知は力なり

「君主論」 ニコロ・マキアヴェッリ - リアリズムと防衛ブログより。
ということでリアリズムと防衛ブログさんちの記事についての雑感。それは彼が普段軍事学の必要性について語るのと同様の、マキャベリズム的な政治学を語る事の意義について。

「無知は力なり」とビッグ・ブラザーは言った

昔から(特に日本では)、軍事学が嫌われているように、あるいは核物理学や科学・生物(兵器)学者が嫌われているように、または社会学が嫌われているように、マキャベリズムも一部の人々に嫌われてきた。倫理的に問題があると見なされて。
まぁ確かにそうした意見にも一理あるといえる。軍事学をより学ぼうとする事は相手より軍事的に優位に立てるという意味であるし、核物理学や生物科学兵器を研究する事はより効率的に使用できることを意味するし、社会学を学ぶ事は社会支配力を強める事でもあるし、そしてマキャベリズムはより効率的な権力運用の助けとなる。そんな理由から彼らは倫理的・道徳的に正しくないと主張する。目を瞑りと耳を塞いでおけば安心だと。
しかしながら、私たちはそうした倫理的・道徳的な悪用に対して立ち向かう為にも、敢えてそれらを学ばなくてはならない。法定で弁護士や検察が法律の穴を知っているように、ゲームの規則を理解している者こそがいかさまが出来るのと同時に、いかさまを防ぐ事もできるのだから。


結局、ゲームのルールを把握している者こそが優位に立つ。知識それ自体の価値にとって、重要なのはそれだけである。
プレイヤーが倫理的・道徳的に優れているかどうかという点と、ルールを把握しているかどうかという点に全く関連性は無い。そうした知識は物の見方の一例を提供しているに過ぎず、それを何の為に用いるかは使う人の問題でしかない。


だからこそ、しばしば、無知を推奨するという人々が現れるわけですよね。一部の本当に無邪気な善意からと、多くのそんな面を被った悪意のある人々によって。