核開発国家を巡るよくある悲喜劇

オーストリッチな人びとのお話。


時事ドットコム:核保有シミュレーションを=石原都知事が主張
東京新聞:都知事、核保有の模擬実験は可能 「3カ月でできる」:政治
そうですかそうですか。えー、まぁ、うん、なんというか毎度おなじみアレなおじいちゃんですよね。何か以前も書いた気がしますけど、でも彼はどこまでいっても『都知事』なのでそんな国政に影響を与えられるのかと言うとそんなことはまったくないわけで。その意味で彼はかなりの部分まで無力なのであって、故にこうした妄言が許されているとも言えるわけです。自分の仕事と無関係なことを無責任に適当に言い放っているだけ。チラシの裏にでも書いておけばいいのに。
ということでこうしたおじいちゃんの発言に真面目に怒っている人が偶にいらっしゃいますけど、むしろ「何でそんな一じいさんの独り言に近いなにかを報道機関は嬉々として発表するのか?」ということでも考えた方が多分まだ少しは生産性があると思います。


でもまぁそれだけじゃ寂しいよね。何か書けばさんかくでももらえるかもしれない。ということで空欄を埋めるために、折角時期が時期であるし『核開発国家』を巡る不毛な悲喜劇でも適当に書きます。

インドやパキスタン北朝鮮、イランが通った道

実際の所、核保有のシミュレーションという意味においては、かつてのNPT=核拡散防止条約が出来た頃からその影響は予測されていて、ついでにその予測が正確であるってこれまでもう現実で証明されているんですよね。
よく言われていることではありますが、「核兵器による相互抑止」が真に成立する為には『安定した第二撃』が必要であるとされています。自分がもし先に撃たれてもちゃんと相手に反撃できるだけの数量が無ければそもそも相互抑止が成立しない、当たり前の話ですよね。だからただ核兵器を持てばいきなり安心できるのかというとそんなことはまったくないわけで。


じゃあ、それに満たない少ない核戦力だとどうなるの? というとそれは全く逆の効果をもたらしてしまうわけです。
できたばかりの小規模な核戦力は敵対国の先制攻撃を誘因する。つまり皮肉にも、『安定』を得るために核兵器を持とうと努力することは、全く逆に不安定さを助長する羽目になってしまう。こんなことは現在でも北朝鮮やらイランやらを見れば一目瞭然なんですよね。少なくとも核クラブの成立以後においては、結果としてほとんどの国でこうした事態を招いている。


彼らは核兵器というある種の安全保障を求めていながら、しかし核開発による周辺国からの圧力によって「より」安全保障に不安を覚える事になり、そしてまたその不安定さを核兵器によって解消しようと一層努力を続ける羽目になる。
なんて不毛で、悲喜劇で、そしてぶっちゃければバカみたいな話ですよね。よく「手段が目的と入れ替わる」なんてバカな話がありますけど、今回はそれよりももっとひどい。手段によって目的が毀損されている。一体なんでこんなことに。まぁそれは核兵器信奉者だけじゃなく絶対平和主義な人びとにも同じことが言えるので、殊更に彼らのみがバカだとするのはあまりフェアではないんですけど。
それらは「ダチョウが危険を感じた際に、頭だけを隠して安心する」という構図に近い。実は「頭を隠す」ことこそが、真に危険をまねいていることに気付かない。頭さえ隠していれば、核さえあれば安心だと確信している。彼らはおそらく本心から恐れ、そして良かれと思ってこうした行為に走るんでしょう。


しかし実はそれが全く逆の結果をもたらしていることに気付かないままに。