何故彼らは革命へと至るのか?

ということで今話題の革命祭りのお話。というかよく誤解されがちな単純な「経済的困窮が革命を招く」について。


これまでのうちの日記でも単純に「経済的困窮が革命を招く」なんて書いてきましたけども、しかしそれって正確な表現というわけではないんですよね。勿論全部が間違ってるとは言えないけども、しかし単純にそれが一つの原因であるということはできない。まぁ反米だからとかよりはマシだと思いますけど。
よりそれを正確に言うならば「相対的な経済困窮」なんです。
まぁ考えてみれば当たり前の話で。だって確かに、現在のエジプトの一部の人たちは世界的な食糧資源の高騰を受けて明日のパンに苦しむようになったわけだけども、でも下を見ればエジプトよりも更に貧乏な人は世界にはもっと居る。アフリカとか中南米とかたくさん。ついでに言えばその独裁さ加減も。つまり、貧しい国々の経済的困窮や独裁による政治弾圧がそのままイコールとして、世界の中でも最貧国・独裁国家から順に革命が起きていくのかというと決してそうではない。サミュエル・P・ハンティントン先生がその著書『変革期社会の政治秩序』の中で、むしろ最貧国と最富裕国こそが革命など起こらずに安定しているとも言っているように。
「革命への機運の高まり」が起きるのはその中間にある国々、例えば富裕層と貧困層の差がどうしようもなく広がりそれが認識されてしまった国々こそが、革命へと至ってしまう。自分が全然食えないのにのうのうと食っている奴が居るからこそ、その怒りは爆発する。
しかしこんなことはそれこそ革命の元祖だったフランス革命の頃からずっとそうだったし、その革命当時から既に似たようなことが言われていた*1フランス革命だって実際フランスの農民たちは苦しんでいたわけだけど、でもそれを言ったらロシアやプロイセンの農民の方がもっと貧しかったわけで。しかしフランスのその政治風土、まさに自由主義の走りとなった社会によって、より正確に(そして扇動的に)支配者層の絢爛な生活が貧しかった国民の広く知る所となり、故に彼らはその「相対的な困窮」に気付いてしまったと。


革命に対してツイッターSNSが果たした影響として「市民の情報伝達に重要な役割を果たした」なんてよく言われたり否定されたりしているんだけども、結局の所その役割ってこういうことなんですよね。社会学的に言えば、ソーシャルメディアが真に導いたのはより効率的な『相対的剥奪感』であると。現代の革命でソーシャルメディアが果たした役割とはつまり、彼らにより「自分には無いのに他の誰かにはあるもの」を意識させることだった*2


こんな「距離が近くなった悲劇」の話って以前どっかで書いたなぁと思ったら、
ネトゲでルサンチマンが爆発する理由 - maukitiの日記
一昨年にネトゲのネタの一つとして書いてました。私たちはより世界が小さくなっていってしまうからこそ、その近くなった他者との格差を必然的に意識させられてしまう。昔は知らなかったからこそ幸福だったのに。しかしそれを知ってしまった。確かにそれは進歩と呼ぶべき痛みではあるんでしょうけども。
上記日記で「『もし世界が100人の村だったら』が現実にあったらまず間違いなく暴動が起きる」と書いたけども、やっぱりチュニジアやエジプトもそうなってしまう。だって私たちは遠すぎて認識できない絶対的な基準によってではなく、身近ある相対的格差こそが、我慢できないのだから。