものの、下手に動いて横からドイツに襲われるのは避けたいので傍観。
  • イギリス
    • 平和という理想を追求するよりも、日和見主義で良いと思っていたので傍観。
  • アメリ
    • 理想主義的なスティムソン国務長官などは日本を強く非難した。しかしフーヴァー大統領は紛争に巻き込まれる結果を恐れて傍観。


国際連盟の調査委員会(リットン調査団)が設置されたのをいい事に、こうした大国はそろって傍観した。
よって日本による満州侵略を積極的に止めようとする国は一国も居なかった。


こうして国際連盟には紛争を効果的に阻止する手段が無いことが暴露されることとなり、
更には西側の3つの民主主義大国が協調して行動し得ない証拠となってしまった。


つまり日本による満州事変とは、
国際連盟の瑕疵と民主主義大国間の相互不信を明らかにしたと共に、
第一次世界大戦後に確立された世界平和維持機構である国際連盟の崩壊の引き金となったと言える。



国際連盟のシステム、国家状況、国際関係による外交政策の限界が明らかにされ、
そして終には第二次世界大戦へと至った。


国際連盟という理想

国際連盟は上記にあげたような瑕疵が確かに存在した。他にもアメリカの非加盟とか。
それ故に、国際連盟の評判はあまりよくない。
でもそれだけではあまりにも可哀想なので成功例としての国際連盟

国際連盟に託された国際間の紛争は66件、
そのうち35件は平和的に解決し、20件は合法的に外交交渉へと戻された。
解決できなかったのは11件。
そして戦争に至ったのは4件である。*1

まぁこうして見れば実際そこまで悪い打率ではないと思う。


外交の理想と限界

このように後から振り返って見れば「1930年代の欧米諸国は何故侵略国に対して譲歩を繰り返したの馬鹿じゃないの?」
という見方は確かに理解できる。(満州事変、エチオピア紛争、ナチスドイツに対して)
時間さえ稼げればどうにかなると思ったのか、もしくは敗北必至だったのを隠す為に宥和政策を正当化していたのか。
「あの時ああすれば良かったのに」と今になって簡単に言うことも。


上記のような過去の経験と知恵を元により良い外交政策が取れる、というのも間違いではないと思う。
それでも満州事変の時、国際連盟の瑕疵や外交政策の限界、という物が確かにあったわけで。
それ故の外交による平和の失敗であったと。



で、翻って現在、「国連重視」とか「外交万能論」が皆大好きな時代。
勿論、国際連合の前身である国際連盟の時代でさえ、それなりの紛争抑止という結果が出ていたのだから、
現在の国際連合はそれなりに期待できるんでしょう。それなりには。
そういえば安全保障理事会国際連盟不能具合って似てますよね。



外交政策の限界が見えた時、
国際連合の構造的な欠陥が見えた時、
そのツケを払う事になるのは結局アレになる。
という事さえ忘れなければ、まぁ平和外交も大変素晴らしいものだと思います。




参考:
満州事変とは何だったのか』『大国の興亡』『憎悪の世紀』『国際紛争』他

*1:『憎悪の世紀』より