国歌に特別な意味を見出す人たち

サッカー日本代表おめでとうございます。僕のサッカーは中学校の昼休みレベルで停止しているのであんまりよく解りませんけど、とりがえずがんばった感は伝わりました。あと何か良く解らない笛みたいなやつの騒音がすごい。「何々デシベル出ます」とか言ってる時点で誰かおかしいと突っ込まないのか。
というわけで何となくワールドカップ見てたわけですけど、あれです、ほんとにフランスとか半分くらい国歌歌わないんですね。で、少し前のWSJの記事思い出しました。
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その頃はまぁ特に思う事もなく流し見でスルーしてたんですけど、今回実際にそれを見て思ったこと。あ、僕は別に結構どうでもいい派です。

また極右と極左の類似性オチ

まぁ普通に考えれば、国歌がどうでもいいと思っているなら、ただ黙々と口パクしてればいいだけの話なんですよね。とりあえずそうした国歌斉唱の機会が設けられている以上は、それがスタンダードだとされているわけだし。ついでに口パクしてたって本当の内心がどうであるかは普通は読み取れないわけだし。
それでも彼らは歌わないことを選択している。あるいは歌っているフリをすることさえ拒絶している。
彼らは国歌に特別な意味を見出しているが故に、敢えてそうした態度を選択している。そんな忠誠や一体感を表明するフリさえも拒否している。それと同じように彼らの反対側に立つ人々だって、国歌に特別な意味を見出していて、しかし国歌を歌うべきだと強硬に主張する。


まぁ両者の是非はさて置き、どちらにしてもおそらく大多数の人々は、そこまで本気になるほどの事でもなく結構どうでもいいと思っている。そしてどうでもいいからこそ、何も考えずに口パクでもしてればいいや、とも思っている。だって別にそれで己の本当の内心が暴露されるわけでも変化するわけでもないから。
しかしそれ以外の一部の彼らはそうではない。彼らは本気で歌うべきだと信じているし、また歌わないべきだとも信じている。
つまり、対立軸としてよく言われる「国歌を歌う人vs歌わない人」という多数派少数派な争いよりも、「国歌に何か重要な意味を見出す人vsどうでもいい人」という多数派少数派な対立軸があるんですよね。そしてよりクリティカルな対立軸は実は後者の方だと。


一方は「歌う」ことに意味を見出し、もう一方は「歌わない」ことに意味を見出している。
そんな両極に居ながら彼らは全く同様に、そのベクトルは真逆の向きであるが、どちらも国歌に何か特別な意味があると信じている。