「なぜ人を殺してはいけないのか?」のマジレスを考える後編

ということで、「なぜ人を殺してはいけないのか?」のマジレスを考える前編 - maukitiの日記の続き。


前回書いたように、「殺人」という事象には二つの脅威が存在する。
直接的脅威と間接的脅威。
かつて人類の多くが数十人単位の小規模集団で生きていた時代、確かに殺人は直接的にその集団の生存を脅かす物だった。ただでさえ生存していく事のハードルが高かったのに、もし仮に集団内での「殺人」に抵抗の薄い集団があったら、当然の如く生存に失敗し消滅していっただろう。しかし人間の社会がより大きくなっていった結果、そうした「直接的脅威」は徐々になくなっていった。数十人の内の一人と数百人数千人の内の一人へと。そんな「一件の殺人」の相対的な被害低下。
代わりに生まれたのが「殺人」による社会不安という要素だった。より多くの人間が居る大規模な社会であるが故の、「殺人」による社会の混乱。

なんで法律で禁止されているの?

「なぜ人を殺してはいけないのか?」に対する答えとして良く見るのが、「法律で決まっているから」というもの。まぁ確かにこれであんまり納得する人は居ないかもしれない。結局答えになってないし。
一歩進んで考えるなら「ならば何故殺人が法律によって禁止されているのか?」と考えるべきだと思う。


話の単純化の為に「法律」という言葉で表しているものの、正確に言うとこの場合は「その社会の構成員に対して強制力を持った権威」である。つまり、なぜ一定以上の規模の社会のほぼ全てにおいて殺人が権威によって禁止されているのか? という問い。
それは人間社会の大規模化・複雑化に伴う必然として、何らかの紛争調停機関が用意されなければいけないから。でないとその大規模な社会ではまず間違いなく内ゲバによって崩壊する。そんな社会の崩壊を防ぐ方策の一つとして「殺人禁止」は存在する。
「殺人禁止」は人を殺す事が悪いから存在するのではない。要は「殺人」とは、個人の対人関係における対立の最終局面であるから禁止されるのだ。国家同士の対立の行き着く先が戦争であるように*1、個人の対立関係が最終的に行き着くのは殺すか殺されるかである。そして殺人は復讐を呼び、混乱が周囲に広がり、社会の安定は乱される。


で、あるからこそ「殺人」は禁止される。根本的に人と人の対立自体を防げれば最も良い。しかしそんな思想統制どころじゃない感情統制まで行うのはまず不可能だろう。よって次善の策として、せめて最終局面に至らないようにルールが作られる。それが「殺人禁止」であったと。

なんで社会の安定が必要なの?

上記のように社会の大規模化はメリットばかりではない。人間関係の複雑化や、あるいは権威による貧富による格差などむしろデメリットもより目立つ。それならばそもそも社会の大規模化をしなければ良かったのに、という意見もまぁ理解できなくはない。


しかし人類の歴史を見れば、原始時代から現代に至るまで、基本的に「小規模な集団はより大規模な集団に呑み込まれる」という事実がある。つまり少なくとも現在まで残っているような集団は、結果的により大規模で安定した社会を目指したからこそ、生き残っている。アメリカ原住民の末路や、中国周辺国の末路、ロシア周辺国など例は無数にある。小規模な集団はより大きなそれに、ほぼ全ての例において、外圧か征服によって強制的に併合されている。
勿論大きな集団が内ゲバによって分裂し、より小さな集団へと変わるという事も無数にあった。それでも全体の流れとしては概ね、小さなものは大きなものに飲み込まれてしまう。
自分達の周囲に居る他の誰かが大規模な社会を目指したら、自分達もそうしなければ生き残れない。より大規模な社会を目指し*2、それと同時に「殺人禁止」等による社会の安定を受け入れてきたからこそ、私たちの属する集団は今生き残っている。

別に殺人禁止でも反乱禁止でも窃盗禁止でも信仰強制でも何でも良かった

結局の所、「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いの答えを考えた時、かつての繁殖上の理由から社会の存続に切り替わった、という点を考えなくてはいけないと思う。二つは全く別の問題。人間が本来持つ殺人への生理的な嫌悪は恐らく前者由来であるだろうし、しかし現存するほぼ全ての社会において既定されている「殺人禁止」はその目的を社会維持においている。
この社会維持という意味においては、「殺人禁止」は他の何でもないようなルールと何も変わらない。例えば何かを信仰しなければいけないとか、年上を敬わなければいけないとか、あるいは特定の行為をしてはいけないとか。社会を安定させる為の他のルールより価値は上でも下でもない。
その集団社会の秩序の安定、という一点において守るべき価値がある。殺さない事に意味があるのではなく、守る事による付随効果にこそ意味がある。


「なぜ人を殺してはいけないのか?」
結論としては、それは善悪の問題でさえなく、単純にそうしなければ私たちは他者集団との生存競争において勝てなかったから、辺りだろうか。



参考:『文明崩壊』『銃・病原菌・鉄』他

*1:http://d.hatena.ne.jp/maukiti/20090608/1244469254

*2:かつては人口や土地、現在は加えて工業力や科学技術や経済力をより「大規模」に