ヨーロッパさんちのスポーツ観

それに振り回される不適格な国な人びとの悲しいお話。


服装の悲劇に泣いたイランのなでしこ | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
この記事見た時「またか」って思ったんですよね、だって以前同じような記事を見たから。けど実の所よく見たら先月の記事の再掲*1だったというオチ。当時はそこまでこの話題で盛り上がることなかったなぁと記憶してたのに、何故か今になってこうしてすごい盛り上がっていると。どう見てもなでしこ効果です。
まぁニューズウィークさん上手いこと再利用しているなぁと思うと同時に、私たちがニュースを見る時にはそういう要素が重要なんだとよく解る事例だと思います。


さて置き、このイランの子たちは確かに可哀相だけれども、しかし現状FIFA側から他に解決策を出すことはできないんじゃないかと個人的には思います。
元々欧州のサッカー界ってカトリックプロテスタントの対立を代表として、かなりそうした宗教的・政治的な摩擦が表出する要因でもあったわけなんですよね。というか現在でも一部でそんな要素が言われていたりするわけです*2。それも考えてみれば当たり前の話ではあります。だって彼らが誇り、そして日本もモデルとしてきた「地域クラブ」とはつまりそういうことでもあるんだから。地元だから応援する、同じ宗教だから応援する、同じ民族だから応援する、と。
これまでもこの日記で何度か書いてきたように、だからこそヨーロッパでは公的な場所での宗教カラーを出すことを控える事こそを『宗教からの自由』として強く推進してきたわけです。そしてそんな思想はやっぱり欧州起源のFIFAにも受け継がれているんでしょう。宗教フリーであることこそが、摩擦を無くすことの出来る唯一の道であると。


だから「首が絞まる云々」の辺りってかなり建前に過ぎないんじゃないかとも思うわけです。それはヨーロッパ各地で盛り上がっているブルカな騒動と同じ構図で。
勿論そこに宗教的意味があるかどうかは議論の分かれるところではあるんでしょう。しかし(少なくとも彼らの目から見て)イスラム教を象徴しているかのように見える『スカーフ着用』がこうした中で認められるかというと、おそらくないんじゃないかと。むしろそんな宗教カラーを、消す事にこそ意味があると思っているんだから。彼らにとってのスポーツとは、宗教や政治というイデオロギーから「自由である」ことこそに、意義を見出しているからこそ。まぁ確かに独善的ではありますけど。


ということで、解決策としてはFIFAからヨーロッパの影響力を追い出すとか。……すごい無理そう。
あるいは着用可能な非公式的な地域大会から始めてみるのは如何でしょうか。そうした実績の積み重ねこそが彼らを説得する為の材料になるんじゃないかと思います。