理論上の理想郷なんてない

よくある詭弁のひとつについての話。
グーグルが善で、中国が悪なのか? | ギズモード・ジャパン


まぁ言いたい事は解る。「中国も悪いけど、グーグルだって完全に正義ってわけじゃないよね」的な話を言っているんだろう。確かにグーグルにだってロクでもない所はあると私だって思う。しかしだからといってイコール中国を肯定する理由にはならないんだけど。でも彼はそう言ってる。こうした論調は別に中国対googleな構図だけで行われてるわけじゃない。結構どこにでもありふれている。
要は、何かを批判したい時に、「(まるで完璧な理想郷な)何かと較べて劣っている!」と批判するということ。
人類の歴史上、そんな完全な理想郷なんて存在した事ないのに。私たち人間のやる事には、常に、理論と現実の矛盾がある。それなのにこうした詭弁を持ち出す人達は往々にして、まるで何かの理論上にある理想郷と比較して、それはダメだ!と批判する。


今回の中国とグーグルの例で言うならば、それはあくまでも中国の検閲とグーグルの検閲どちらがマシか?という点で考えるべきであって、「グーグルも完全な正義ではないですよね」と言ったところで、その通りです、でもそれは中国を擁護する何の論拠にもなりませんよ、という話にしかならない。少なくとも人類の歴史において、何の瑕疵もないような組織が生まれた事はないんだから。そんな仮定で、空想上で、夢のような、理想論を持ち出しても何の意味も無い。


グーグルは完全無欠な正義ではなく実は自己の利益の為に検閲をやっている組織なんですよ! と批判する事は、
中国はナチスよりも少数民族に優しいから(おおっぴらにガス室送りにしないから)実はいい国なんですよ! と擁護する事と似たようなものなんです。そんなのどっちも意味は無い。


少なくとも公正に考えるのならば、同じ土俵のお互いを比較対象とした上で、どちらが「まだ」マシか? と問うべきなんです。そんな空想上の理想郷と較べてその欠陥を指摘したり、あるいは史上最低の国家よりもマシだから許されるんですと擁護しても、それはどちらも正しい評価にはならないんです。
確かにグーグルの検閲やアメリカや日本や民主主義や市場経済は私たち万人が夢見た理想郷では絶対にない。だけどそんな完全に間違いの無い理想郷なんてものは絶対にないんです。そして概ね私たちは、中国の検閲や共産主義や計画経済よりもまだそっちの方が「マシ」だと言っているんです。


さて置き、意識的なのか無意識的なのか「、「グーグルとアメリカが善で、中国は悪」と判断できるだけの根拠が、僕らにあるのでしょうか?」的な善悪二元論に疑問を呈しつつも、空想上の絶対善な概念を持ち出すところは笑う所なのかもしれません。確かに西洋風ガイジンだなぁという気はしますけど。私たちから見れば、結局どちらがマシかという選択の問題でしかないのに。
まぁどちらにせよそんな理論上の理想郷を比較対象に持ち出した時点で、それは詭弁の一種ですよね。