一体何に金を使えばいいのだろうか?

重要なのは、金の使い道、というお話なのかなぁと。


テクノロジは雇用を破壊しているのか? | TechCrunch Japan
えー根が深いというかなんというか、根源的なお話ではありますよね。産業革命によるラッダイト運動から始まってからネオ・ラッダイトに至るまで、私たちは未だ明確な答えを出せていない、と。「19世紀インドでの鉄道建設において、インド人労働者たちは土や岩を運ぶのに、(女性や子供の仕事を増やす為に)手押し車を使うことさえ拒否していた」そうですけど、実際の所私たちはそんな彼らを『合理的でない』とバカにできるんでしょうかね?
テクノロジーの進歩は、ほんとうに、私たちから仕事を奪っていないのだろうか?
まぁ経済学で見れば、ケインズ先生のセーの法則への批判から始まる「供給が需要を生む」のか「需要が供給を生む」のか、という議論からの「需給ギャップを誰が埋めるのか」というめんどくさい話にまで行ってしまって、なんだかよく解らない話になってしまうのでその辺はさて置いておきます。

今日では、工場労働者はロボットに置き換えられ、ソフトウェアがもっと広い職域で、人間がやっていた仕事を自動化している。コストが下がり、利益は増えるので、企業はお得だが、しかし人間はどうだろう? その昔、ラッダイトたちは機械が人間を追い出すと恐れたが、今、史上初めて、それが本当になりつつあるようだ。

テクノロジは雇用を破壊しているのか? | TechCrunch Japan

さて置き、将来行き着くのはやっぱりSF的な『技術的特異点』なんじゃないでしょうか。
wikipediaさんの解説には「ありうべき特異点後の未来では、一人当たりの雇用は減少するが、一人当たりの富は増加する」なんて書いてありますけど、その特異点『以前』の段階にある現在でもその傾向はそれなりにあると思うんですよね。勿論その自動化・機械化システムの構築にはそれなりの人的コストが必要なわけだけど、しかしそれでもやっぱり総体としてはほんの僅かでもそういう方向へ向かっているのではないかと。
まぁ考えてみれば、私たち人類がただ自分たちが食べられる分だけを生産・採取していた古代の社会から『農業』という効率化によって、行政制度なり貿易なり宗教なり文化なりとただ「自分が生きていく為」だけでない分野への拡大を可能にしたわけで。そこから現在まで連綿と続く流れの一つなのかなぁとも思います。


こうした視点から考えると、かつてはそんな生産余剰を更なる新規の分野へと還流させることができていたけれども、しかし現在の世界ではそんな『新たな使い道』が不可能になりつつあるのが元凶なのかなぁと。
それは新しく登場したのが資本主義という素晴らしいシステムだったからこそ。故に金持ちたちは金をひたすら積み上げていく以外に方法がない。当たり前ですよね、だってそれこそが勝利の方程式なんだから。そして格差は増大し、そうでない人びとは怒りを燃やすと。じゃあそんな金持ちたち専用の金の使い方を、それこそかつての支配者階級・貴族階級のように、設定すればいいのかというとそれも難しいですよね。
それを否定することは資本主義そのものの否定になりかねないし、ついでに私たちの素晴らしき共通認識(あるいは建前)が教えるところでは『全ての人間は平等である』わけだから。いっそのこと別の世界に住んでいてくれればそれを直視せずに済んだのに。


なんかこんな風に考えると、ああ八方塞だなぁと達観してしまいます。皆さんはいかがお考えでしょうか?