「治療国家」に生きる私たち

参議院選挙見てて思い出したお話。


政治家の人々というよりもむしろ有権者の私たちの迷走っぷりを見てて思い出したのが、フランシス・フクヤマさんの『「大崩壊」の時代』にちょっと出てくる、「治療国家」という話なんですよね。以下引用。

これに対して、二十世紀の心理学は個人が快楽や満足を追求する事を大いに正当化してきた。こうして「心理学的解釈」が浸透した結果、心理学者ジェームズ・ノーランの言う「治療国家」が生まれた。
政府は国民の心理的欲求をみたすことを目指すようになり、国民に満足感を味わわせうるかどうかによってその存亡が決まった。

すごく思い当たる節があります。大体3世代前、70~90年位前(?)からの話らしいですけど、やっとあの頃のアメリカやヨーロッパに追いついたのかと思うと胸が熱くなりますよね。まだそこかよとか言われそうですけど。


よく衆愚政治*1とかポピュリズム*2だなんて揶揄される昨今の日本の政治状況ですけども、より近いのはそんな概念なのかなーと個人的には思った次第であります。政治家も有権者もそこまで極端な所まではいっていなくて、どちらかというとそんな不健康で暗黙な空気の読み合い的な構図。オチなし。