私たちはポジショントークしかできない

年金や老人福祉を巡る世代間の軋轢、なお話。
◇元記事は削除しました。 ◇15:32 2010/07/24 http://anond.hatelabo.jp/20100723210431 読..
そしていつもの釣りでしたオチ。
ごめんなさい
それでも考えるヒントにはなったので適当に書く。

その意味で、彼らの必死な行動には多少同情もする。
というよりも、彼らが人の話さえ聴く耳を持っていれば、協力して日本は何とかできると思う。
しかし、彼らは哀しいほど学がない。涙が出るほど現状認識能力がない。
からしたらボケていなくてもボケ同然である。田舎根性のせいか、長い社畜生活のせいか、
彼らは自分の主張をロクに整理もできない。自分の頭でモノを考えない。
ただ不満や恐怖だけがあって、それをマスコミや周りの人間の意見に踊らされて喚き散らす。
そのくせなぜか息子たちは年長者である自分たちの言うことに従え、とか言う。
本当に彼らは、戦争中も戦争後も、労働面や生活では苦労はしたのだろうが
頭を使わずに生きていける幸せな時代に生きてきたのだなぁ、と笑ってしまう。

◇元記事は削除しました。 ◇15:32 2010/07/24 http://anond.hatelabo.jp/20100723210431 読..

まぁ確かに言っている事はわからなくはない。けれども、本当にそんな老人たちの一部「だけ」が無知で蒙昧なのかというと、そうではないとも思うんですよね。多少の割合の差はあるにしても、私たち若い世代にも同じ位居るんじゃないのかと。そしておそらく、今後、私たち自身だってそうなっていくんだろうという予感もある。
んじゃ両者の何が世代間の差異を際立たせているのかというと、ポジショントークの違い、でしかない。


私たち若い世代が将来のことを心配しているのは、そんな数十年先の将来まで、生きているだろうというほぼ確信に近い思いがあるから。だからこそ若い世代はそれを、ごく当たり前のこととして、将来を心配し悲観もする。
しかし老人たちはそうではない。だってほとんどは「近い将来」に寿命が来るという当然の自覚があるんだから。だから、現在を心配し悲観もする。
若い世代と老人世代が違うのは、そんな知識とか聴く耳とか現状認識能力とか田舎根性とか社畜生活とか自分の頭でモノを考えないとか、そういう要素にあるんじゃない。そもそも、将来と現在と、見ているものが違う。


一方が見ているものともう一方が見ているものは、もう決定的に致命的に、違うものである。
どちらが正しくて間違っているというよりも、本来そうした「見ているものが違う」という事を全員が前提とした上で議論なり妥協なりを重ねていくべきなのに、そうした事が周知されていないのが悲劇の始まりだと思うんですよね。
勿論そうしたことを解っている人もたくさん居るんでしょう。しかし敢えてそうした事を広く啓蒙したり、議論の前提としようとする人はあんまり居ない。だってそれは無用の反感を買うことになるし、あるいは世代間の軋轢を生んでしまうことにもなるから。そうした事を恐れるが故にまぁ普通はそれを見ないフリをされてしまう。で、無駄に世代間闘争は煽られてしまうと。


世代間の利益分配をどうするかを選挙で争うような世代間闘争な話では本来ないはずなのに。本来やらなくてはならないのは、そんな両者の妥協の産物が適切かどうかを選挙で決めるべきなのに、そうした所にさえ至らない。だって私たちはポジショントークしかできないから。



これまでの日記でも散々書いてきた「民主主義の限界」の一つの例ではありますよね。民主主義はそうしたポジションがまったく違う人々を合意に導く事に、ぶっちゃけ、むいていないから。