かつての「異常な」時代と、現在の「いつもの」時代

ということであの節目の時から9年目。


そういえばイギリスの国際戦略研究所が出している2010年版『戦略概観』で面白い事言ってました。

各国が自国の利益を主張する保護主義的なアプローチの台頭を警告した。同日記者会見したチップマン所長は「複雑化する問題を地域機関や国際機関が制御するのは一段と困難になっている」と述べた。欧米では「国益とグローバルな公共益が一致する」という従来の考えが金融危機や国際問題の性質の変化で消滅したという。今回の戦略概観では、1990年代にクウェートボスニアコソボで実施したリベラルな介入主義が各地で影を潜め、安全保障の活動全般がその必要性について厳しい審判を受けていると記した。

英国際戦研、10年版「戦略概観」発表 国際協力後退を警告 :日本経済新聞

へー。リベラルな介入主義が各地で影を潜めたそうですよ。でもそれってどう見ても、アメリカが9.11後からアフガニスタンイラクとそれ所じゃなくなっていったせいですよね。
これまでの日記でもあからさまだったり控え目だったりで書いてきたんですが、私の基本的なポジションとしてはアメリカへの同情論だったりします。


うん、そりゃまぁ、アメリカさんが忙しくなってしまったら、それまで「1990年代にクウェートボスニアコソボで実施したリベラルな介入主義」ができなくなってしまいますよね。だってそれらを主導して、というよりも実際に戦力を出して、最もメインで活動していたのはアメリカだったんだから。
それを横目に見ながら、ヨーロッパや日本はアメリカが勝手に頑張るからと自分たちの利益を追い求めていた。勿論それはアメリカにとって好都合だったからでもあるんだけど、しかしそれでも、私たちだって「それでもいい」と少なからず思っていたわけで。アメリカがやるから私たちはそれに消極的に賛成(あるいは消極的に反対)してればいいと。


で、そんな幸せな状況がアメリカ一極構造の相対的な衰退と、アメリカの「手一杯な状態」によって終わりを迎えつつあると。
つまり、歴史的に見て1990年代のような状況がある意味で「異常」だったのであって、2001年以降こそが実は「通常」の国際関係になったんじゃないのかと個人的には思います。
私たちは勝手にアメリカを信じて、そして勝手に裏切られたと思っている。一部の忠実な人達(日本やある程度までのイギリス)を除いて「ざまぁ」と思ってそうした凋落を見守っていただけだった。そして更にはその「異常」な時代の終焉の責任も問われてしまうと。*1
そう考えるとまぁなんというかアメリカさんには同情するしかないですよね。


まぁヨーロッパの人々はこうした意見に確かに怒るかもしれない。結構ネオコンぽいし。
しかし日本はそうする資格もありませんよね。だって、勿論アメリカの都合でもあったけれども、同じ位に日本人自身もそれでいいと、世界の安全保障についても地域の安全保障についても日本の安全保障についてさえも我関せずとほとんど丸投げしてきたんだから。そのボーナスタイムが終わるからと言って文句を言うのは筋が違いますよね。


マイケル・ウォルツァーさんが『戦争を論ずる』の日本語版序文で良いこと言ってます。

私たちはみな、戦争を論ずるべきであり、民主主義国家に生きる市民にとってそれは政治的責務にほかならない。

責任と義務、果たしてますか?

*1:確かに大部分はそうなんだけど、しかし他の人たちに全く責任が無いとは絶対に言えない