ヨーロッパの宗教的自由と、アメリカの宗教的自由

この前の日記の宗教の「平等」という目的へ至る為の二つの道 - maukitiの日記アメリカさんちの場合について。
ヨーロッパの抱える寛容の問題と、アメリカの抱える寛容の問題。よくブルカなどの問題でヨーロッパを非難するアメリカだけれども、しかしアメリカはアメリカで色々大変ですよね、なお話。


http://www.cnn.co.jp/usa/AIC201008120027.html

(CNN) 2001年9月の米同時多発テロで崩壊したニューヨークの世界貿易センタービル跡地の近くにモスク(イスラム教礼拝所)建設が計画され、米社会で論議を呼んでいる問題で、米国民の約70%が建設に反対していることが最新世論調査で11日分かった。

http://www.cnn.co.jp/usa/AIC201008120027.html

先日こういう事件があったんですよね。まぁそれでアメリカ嫌いな人からは、アメリカの寛容(笑)とか言われちゃう。
確かにその批判には概ね正当性はあるものの、しかしこうした世論調査の結果が出る事自体を笑える程に、私たち自身は先に進んでいるかというとそれは多分ない。


さて置き、そこにオバマ大統領が登場したんです。
http://www.cnn.co.jp/usa/AIC201008140008.html

ワシントン(CNN) 2001年9月の米同時多発テロで崩壊したニューヨークの世界貿易センタービル跡地の近くにモスク(イスラム礼拝所)建設が計画され、米社会で賛否が分かれている問題で、オバマ米大統領は13日、イスラム教徒はほかの米国民と同様、自らの宗教を実践する権利を持っていると述べ、モスク建設を支持する考えを明らかにした。

http://www.cnn.co.jp/usa/AIC201008140008.html

さすがです。この人解ってます。いや別にオバマさんが「フセイン」名を隠しているとかそういうわけではなく、もっと単純にアメリカという国家の精神的支柱がどこにあるのか、という点について。「移民の国」なんてものは確かに幻想であるからオバマさんはさくっと不法移民にNOをつきつける*1ことはできるけれども(勿論それだって農業労働力やら簡単な問題ではないけれど)、しかしこと宗教に関しては簡単にNOをつきつけられない。
それは基本的にはアメリカは「宗教国家」だから。かつてのプロテスタントを基礎においた文化を持つ国家であるから。


アメリカは自分達の宗教を公に肯定するように、しかしそれとは違う異宗教を公に否定できない。何か一つでも公的に宗教的信仰心の発露を認めてしまったら、それと同時に他の一つにもそれと同じような権利を認めなくてはならない。平等という信念の為に。その意味では、彼らは自分たちの宗教心を守る為に、他者の宗教をも寛容している。
もちろん自分たち「だけ」認めることだってできるけれども、それは彼らのプライド、あるいは最後の良心の一線を越えてしまう。そんなことに繋がってしまうのは許容できないから。
だからこそ素朴な世論調査の結果としては否定されても、少なくとも公的な立場にある人びと、同市の歴史的建造物保存委員会や市長そしてオバマ大統領はそれに賛成を投じざるを得ない。賛成はともかくとしても、少なくとも「権利」はあると認めるしかない。それこそが自らの宗教引いてはアメリカという文化を維持する為に必要な物だから。


この点ヨーロッパやあるいは日本だと逆に考えるのが面白いですよね。
彼らや私たちは、何か主流の一つであってさえもそれを公的には肯定しないことによって、他の非主流な一つをどれも肯定しないことを正当化している。ヨーロッパ各地で問題になっているブルカやヒジャブなども問題もそういうことだと思うんです。公的な場での宗教的シンボルを認めてはならないと。それは本当に善意から、宗教の平等を守ろうとするが故に。


一方は全てを肯定することによって宗教の平等を実現しようとして、
しかしもう一方は全てを否定することによって宗教の平等を実現しようとしている。


どちらが正しい方法なのかは、まぁ当然私なんぞには解りません。がんばれ人類。