学者と予言者を分かつもの

『2012』とか言うマヤの予言のアレを見ていて思ったネタバレどころか全く内容と関係の無い話。



古代マヤ文明が2012年に世界は終末を迎える、というのと、
経済学者が20年後日本は破産する、というような良く見る構図に何か違いがあるのだろうか。


勿論前者には合理的説明が不可能であるのに対して、後者は多少なりとも論理的な推測から発生している。
そんな「多少の」合理的な推測は、当然、外れる可能性もある。前者の予言と同じように。
合理的な説明、多くが現在の数値の積み重ねであったり、現在のトレンドであったり、過去の経験の蓄積による一般化であったり、
の結果として彼らは未来を予想する。


しかし勿論、それは予想であるが故に、当たることもあれば外れることもある。
未来に関する議論において確実性は存在しない。
それは経済学であっても政治学であっても、もしくは自然科学であっても変わらない。
最も信憑性が高いと思われる予想でさえ、当然の結果として、しばしば外れる。


彼らはアレやコレを見て、「日本は20年以内に破産する!」と言うわけだ。
彼らはアレやコレを見て、「アメリカと中国は戦争になる!」と言うわけだ。
彼らはアレやコレを見て、「温暖化で地球がやばい!」と言うわけだ。
彼らはアレやコレを見て、「地球は氷河期でやばい!」と言うわけだ。
で、彼らは何かを見て、「2012年に地球を終末を迎える!」と言ったわけだ。


昔の彼も、今の彼女も、何かを見てそして不確実な未来を予想している。


ソ連があそこまで早く崩壊すると予想した人は、大多数の人々に合理的な説明からそれは納得できない、と言われたかもしれない。
あるいはベルリンの壁が崩壊すると予想した人は、大多数の人々に合理的な説明からそれは納得できない、と言われたかもしれない。
結局の所、誰もが自分が合理的だと思った予想・推測でしかない。


誰もが「自らが信じる」合理的な理由によって未来を予想する。
まぁそれってつまり予言ですよね。
そして情報過多と呼ばれるこの時代。
俺が、……俺たちが予言者だ!

結論

あそこで『マクロスF 虚空歌姫』が見たいって言えなかったへたれオタな自分が憎い。