多様性という弱点

昨日の日記「私たちは異邦人を無視できるだろうか?」部分についての適当なお話。


CNN.co.jp:モスク建設予定地にブタの死骸 イスラム教拡大に抗議か スイス
少し前に日本でも「引き下がって」宣言なモスク反対運動が話題になりましたけど、さすが本場は違うぜ!
豚の血をぶっ掛けるとかどこの『キャリー』だよという感じですよね。意気揚々とモスクを立てようとしたら豚の血をぶっかけられてる辺り、実は両者には何かしらの関連性があるかもしれませんね! いま適当なこと言いました。

(CNN) スイス北西部グレンヘンで11日、モスク(イスラム礼拝所)の建設予定地に切断されたブタの死骸が埋められているのが見つかり、国内のイスラム教徒らに衝撃が走った。ブタはイスラム教で不浄な動物とされている。スイスでは近年、イスラム教徒とキリスト教徒の間で緊張が高まっている。
地元警察が同日、何者かが予定地を「汚す」目的でブタの死骸を埋め、ブタの血液120リットルをまいたとの情報を受けて発掘した。
無記名のパンフレットにドイツ語で「スイス国内でのイスラム教拡大に抗議するための作戦だ」と書かれ、スペインでも同様の作戦でモスク建設計画が中止されたとの説明があったという。

CNN.co.jp:モスク建設予定地にブタの死骸 イスラム教拡大に抗議か スイス

さて置き、よく考えてみれば一般にイメージされる「のどかなスイス」とは裏腹に、やっぱり中世魔女狩りの先頭を走っていたのもまたスイスだったわけで。
ここで言いたいのは別に、「スイスにはそうした異端や宗教弾圧という歴史的な伝統と残酷な性格を持っているのだ!」などということでは勿論なくて、むしろかつての『魔女狩り』の時代と同様にスイスの社会的・政治的な性格こそが、こうした極端な行動に走らせやすいのかなと思うんですよね。


つまり一般には、中央集権が進んだ単一的な国家よりも、より細分化された多様性を持つ国家の方が『魔女狩り』に走りやすいとされているわけです。だからフランスよりもスイスやドイツでよりヤバかったと言われていたりする。まぁ考えてみれば当たり前の話ではあります。だってそうやってより多様性に富んでいる方が、わずかな新規勢力の勃興に敏感にならざるをえないわけだし。あと身も蓋もない言い方をすれば、現代中国における「官製デモ」と「民衆デモ」の差、みたいなお話でもあるんでしょう。確かに私たちが何度も目にしたように「民衆デモ」の方がまぁロクでもないことになっていたりしました。
それ以外に現代でも形を変えてよく見られる構図でもありますよね。強権(独裁)体制によって皮肉にも「偽りの平和」が保たれていた構図。最近ではアラブの春後のエジプトのコプト教徒とかがそんな感じになりつつあったり。

同国の人口約700万人のうち、イスラム教徒は約50万人と推定される。イスラム団体の報道担当者によると、近年右派を中心にイスラム教徒への攻撃が目立つようになり、2009年には国民投票イスラム寺院ミナレット(尖塔)の新規建設禁止が可決された。同担当者は「雨か雪が降れば土地は清められる」と話す一方、「この国ではキリスト教徒とイスラム教徒がずっと平和的に共存してきたのに」と、反イスラム感情の拡大に懸念を示した。

CNN.co.jp:モスク建設予定地にブタの死骸 イスラム教拡大に抗議か スイス

「この国ではキリスト教徒とイスラム教徒がずっと平和的に共存してきたのに」まぁ確かにその通りではあるんです。
しかし現にスイスでのキリスト教の勢力は衰えつつある中で、逆にイスラム教の勢力は増しつつあるわけで。この「勃興しつつある人びとvs衰退しつつある人びと」という構図において摩擦が起きないわけないんですよね。それは世界中の何処でも見られるほとんど普遍的な論理なんだから。パワーバランスの移行期における混乱。それを見ないフリでやっていくのもどうなのかなぁと。いつか700万の内の50万が、100万、200万になった時どうするのか。実際、イスラム教徒の数は1989年の55000人から上記ニュースでは500000と、20年ちょっとで約10倍になったみたいだし*1。そりゃ摩擦も起きてしまいますよね。


ともあれ、以前の国民投票での反対や今回のようなあからさまな嫌がらせなど、上からの弾圧ではなくこうしたボトムアップ的な「イスラム教に不寛容なスイス(あるいはオランダやベルギーとか)」という構図って、やっぱり逆説的にヨーロッパでも多様性社会がそれなりに「うまくいっていた」ことの証明でもあるのでしょう。しかしそれ故に彼らはこうして新たな来訪者たちの勃興により苦しむことになると。いやぁ救えないお話ですよね。