少し前に書いた日記のネット社会の先に何があるのか、なお話の続きで「Google症」の話。少し前の話題だけど、最近また別の所でも紹介されていたのでこの機会に便乗。
「ググレカス」の先にあるもの - maukitiの日記の実例的なお話。
しあわせな「グーグル症」という嘆き
「Google 症」と闘う医師たち | スラド IT
ネット検索で「重病だ」と思い込む 「グーグル症」患者が医者困らせる : J-CASTニュース
体調が悪いと感じた人が、思いついたキーワードを使ってインターネットで症状を検索した結果、誤った自己診断をしてしまう――。検索エンジン「グーグル」の名を冠した、このような「グーグル症」にかかる人が増えているという。
ネット検索で「重病だ」と思い込む 「グーグル症」患者が医者困らせる : J-CASTニュース
勝手に「自分は重病だ」と思い込む。医師の診察を受けても「ネットで調べた治療方法と違う」と信用しない。こうした「素人判断」はかえって症状を悪化させる方向に導きかねない。医師にとっては、自分の診断や治療法の有効性を患者に納得させる必要もあるという。
まぁありそうな話ではある。真面目だからこそ陥る症状、と考えると何だか悲しい物はありますけど。
さて置き、こうした話が医療の現場だけなのかと言うと、全然そんな事はないですよね。
むしろこうした事が問題になるのは、医療分野は遅い方だとさえ言えるかも知れない。私たちは既に多くの分野で、こうした素人による、(それなりに妥当な)判断をインターネットから情報を得ることができるようになっている。その変化の波がやっと医療分野にまで及んだ。まぁ簡単に言ってしまえばそういう事であると。
実際、その意味で医療分野は「まだ」マシな方であると思う。
そうしたインターネット社会の発達の結果、情報の公平化という意味で、もっとひどい結果を被った業界は他に幾らでもある。確かにお医者様たちにとって多少仕事はやりにくくなったかもしれないが、しかしそれでも彼らが持つ多様な専門知識が必要な「所見」という行為の価値は減じてはいない。だから本質的には(少なくとも良心的な)「お医者様」たちの価値は大して変化していない。
しかしそんな情報社会によって、不幸にも存在価値そのものが揺らいでしまっている分野・業界もある。
例えば多くの評論家、あるいは多くの報道メディアだとか。かつて彼らは一般の人々が知らないその情報を「知っている」事にこそ大きなアドバンテージを持っていた。ではそのアドバンテージが無くなってしまったら一体彼らの存在価値はどうなるのか? その「知っている」上で何を考え、価値のある何かを言えるのか? *1
真っ当な医療従事者達にとっては、その専門的な所見と技術こそが真の存在価値であって、多少彼らの持つその専門知識の価値が薄れたからといっても彼らの価値は大して毀損されない。そしてまたその「専門性」故に最近になるまでそうした被害から免れてきた。その意味で彼らは幸運な例である。
他の業界ではもっと、人々がその真面目さ故に「自分で調べた結果」はもっと大きな影響、これまで通りの商売・営業形態ができなくなったり、あるいはもっと致命的に存在意義が無くなってしまった所、さえあったりする。
結局の所そうした単なる知識よりも、その先にある所見がこれからの社会重要になっていくんだろうなぁという感想あたりだろうか。その意味で医療分野では引用先のようには「グーグル症」とか嘆いているけども、全然勝ち組です。彼らはこれからもその所見と技術で生きていける。
ネットの検索システムという情報の一般化によって、「知っているだけ」の存在価値が無くなったり、あるいは嘘が嘘だとバレるようになってしまった悲しい例は沢山あるのだから。