キルギスに見る「歴史上のよくある不幸」

というわけで政変→暴動のコンボで大盛り上がりなキルギスのお話。ニューズウィークの記事が色々解りやすかったので利用。

少し前の政変から、
キルギス「独裁による安定」の幻想 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
そして今回の暴動に至ると。
キルギスで民族間衝突が起きるワケ | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト


上記引用先にあるように確かに「独裁による安定」は幻想だった。しかしそれでもそそんな幻想をぶち壊した先に待っていたのは「民族間衝突」であると。つまり結果的により進んだはずの民主主義体制は、民族対立という火種に油を注いでしまった。
まぁ昔から色々よく言われる話ではあるんですよね。皮肉交じりに。そんな独裁による「偽りの平和」が民族対立を抑止してきたことや、同様に「民族対立のある所に中途半端に民主主義が出てくると戦争になる」*1ということが。
そして実際に、少し前のユースラビアや最近のイラクや多くのアフリカ諸国の状況が、その事を証明している。

「ハズレくじ無し!」という幻想

そんな風に見ると、キルギスの一連の出来事は歴史上幾つもあった「失敗する(おそれのある)歴史の縮図」なんだと思うんです。
例えば、かつて大国の裏庭にあった国たち、ソ連にとっての中央アジアや、アメリカにとっての中南米や、ヨーロッパにとっての東欧や北アフリカなどにおいて、多くの場合において彼らはそんな大国の影響力によって安定した「偽りの平和」を享受してきた。
しかしそんな大国たちの影響力が無くなったり(衰退するかあるいは単純に興味が無くなったり)、または単純に独裁制の維持が危うくなると、当然それまでの偽りの平和による安定は破られてしまう。それを一般に私たちは、そんな不当な支配からの脱却は良い事である、と言うわけだ。
だけどそんな偽りの平和の下に隠されているのは希望だけじゃない。むしろより深い絶望も一緒だったりする。民族や宗教や貧富の対立も一緒に浮かび上がってきてしまう。だから運が悪いとドロドロの内戦にまで発展する。
そしてまぁ普通、単なる戦争よりも身内の争いである内戦は、よりさらに非常にロクでもない事になってしまうと。


「独裁による安定」も「大国(帝国)支配による安定」も、確かに幻想だし偽りではある。しかし常にその下にあるものが100%全て希望だなんて事は絶対にない。見たくなかった現実だってそこには隠されている。
そして、しばしば、民主主義はその後の安定の助けになるどころか、対立を煽ってしまうマイナス方向にも働いてしまうと。民主主義というものはそうした問題の解決には、ぶっちゃけ、向いていないから。

*1:『民主主義の未来―リベラリズムか独裁か拝金主義か』より