啓蒙でさえない議論以外の何か

本当にやりたいものはなんですか? 見つけにくくしたいものですか?


http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100131-OYT1T00678.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100201/plc1002010321006-n1.htm
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100201ddm010010012000c.html


こうした、歴史上の出来事に対する意見の相違、というのは別に珍しいものではないしむしろ極ありふれている。人類皆兄弟友愛大好きな人からすればお互い分かり合えないなんて人類は何て馬鹿なんだ、と嘆く事もできるけど、しかし逆にこれを人間の文明化の証であるという事もできると思う。


このような状況で起きているのは啓蒙や反省というよりも、むしろ殆どは相手側の権威の失墜を狙っているもので。
大抵の場合は別にどちらが正しいかとか、あるいは議論がしたいわけじゃない。ぶっちゃけてしまえば、一方は「悪い事した奴は償え」という事を相手の良心に訴えるゲームであり、もう一方は、その被害を抑えるゲームである。


別にその事は自体は否定しないけど、それよりもその出来事の未来への影響や再発の防止、あるいはそこに至る状況を考える方が何ぼか生産的であるんじゃないかと思うわけで。
だから今でも偶にやってる南京のアレ*1も、あんまり触りたくない。(日本よりの見方をすれば)「日本人「も」バカだった」という結論しか見えないから。まぁ僕が非人道的なのかもしれませんけど。それ以上に考えた所で、前述のように「日本人はこんなに悪い事したからもっと償え」というのと「日本人はそこまで悪くなかったからもう許してやれよ」というお互いの権威の失墜を掛けての論争は、無駄ではないかもしれないけど生産的な話ではないよね、と思うわけで。
例えば、欧州諸帝国による過酷な奴隷貿易がもたらした産業革命への影響とか、あるいは原爆がもたらした朝鮮戦争から冷戦に至るまでの国際関係への影響とか、そこまで考えれば面白いのかもしれないけど。翻って南京のアレはどこまでいっても「昔の日本人もバカ」しか見えない。


しかしまぁ、こうした政治的勝利を目指す姿勢は直接的に殴り合ったり脅迫するよりかは、いくらか文明的である、という事は確かに言える。実際かつてはもっと直接的に、国が傾くような賠償金要求とか領土要求とかそんな事やってたわけで。婉曲的になっただけとはいえ、まぁ人類の輝かしい進歩ではあるのかもしれない。




とは言っても、今回の場合はそれ以前の問題なので、

【北京=古谷浩一】中国で31日夜、NHKの海外放送「NHKワールド・プレミアム」が日中歴史共同研究のニュースを報じていたところ、数十秒間にわたって放送が中断された。南京大虐殺の犠牲者数についての報告書の記述ぶりなどに触れた後、天安門事件に関する映像が流れ始めたところで画面が真っ黒になった。その後の日本での記者のリポートの部分では再び画面が元に戻った。

http://www.asahi.com/international/update/0131/TKY201001310337.html

お互い同じスタートラインに立ってさえいなかったっていう笑えるんだか泣けるんだか。時間の無駄でしたね。おつかれさまでした。

*1:事件でも虐殺でも大虐殺でもお好きなのをどうぞ