シーシェパードのいちばん馬鹿な点

捕鯨のお話についての個人的雑感。


http://www.afpbb.com/article/politics/2786249/6835852
ということでついに嫌がらせに負けて撤退したらしい。まぁなんというかお疲れ様です。


さて置き、つまるところ、タイトルの様なシーシェパードが馬鹿な理由って別にそんな彼らの思想自体にあるわけじゃないと思うんですよね。「クジラは賢い生き物だからころしてはならない」まぁ確かに馬鹿みたいな理屈ではありますけど、しかしそれは言ってみれば私たち人類の間によくある見解の相違・思想の違い・異文化であることの証明でしかない。
豚を不浄だからという理由で食べないのも、牛を神聖だからという理由で食べないのも、クジラは賢いから食べないのも、「私たち日本人にはあまり理解できない」習慣という意味でどれも違いはない。
彼らを本当に馬鹿だと感じるはその思想自体にあるんじゃなくて、その手法にあると思うんです。
その暴力的な手法は現代世界で重視される「正当な手続き」に依っていないという批判をすることはもちろんできる。でも実際彼らの行為への批判ってそのレベルでさえないんです。つまり、いつの時代も、固有の文化・伝統が消える最大の理由は「その文化に意味・価値がない」と当事者達が忘れたり無関心になっていったからこそ、歴史における無数の文化たちは消えていったのだから。


よく語られるような「政治支配者による強制・弾圧」により消えていった文化・伝統というのも確かに存在します。というかむしろ私たちが一般に考えるイメージはそちらの方が強い。例えばかつてのヨーロッパ植民地支配であったり、アメリカ大陸発見から始まるインディアンの末路や、現代中国の少数民族の現状や、そして私たち日本だってアイヌ琉球の歴史にあるように。
でもそれって結局の所、私たちがそういう事例を特殊で悲劇的だからとより強く記憶しているからこそそう見えるだけであって、むしろそうした事例って少数派なんですよね。私たちが文化や伝統を忘れる理由は単に強制されたからというだけではなくて、大抵の場合、自発的に捨て去っていったものだから。経済的合理性や科学技術の発達によって。(まぁこれも広義の強制と言うこともできますけど)
http://www.fallinstar.org/cat144/post_115.html
最近話題になった『選択バイアスの罠』ってこうした事例にも当て嵌まると思うんです。私たちの歴史にもっとも大きく書かれているのがそんな政治的弾圧だからといって、それが最大の原因であるわけではない。文化や伝統を無くす際の原因の一つである強制や弾圧という理由があまりにも衝撃的に過ぎるから、それより多くの場合で発生しているはずの自然消滅的な「忘れ去られる」「無関心になる」という原因が見えなくなっているんじゃないのかと。


日本人はまさに捕鯨という文化をいつもの様に自然に忘れつつあったのに、シーシェパードはわざわざ耳目を集める騒動を起こすことによってもう一度思い出させてしまった。そんなことしなくったって最早現代日本人の多くは、積極的に鯨を食べることもしなくなったし、それを自らの独自の文化であるという意識も薄れつつあったのに。そして実際その通りに、日本におけるクジラやイルカ漁が年々拡大してるわけでは当然ないし、今回の捕鯨調査に投入される資金や資源も年々縮小されているわけだから。
だから日本の捕鯨文化なんてほっとけば、近い将来に、自然に消え去っていったと思うんです。無数の消えていった日本文化と同様にひっそりと、私たちの無関心によって。なのに彼らはその消えつつあった文化という火に、消火という名目で水ではなく油をぶっかけている。ほっとけば消えるのに。
挙句に、彼らは馬鹿みたいな論理と手段を持ち出すことによって、自然消滅していく流れまでも阻害している。それならまだ何もしないほうがよっぽどクジラの為になったのに。
その意味で、彼らはほんと馬鹿なんじゃなかろうか、と思わずにはいられない。