『死ぬのが怖くて自殺するようなものだ』

と、かつての鉄血宰相は仰っていたわけです。*1


都内で大規模な反原発集会、震災後最大級のデモ 写真12枚 国際ニュース:AFPBB News
主催者発表で6万人だそうです。すごいですね。最近はフジテレビのデモなどで盛り上がってた訳ですけど、やっぱり『本職』な人がやると実力の差がはっきり出てしまいますよね。実力て。


原発議論において相手を説伏・論破したい全ての人に捧げる詩

さて置き、まぁこれって以前書いた『沖縄米軍基地問題』と悲しいくらい同じ道を辿っていると思うんですよね。ザ・宗教戦争。あるいは限りなく感情な問題。
つまり一方の集団にとっての「叡智の証明」とは、もう一方の集団にとっての「無知の証明」でしかない。両者は同じ事柄について、しかしまったく逆の解釈を持ち出している。その尺度は両者の立場の違いによって180度意味を変えることになる。そしてだからこそ両者の隔絶は果てしなく大きくなっているわけです。

  • 原発維持派にとって脱原発することは、無知の証明である。
    • 原発を止めるなんて、「死ぬのが怖くて自殺するようなものだ」
  • 原発反対派にとって脱原発することは、叡智の証明である。
    • 原発を続けるなんて、「死ぬのが怖くて自殺するようなものだ」


いやぁ不毛なお話ですよね。さすがのビスマルクさんもこれには苦笑いですよ。一体どちらが本当に『自殺に至る道』なんでしょうね?

*1:ちなみに元ネタは、周囲を潜在的敵国に囲まれた19世紀末に統一を果たしたばかりのドイツをして、だからといって予防攻撃として先制攻撃するなど「死ぬのが怖くて自殺するようなものだ」と彼は看破していたわけです。まぁ彼の後継者たちは結局二回も自殺しちゃうわけですけど。