盗んできた情報をただ精査するだけの簡単なお仕事

ウィキリークスの勃興って政府当局に対する挑戦というよりは、実は既存のマスメディアに対する挑戦でもあるんですよね、なお話。


米ジャーナリストはなぜ沈黙するのか | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
面白い評論だと思います。勿論ポジション的にはアメリカ政府への非難という志向はあるんだけども、しかしそれでもアメリカのメディアの瑕疵の底にあるもの、がよく解るお話になってる辺りが特に。

「(ジャーナリストたちは)アサンジの行動を(報道の自由の)範囲内と考えているが、アサンジの行動には賛成しかねると思っている」と、NBCテレビのコメンテーター、ダン・エイブラムズは言う。「この深刻なジレンマがウィキリークス問題に対するメディアの報道姿勢、とりわけ(アサンジ訴追の動きに対する)煮え切らない態度に表れている」

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へーという感じです。へー。まぁなんというか解らないお話ではないですよね。解っちゃいるけどやめられない、そんな悲しいジレンマ。
実際こういう感情が強いのだろうと僕も思います。勿論そこに、国家権力におもねっているから彼らはアサンジを擁護できないのだ、という一部の人が信じているような要素もあることはあるんだろうけど、それでも尚、最も強い理由は、彼の手法を100%肯定することができないからであると。
だって彼の画期的なやり方を是であると認めてしまったら、それまで非効率なやり方でやってきた既存マスコミはどうすればいいのだろうか?


少なくとも、彼とウィキリークスの行いが「それまでになかったほどの」情報とその確度の高さを証明した、のは確かに間違いない話なんですよね。
もし、彼の行動自身までを擁護してしまったら、今後は彼と同じやり方を既存のマスコミも一緒にやらなければいけないのだろうか?
それまで地道な取材や調査によって得られてきた報道、皮肉なことにそれが概ね正しかったことがウィキリークスによって証明された、はそれならばまるっきり無駄であるとしか言い様がないわけで。そんな地道な取材調査よりも、(マニング陸軍上等兵のような)内部告発者を説得するなり騙すなりして手っ取り場早く情報を得てしまった方が簡単であるのは間違いない。
そこで生まれるのが「ほんとうにそうした手段を容認して良いのか?」という疑問。
確かにそれは効率的であることは事実ではあるんだけど、もしそれを認めてしまったらそれまでの彼ら既存のメディア自身をも否定してしまうことに繋がってしまうんですよね。故にそれが報道の自由の範疇であると認めることはできても、彼のやり方を容認するところまではできない。だってそれをしてしまったら、自分自身の存在意義まで失ってしまうんだから。
もしそれを認めてしまったら、今後ジャーナリストのお仕事は、まさに現在ウィキリークスで行われているような「盗んできた情報をただ精査するだけの簡単なお仕事」になってしまうから。


だからよくあるウィキリークスの対立構図を『政府対反政府』とするのは単純な見方に過ぎなくて、むしろ『既存メディア対新しいメディア』というものこそがよりクリティカルな所に存在している。少なくともジャーナリストを名乗ってきた人たちにとって。
いやぁこれってとっても面白いお話ではありますよね。少なくとも政府当局にとってはそれを容認する事は100%できないわけだからそこに議論の余地はないわけだけど、でもジャーナリストさんたちにとってはそうではない。少なくとも彼のやり方が効率的であったことは認めるしかないんだから。こうして議論の余地が生まれてしまう。


「(ジャーナリストたちは)アサンジの行動を(報道の自由の)範囲内と考えているが、アサンジの行動には賛成しかねると思っている」
故に彼らはジレンマに悩んでしまうと。彼の仕事を認めることは、自分のかつての仕事を否定することになりかねないから。