知識と論理に対して直感と感情で立ち向かう人たち

それが喜劇なのか悲劇なのかよく解りませんよね。


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わーたのしそー。うちの日記でも橋下さんに関して以前少しだけ言及したとあって、部屋のPCモニターに搭載しているテレビジョン=アニメ録画専用機だったものが今年初めてまともに機能して朝生を流し見しておりました。うん、まぁ、なんというか、某「素人的な感覚でしっかりと対応したい」*1というお話を思い出してしまいました。そりゃこうなるよなぁと。
もちろん下と比べるから橋下さんが相対的に良く勉強しているように見えるという状況もあるんでしょうけど、しかしそれでも橋下さんが政治家としてきちんと(当然のことながら)勉強しているんだなぁと思わずにいられない構図ではありましたよね。ていうかあまりにもその反橋下派の方たちが酷すぎて、どう見ても八百長というか今流行のステマじゃないのこれ、という気持ちにさえなってしまうほどです。実は香山リカさんはハシズムageのステマだったんだ!


しかしこうして反橋下な人たちのレミングスばりの自殺行を見ていると、一部民主党の大臣の皆様も『官僚』な人たちにこんな風にやり込められているんだろうなぁと暖かい気持ちになってしまいます。
それこそ官僚嫌いの人は認めないかもしれませんけど、特に官僚型政治といわれている日本政治にあって、おそらく日本でも最も時間を掛けて政策を研究し現状に通じているのはやっぱり霞ヶ関官僚の皆様であるわけでありまして。そんな日本でも最も知識がある人びとといっても過言ではない人たちに、素人感覚で挑むとどうなってしまうのか。彼らにほんとうに必要だったのは知識と論理だったはずなのに、何故か直感と感情に行き着いてしまった人たち。そりゃ結果として操り人形になってしまうよなぁと。
といってもそれは彼ら自身の資質だけの責任というわけでもなくて、「すべては貧乏が悪いんや!」というお話でもあるんでしょう。
本来そうやって官僚に負けないだけの知識を用意していなければいけないはずが、しかし政策秘書だのなんだのを雇うためのお金は、しかし歳費削減の波に負けてどんどん削られていってしまうのでした。この辺は現代の政治家の皆さまに多少は同情するしかないないかなぁとは思うんです。単純に「政治家は官僚の言いなりだ!」と言うことはできますけど、しかし裏を返せば圧倒的知識を持つ官僚に反抗の術がないことの証左でもあるわけで。そして益々金持ちか、あるいはノウハウを持つ二世政治家が増えていくと。


昨日(1月31日付)の読売新聞で連載がはじまった『指導者考』というコラムにおいてキッシンジャー先生がタイムリーな寄稿をしていらっしゃいました。

〜彼ら(官僚)の武器は、政策の中身や手順を知り尽くしている優越性だ。
閣僚がこれに打ち勝ち官僚をうまく活用するには、自らが明確な方針を持たないといけない。そのためには、十分な知識を持ち、適切な指示を下さねばならない。物事がどう決まるのかも理解している必要がある。

そして、にもかかわらず現代の政治家たちが勉強する為の時間はより減ってしまっている、と纏めています。まぁそういうことであるんでしょうね。


ともあれ、戦中日本のあの悲惨な精神論などを愚行として非難していたはずの彼らが見事にこうして似たような精神論に陥ってしまうのを見ていると、あぁこうしてアメリカの圧倒的物量(知識量)の前に彼らはそれ以外の何かで立ち向かわざるをえなかったんだなぁ、と当時の日本の末期戦を思い出さずにはいられません。偉い人が端的に言っているように結局のところ「戦争は(知識と論理の)数だよ!」だというのに。それを素人感覚などというよく解らない精神論に頼り、そして見事に散っていく人たちについて。


知識と論理に対して直感と感情で立ち向かう人たち。
いやぁこんな時どんな顔をしたらいいのか解りませんよね。