顔の美醜と人生の難易度

それを差別と呼ぶべきか、区別と呼ぶべきなのか、なお話。


イケメン税を作ろう  課税率 イケメン:80% フツメン:0% ブサメン:-10% キモメン:-20% ムシケラ:-30%|やらおん!
まぁいつもの森永さん*1の言うことにマジレスしていい話題なのかどうかさえ解りませんし、ソース元の番組も見ていませんので、以下適当なお話。


実際こうした発想が森永さんのオリジナルかと言うと全くそんなことはなくて、それこそ私たちが普段から「*ただしイケメンに限る」なんてネタにしているように。かなり実感としてもそうあるのではないか、なんて多くの人が思っていたりするのではないでしょうか。
所さんの目がテン! で検証…面接官は賢いブサイクよりバカなイケメンを選ぶ事が判明【働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww】
以前にもこんな話題ありましたよね。面接官はイケメンを選ぶ。まぁこれがヤラセなのかどうかはともかくとして、しかし全てではないにしろ現実としてそれなりの要素を占めているのは事実ではあるんでしょう。イケメンはずるいなぁ。ちなみに先日も少し引用したランズバーグ先生の『型破りな知恵』から再び引くと、経済学としては既に、

  • 醜い女性は「並み」の女性よりも5%収入が低い
  • 醜い男性は「並み」の男性よりも10%収入が低い

ということは計量経済学の事実としてあるそうですよ。
上記面接の実験例でもありましたけど、労働市場では女性よりも男性のブサイクの方が許せないらしいです。絶望するしかありませんよね。といってもまぁ女性の場合は『結婚市場』においては、男性よりもずっと顔の美醜で成否が分かれているらしいのでどっちもどっちかもしれません。
なのでまぁイケメン税80%はやり過ぎかもしれないので10%程度にしておけばいいんじゃないでしょうか。
こうしたことの要因とされているのは、短期的な『見た目』という話だけではないわけで。偶に「美人は性格が悪くて、ブスは性格が良い」なんて言われたりしますけど、しかしどう考えても普通は色々抑圧を受けて育ってきた人の方が性格は歪むよなぁ、という長期的な環境要因も言われていたりするのでした。
実際そんな顔の美醜だけでなく、思春期までに『背が高い人』はそれだけで集団内でリーダーに推されるケースが多く、子供の頃から社会性を磨く機会に恵まれ、結果としてその後の収入の差によって現れる、という点にまで言及されていたりします。


えー、まぁ、なんというか、そりゃそんな風に嘆く多くの私たち自身にしたって、根源的に『醜いもの』よりも『美しいもの』の方を見たいと思っている辺りどうしようもないなぁ、と達観せずにはいられないお話ですよね。そんな顔の美醜と人生の難易度について。
その意味で、某作品のように今更「絶望した!」というよりは、「諦めてた!」というお話に近いかもしれません。



さて置き、僕としてはこうしたお話を見たときに毎回思い出すのが、SF作家テッド・チャンの『顔の美醜について』という短編です。
乱暴に纏めると「『カリー』という人間の顔の美醜について判断できなくなる処置」の賛否めぐる議論のお話。「客観的な美醜と主観的な美醜(好きなモノはそれだけで美しく見える)とは一体どうやって区別をつければいいのか?」なんて。結局のところそれは顔の美醜という見た目だけの問題ではなく、私たちの哲学や倫理にまで及ぶようなお話ではあるんですよ、とそれは作品内で示唆されています。思考実験という点でもものすごく興味深いお話でした。それこそ今回のお話のように、やはり『顔の美醜』とは、人生そのものにまで及んでしまうんだなぁと。
顔の出来不出来によって人生が決まってしまう私たち。それを批判することはまぁ簡単ですし、建前としては幾らでも平等を唱えることはできますけど、それが何処までいってもやはり建前でしかない事もまた(ある程度の大人ならば)ほとんど誰でも同時に知ってもいるのでした。未だ『カリー』のない世界に住む選択肢自体さえない私たちにとって、ならば一体どうしたらいいんでしょうね。


みなさんはいかがお考えでしょうか?