誰も傷つかないなんて嘘だから

人気ゲームの差別表現に猛抗議 - ライブドアニュース
痛いニュース(ノ∀`) : 「差別を招く表現やめて」 カプコンのゲーム「戦国BASARA3」で、ハンセン病学会が要望書 - ライブドアブログ

言いたいことはわかる。かつて多くの人が主に見た目で差別してしまった歴史がある以上、それはまさに生きる負の遺産なわけで。
今回の例と他の問題、例えばオタクがいじめられて人生に絶望して世界破滅させるとか、親からの虐待で人生に絶望して世界に復讐するとか、原爆症の復讐の為にアメリカを攻撃する*1とか、あと最近流行りなのは「普通のイスラム教徒と原理主義者達」とか、そんな等々と一緒にしていいのか? あるいは何が違うのか? と言われると確かに困る。


しかしハンセン病の悲劇は実際にあった私たち人類規模での「負の遺産」である。その点において、私たちはごく当たり前の反応としてより深く贖罪の念を覚える。だからその分私達の良心に訴える力はより強いし、イコール反感も強い。という点を考えれば協会の要望通りに自重すべきである、とは個人的には思います。


以下自分への突っ込み

ところがそういう結論に落ち着くと、いじめで悩んで報復殺人とか、虐待に悩んでるとか、あるいは原爆症に悩む人も同じように実際にあった話なわけで。しかしそれらはハンセン病の悲劇と較べると確かにスケールは小さい。それらとは違ってハンセン病は「スケールが大きい」あるいは「より繊細な問題」だから配慮すべきなのか、と言われると確かにそうである、としか答え様がない。だってスケールが大きいと声も大きくなるし反感も強いから。
結果、
ハンセン病差別の方々に配慮して〜となると、声の大きいものだけ配慮して声の小さなものは無視しても良いのか?
最終的に彼らが目指す先は、全てが全てに配慮した作品なのだろうか?
と言われる事になる。

創作物は自由な発想のもとあるべきだが、誰かの心を傷つける存在となってしまっては「単なる創作物」として見れないのも事実。はたして『戦国BASARA3』は、ハンセン病患者の人たちを傷つけず、同時にゲームファンも楽しめる内容になるのだろうか? 日本ハンセン病学会に対し、カプコンがどのように返答をするのか注目が集まるところだ。

人気ゲームの差別表現に猛抗議 - ライブドアニュース

その意味で、創作物は完全なフィクション(それさえも現実の何かと似ていたらアウトだろう)を持ち出さない限り、常に誰かの心を傷つけている。もし誰の心にも傷をつけないように配慮するのなら、後ろに続く全ての人にも配慮するしかない。


  • 誰かを傷つけている創作
  • 多数派の誰かに配慮したけど他には配慮しない創作
  • 誰も傷つけないように完全にフィクションの創作

僕達は好きな物を選ぶことができる。




結局の所、こんな話で帰結するのは差別うんぬんよりも「大きい声だから配慮しよう(すべき)」という根本的には何ともドライで経済的な話ですよね。

*1:確かダン・ブラウンの『パズル・パレス』がこんな話。あとトムクランシーの『日米開戦』も戦争被害の復讐だったと思う