特殊事例に生きる私たち

実際中に居るとそうとは気付きにくいものではあるんですよね、なお話。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/14009
これすごい同意したくなるお話なんですよね。以前書いた堀江さんのようなポジションに近い。つまるところ、確かにそうした理想や精神は正しくて美しいのだけれども、しかしそれが主流な訳では決してないわけです。

リベラル派がハイト教授の説明に当惑した理由

 アスペン・アイデア・フェスティバルの聴衆は、ハイト教授の説明になぜ当惑したのか? それは、道徳的直観については、より広範な保守派のものの見方が世界的な標準だと教授が語ったからだった。上記のような保守的な衝動は、世界中の宗教や文化にほぼ普遍的に見受けられる。世俗的なリベラルの方が変則的なのだ。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/14009

『忠誠や権威、純粋さ(身体的な清浄さも含む)』というような保守派の人びとが抱く直観。まぁ確かに古臭いものである事は間違いない。だからそれをバカにしたくなる気持ちも、反発を抱く心情も理解できなくはないんです。
けれども、しかしそれでも尚、それは多くの人びとにとっての支配的な価値観であることもまた事実なんです。だからそうした存在を無視した議論をするのは間違っていると思うんです。それを見てみぬフリをするのは誠実な態度ではない。
確かに成熟した民主国家の間では、そんな愛国心などの権威や忠誠心について、そこまで強く主張されるものではなくなった。でもそれは世界全体にとってのスタンダードになったかというと、そんなことまったくないんですよね。


結局の所以前書いた欧州連合さんの挑戦的な『国家主権の統合』の試みと、やっぱり同じ構図がそこにあるわけです。
その正しさは成功を担保しない - maukitiの日記

 だが、ここには皮肉がある。欧州が今競争しなければならない新たな大国は、EUポストモダニズムに確信を抱いたことは一度もないのだ。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/13125

勿論個人的にもそうした精神や理想は正しいと同意するんですけども、しかし世界の大部分ではそうしたことが(まだ)通用しないのだ、ということも同時に忘れないようにして欲しいなぁと思うわけであります。それは別に内部的な主導権を握りたいとか「みんなが言っているから正しい」とかそういう理由じゃなくて、自らの国の国際関係なポジションを考え「他の国々の人が何を考えているのか?」ということを議論するとき、勘違いしてしまわないように。
つまり私たちこそが変則的であり特殊事例なのだと。