「世間・社会が悪い」を嘲笑いながら同じ口で「アメリカが悪い」と真面目に語る人びと

ということで最近盛り上がってる中東の民主化運動的な話から見る、皆大好き反米思考の先にあるもの。あるいは「アメリカ外交の偽善ないしは矛盾」の背景にあるもの。
昔からこうした言い方はあまり好きではなかったんだけども、最近なんとなくその角度が解ってきたので適当に書きます。単純なアメリカ擁護論というよりは、迷信批判に近いお話。誰かであって誰でもない、「俺は悪くない! 社会が悪いんだ!」という人を笑うくせに平気で「アメリカが悪い!」と語る誰かに捧げるお話。



支配か確保か

表面だけを見て「アメリカ外交の偽善ないしは矛盾」と言う人も居ますけど、むしろ一貫してると思うんですよね。彼らはずっとより安定的なエネルギー安全保障を確立しようとしている。確かにそれは覇権主義帝国主義な面もあることは否定はできないし、勿論民主化や人権の問題も重要ではあるんだけど、それはある意味で副次的に重要だからこそ、わざわざ口に出している。本当に重要な事は当たり前すぎてわざわざ口に出したりはしていないだけで。
大昔にローマの人が語ったように「『平和』は重要すぎて、平和主義者だけにまかせておけない」し、
あるいは昔にフランスの人が語ったように「『戦争』は重要すぎて、将軍だけにまかせておけない」でもあるし、
現代アメリカにとって(そして現代国家の殆ど全てにとって)「『エネルギー安全保障』は重要すぎて、他国だけにまかせておけない」と。


だから私たちは常に自給率や輸入先の多元化などについて議論を続けている。そして能力を持つ国家にとってはそれだけではなくて、より安定的なエネルギー安全保障の確立の為に、積極的に動こうとする。その発露として現れているのが一般にアメリカの中東諸国などへの(軍事力を含めた)関与であるし、あるいはそれはロシアでも中国でもかつてのヨーロッパ諸国でもある。だってそれは重要すぎてただただ他国に依存しているだけで、国家の義務としては単に看過しているだけでは済まされないから。
こうした積極的な行動を、私たちは「支配」と呼ぶべきだろうか? あるいは「確保」と呼ぶべきだろうか?
けどそれは確かにどちらも正しい見方ではあるんですよね。だって結局の所どちらも同じものを見て言っているんだから。よくイラク戦争とかでも「アメリカは石油支配を狙っている」なんて語られたりしますけども、それって微妙にズレているんです。確かに半分位は当たっているんだけども絶対に正解ではない。より正確に言うならば、アメリカが(そして潜在的には全ての国家が)求めているのは「より安定したエネルギー供給元の確保」であるから。


さて、アメリカがずっとそうした積極的な行動を好んでいたのかといえば、別にそうではないんですよね。
他国へ積極的に影響力を発揮してより安定したエネルギー安全保障を確立しようとする試みは、かつてのヨーロッパ大国で行われていた方がずっと強かった。イギリスの中東関与だとかフランスの北アフリカ関与だとか、あるいは逆にロシアによる東欧締め付けのように。その中ではアメリカはむしろ例外的に「石油なんて金さえあれば幾らでも買えるだろ常考」とまさに自由市場大好き脳そのままに考えていた。
そんな無邪気なアメリカが決定的に変化させられる契機となったのは、やっぱり1973年のOAPEC-アラブ石油輸出国機構による石油禁輸措置*1の頃からなんです。
彼らはその時に本気で思い知ってしまったんですよね。政治的意図を達成する手段として石油を禁輸されたらマジヤバイと。そうして彼らはある意味で売られた喧嘩を本気で買うことを決意する。ならば自らの血と汗で「安定した」状況を作り出そうと。以来その意図は現代においても変わっていない。そしてその大人気ないとまで思われるような圧倒的な努力と資金でそれを達成している。
といってもそこは私たち日本が更に30年以上昔に通り過ぎた場所でもあるんですけど。


