「暴力ゲームはむしろ人間を冷静にさせる」論

僕はどちらかというとこっち派です。


暴力ゲームと若者の破壊衝動は無関係…テキサスA&M大学の研究チームが報告 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト
な、なんだってー!?

研究者はこの実験を通じ、暴力ゲームに接触することと若者の破壊衝動には関連が無いと断言。むしろ実際には精神状態の落ち込みや反社会的な性格特性、家庭内暴力、同世代の人間との関係などの方が破壊衝動と関連していると主張しました。

暴力ゲームと若者の破壊衝動は無関係…テキサスA&M大学の研究チームが報告 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト

うん、まぁ、みんな知ってましたよね。けどきちんとした研究結果が出たのはよろしい事なんだと思います。とはいえ、まぁこんな迷信なんてゲームが日常的に存在する世代が増えていくにつれ自然になくなっていくという身も蓋もないオチなんだと思うんですよね。結局のところ、私たち人間はそれが『未知』であるからこそ、無根拠に恐れを抱いてしまうんだから。例えば現在なってまでテレビや映画や漫画で暴力性が上がったなんてことが真面目に語られることもないんだし。まぁエロ漫画のように未だに槍玉に挙げられている人たちもいらっしゃいますけど。それも「未知故に」だよなぁと。
ということで今後の課題としては、我らが日本で一部言われているような「恋愛ゲームをすると現実の恋愛に興味がなくなる!」という方向で是非。むしろこっちの方がずっとありうる話ではないかなぁと。


こうしたお話において思い出すのが下記リンク先での議論であります。
映像メディアと偶像崇拝の論理
上記で言及されているように、むしろ歴史的には偶像崇拝禁止の事例から見ることができるように、むしろそうやって代替物へ傾倒することは「社会の活力が失われる」と考えられてきたわけです。そうした概念上の存在へ傾注していけば現実社会は縮小していくだけではないか、と。その意味で「暴力ゲームによって暴力性が増す」なんて非難よりも、全く反対の「暴力ゲームによって暴力性が減退する」あるいは「恋愛ゲームをすると現実の恋愛に興味がなくなる」という方がよっぽど筋があるんじゃないかと思うんです。
かつてのローマにあったように「国民は、パンとサーカスだけ与えておけば満足だろう」なんて。
まさに『ゲーム脳』脳論者の主張からすれば、あの暴力性を刺激されるはずの剣闘士たちのコロシアムでの戦いは、むしろその全く逆に人びとのそうした不満を発散させ大人しくさせる効果があるとされて行われてきたわけで。現代におけるテレビ社会でも似たようなことが言われていましたよね。

昔から、映像というものにはそういう効果があるんじゃないかということは言われてまして、メディア論で有名だったマーシャル・マクルーハン(1911〜80)の有名な言葉で、「ラジオは人を興奮させるけどもテレビは人を冷静にする」っていう言葉があるんですよ。

映像メディアと偶像崇拝の論理

映像効果という点で、ゲームという存在は概ねその通りだと思うんです。故に(僕自身含め)オタクたる人たちが恋愛ゲームやらあるいはそうしたアニメを見た時に、「よーし俺もアニメやゲームみたいに彼女つくるぜ!」とはならずに「現実に絶望した!」という反応がずっと一般的だったりするわけで。だからむしろそれで現実社会への行動意欲が増す方向にあるのかというと、それはまったく逆なんじゃないのかと。


ということで次はむしろそっちの方で研究を是非お願いします。まぁそれで過去の「パンとサーカス」や「偶像崇拝禁止」の正当性が証明されてしまったら、同じ文面でありながら、しかし全く逆の意味で「子供に悪影響を与える(現実社会への活力が失われる)危険性があります」なんて注意書きがされてしまいそうですけど。