合理性と残虐さが手を取り合っている

盛り上がってたナイジェリアのお話。


「赤ちゃん製造工場」を摘発、少女32人を保護 ナイジェリア 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
ナイジェリアで横行する「赤ちゃん売買」、その背景にあるものとは 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News
うわーゲスいとしか言いようがない。おわり。


さて置き、まぁ結局の所ナイジェリアがこうした事態に陥っているのは、やっぱり先日も書いたように最貧国なのだからではなく、『格差』が生まれるようなある程度まで進んだ近代化への途上にあるからこそ、こうした地獄が顕現してしまうんですよね。
地獄とは所得の格差なり - maukitiの日記
それはメキシコであり、ヨハネスブルグであり、そして西アフリカで最も経済発展していると言われるナイジェリアで、今現実に起きている地獄であると。
そこではまさに伝統的思想と近代的な手法が混在している。勿論その両者の良い面が現れることもあるんだけど、しかし一歩間違えればその両方の負の面が相乗効果によって更にどうしようもないことになる。
今回の「赤ちゃん製造工場」なんてそのまんまですよね。まさに『工場』のように赤ん坊を製造する。彼らはその古臭い伝統的な思想と、しかし同時に近代的で合理的で経済的な思想にもよってそのシステムを運営することを可能としている。
そしてまた、売る方だけでなく、買う方も同様なんです。わざわざ暴力などによる非合理的な手段によるまでもなく、もっと効率的で合理的な賢いやり方である「購入する」という行為を、彼らはある種正しく選択している。確かに私たちはそう教えてきたんです「よりブルジョワであれ」と*1。奴隷売買や悪魔儀式の為という伝統的な『目的』を、しかし確かに合理的で効率的としか言い様のない『手段』によって達成する。
そんな両者の共謀による構図。


こうした事態はまさに、社会の近代化の移行途中でしばしば起きる悲劇なんです。行き過ぎた所得格差の抑制に失敗することによってトリガーされ、そして人びとはより手段を選ばなくなっていき、更に周辺からもそんな「手段を選ばない」機会を求める人びとを誘引する。
伝統的社会と近代的社会が手を取り合うことによって、どちらか一方だけでは決して実現しなかったもの、がこうして生まれることになる。最貧国や先進国ではなく、混在する両者が手を取り合うことでこそ。
まぁこんな事はそれこそ最初に近代化への道を歩み、いつしか「人間は進歩した」と自画自賛していたかつてのヨーロッパの人びと*2でさえも結構痛い目にあっていたので、人類にとって避けようのない宿痾のようなものなのかもしれませんね。
なんて簡単にまとめると怒られてしまいそうなお話でした。

*1:何故「経済的合理性は戦争を抑止する」という思想が生まれたのか - maukitiの日記

*2:実際、第一次大戦前までのヨーロッパの人びとはそんな風に考えていたわけで。で、その後に塹壕戦やら毒ガス兵器やら核兵器やらで、より大きな悲劇を生み出してしまった。近代化や合理性によって、結果としてより残虐な行為をも可能にしてしまったオチ。