そんな彼らと私たちは何が違うのか?
というと別にそれは彼らの悪性だとか私たちの善性とかそういうものではないと思うんです。結局の所、私たちはエネルギー安全保障という同じことを考えていて、しかし持っている手札が決定的に違うに過ぎない。より強い手札を持っている国はそれなりの戦略を持っているし、それなりの手札しかない国にとってはまた別の戦略を選んでいると。

強者であるアメリカと、弱者である国家たち

よく挙げられる比喩として「金を貸している方が強いのか? それとも金は借りている方が強いのか?」というお話がありますよね。勿論それは状況次第で変わる話ではあるんですけど、しかし一般に思われているように「金は貸している方が常に有利である」ということは絶対にない。金を借りている方は、金を返さない、という究極の選択肢をちらつかせることによって、普通それなりの譲歩を引き出すことができる。*2
影響力を発揮するアメリカと影響力を発揮されてしまう国家、の関係もそれは当て嵌まる。
アメリカが利己的なように、他の国だってそれと同じ位利己的である。むしろそうでなくてはならない。彼らは持つ手札に差があるというだけであって、その中のプレイヤーとしてはまったく同質であるから。もしそこで「彼らが特別に悪質である」なんて認めてしまったら、それこそ人種差別意識というものになってしまうことに気付かない人もまぁいるんだけれども。


メディアや情報通信の発達した現代世界において、常に強い側が一方的に搾取できる構図、というのは実はあまり多くないんです。そもそも欲しい物があるからこそ、関与しているのだから。まったく利害のない所に影響力を及ぼそうとするのは、幼児向け創作に出てくるような悪の組織によるあの馬鹿みたいに無邪気な「世界征服」でしかない。
だからアメリカが他国を脅すのと同じ位、脅される側もアメリカを脅しているんです。「あれあれー? そんな事やったらウチの○○が大変なことになってしまいますよー?」と。勿論その譲歩の度合いとしてはアメリカが有利に傾くんだけども、しかしアメリカが他国を利用するのと同じ位、他国もアメリカを利用している。自らの目的の為に。あるいは共通の敵という幻想の為に利用したりする*3。で、皮肉にもそうした事はウィキリークスで暴露されてしまってもいると。*4
そうした「世界で最もアメリカを上手いこと利用して成功した」と思われているのが私たち日本でもあるんですよね。国内向けにはあんまり言われませんけど。

社会が悪いと言って安心する人と、アメリカが悪いと言って安心する人

結局の所、社会が悪いと言って安心する人も、アメリカが悪いと言って安心する人も、別にそれはそれで良いと思うんです。私たちは何らかの心理的な正当化や安心を求めずにはいられないから。個人的に内心の安心を担保しているだけなら。
でもそれを外に向かって社会や世間に責任を押し付ける態度は、まさにその人たち自身でさえも社会の形成する一端を担っているのだから無責任である、と批判される。お前は一体何に向かって責任を転嫁しようとしているのか、と。そしてそんな態度は結局の所、何も解決しない。


翻って、単純に「アメリカが悪い」と非難する姿もまた、それと同じなんですよね。私たちは大なり小なりアメリカのやり方(民主主義や自由市場への信仰)に賛成しているし、そしてまたその構築に手を貸してもいる。こうした世界は私たちの生まれる以前からあったものだけれど、しかし同時に私たちの手で維持・存続がされている。
アメリカの特殊性を、その手札の強さではなく、単純に性質の悪質さに求めてしまう。そんなことやったってゲームには勝てないのに。社会のせいにしたところで何も解決しないし、彼らが悪い人間だとなじった所でやっぱり何も解決しない。それは結局の所パワーと利害の結果でしかないんだから。


そんなことは「社会が悪い!」と逃げる人たちを笑うことで解っているはずなのに、それでも尚「アメリカが悪い」と逃げてしまう人たちのお話でした。

*1:第四次中東戦争の時にアメリカやオランダがイスラエルを支持した。それに反発した一部アラブ諸国が対抗措置として石油禁輸を行った。

*2:何故「最終条件交渉ゲーム」が成立しないのか - maukitiの日記

*3:植民地支配を受けた国が宗主国への普遍的な恨みを抱くことによって一体感を得るように、もっと広義的にアメリカ支配という物に対して一体感を得ようとする。

*4:もうそろそろ「ウィキリークス陰謀論」が出てきますよ - maukitiの日記