「弱く虐げられている人々を救う」などの理想を掲げる人々が増税・赤字国債に走ってしまう理由

前書いた「弱く虐げられている人々を救う」などの理想を掲げる人々が権力に固執してしまう理由 - maukitiの日記のもう一つの、両輪の片側のお話。


豪、初の女性首相が誕生 支持率低下でラッド首相辞任 写真6枚 国際ニュース:AFPBB News
ということでオーストラリアのラッド首相が退陣してしまったらしいです。オバマ大統領に端を発した世界のリベラルリーダーズがまた一人居なくなってしまいました。そういえば日本もか。
彼が退陣に至ったのは進歩的な(日本のそれと同じような)地球温暖化対策の合意の失敗と、そして直接的には資源業界への課税案が引き金を引いた。


別にこうした流れになるのは不思議ではない。いつだって弱い人々を救うのに必要なのは予算という税金なわけで。そうした目標を掲げれば掲げるほど増税赤字国債の足音が近づいてくるのは、当たり前である。同様に地球温暖化対策だって基本的には違いはない、いつだってそれは事実上の「増税」を意味してきたのだから。
ラッド首相はそんな「よくある」落とし穴に嵌まってしまった。彼は自らの政権で財政赤字を大幅に増やし、そしてそれを補おうと増税を企んで支持を失った。

より大きな救済に必要なのはより大きな予算である

その意味で増税赤字国債に走ってしまう彼らを、無計画だとか無策だとか特別に無能だからだ、という批判はあまり正しくない。
最初から彼らにとってはその目標を語った時点で、増税するか国債で先送りするかの二択しかないんだから。それ以外に一体何があるだろうか? 大抵の場合彼らは当然それを解った上で、「多少の負担増はやむをえない」と解った上で、言っている。勿論あからさまに口には出しませんけど。


しかし前回よりも大きな目標、そしてその次はそれよりもっと大きな救済、を繰り返していった先に最終的に何があるかといえばサッチャーさんの言う「社会主義の問題は、最終的に国民の金を使い切ってしまうことだ」なんですよね。大きな政府批判の常套句の一つでもあります。そしてリベラルな政権たちはそんな最終局面に到達するまでもなく、ある意味当然の流れとして、増税が嫌われて選挙に負けてしまってきた。
今回の話もオーストラリアのラッドさんもその例に漏れなかった、というリベラルな政権が陥るよくある失敗例であると。