民主主義に絶望することはないこともない

どちらかというとそれを運用できない自分たち自身に絶望しそうですよね、なお話。システムが悪いのか運用者が悪いのか?



http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34699

 物事を成し遂げる中国の能力は、関心と羨望を引き起こしたが、多くの国民が中国の政治体制の採用を要求している国を挙げようとしても、なかなか思いつかない。どれほど債務負担に苦しみ、機能不全に陥っているように見えても、世界の民主主義国はまだグローバルな美人コンテストに勝っているのだ。

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このFTさんちの記事もなんだかんだと色々書いておきながら、やっぱり最後にはチャーチル先生の有名な民主主義についてのお言葉である「最悪の制度だが、これまであった他の全てに較べればまだマシだ」という結論に至っているのは、なんというか苦笑いするしかありませんよね。さすが過ぎます。


ともあれ、結局のところ、私たちが(教育水準などの点から)より進歩していけば――上記記事で言及されているように中国やロシアやイランなどで――民主主義を求めるようになる、というのは間違っていないのでしょう。
しかしそんな『求める』ことと、それが『維持存続』できるか、ということはまた別の問題でもあるんですよね。故に私たちはその矛盾に苦しむことになるのかなぁと。

 中国の民主改革を強力に支持するあるリベラル派の学者は、最近、欧州の危機が民主主義の本質的な欠陥をはっきり示しているという意見を突きつけられることがよくあると話してくれた。欧州の政治家は持続不能な福祉手当で有権者を買収し、権力を手に入れたという主張だ。

 そして今、無理な手当の結果生じた経済危機に直面し、政治家は必要な改革を実行できずにいる。中国で民主主義を訴えようとする人間は一体、この批判にどう答えるのが最善なのか、と筆者は聞かれた。

 理路整然とした答えを出すのに苦労したことは認めざるを得ない。民主主義というものは、政治家に無理な約束をする気にさせ、難しい改革に挑むのを思いとどまらせるという意見には、一理あるからだ。ギリシャとイタリアでは、経済危機下にあって、選挙で選ばれた政治家の対応がお粗末すぎたため、一時的に選挙で選ばれていない実務家にすげ替えられた。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34699

かくしてフクヤマ先生が『歴史の終わり』で述べていたような「民主主義の広がりによって歴史が終わる」的な議論は、半分正解で半分間違っているというオチになるのだと思います。私たちはほとんど誰もが、最終的に民主主義を求めるようになるものの、しかしそれを長期間維持存続させていく為の能力があんまりない。システムが優れていることと、しかしそれを運用できるかはまた別の問題であるのだと。
そして世界はそれなりに成熟した民主主義故に苦しむヨーロッパやアメリカや日本と、そして民主主義を求める初期段階の国々、といった構図に分かれるのではないでしょうか。それは相矛盾するものでは決してなくて、どちらもまた真実の姿ではあるのかなぁと。


その維持存続に失敗する要因についてはまぁ色々言われたりしていますよね。かつてアリストテレス先生は古代ギリシャの民主主義政治の失敗を「中間層の崩壊」だと看破していたし、エマニュエル・トッド先生なんかは「初等教育(民主主義の渇望)から中等高等教育へと進むことによって民主主義は不安定化していく」なんて身も蓋もないことを述べていらっしゃいます*1
そのどちらにしても、所謂エリート層の台頭がやがて寡頭政治へと至る、なんて言われていたりするのでした。それこそかつての古代ギリシャの時と同様に。まぁそれがどこまで正しいかは僕にはわかりませんけど、しかしそれなりに賛成されるお話ではありそうですよね。


よく「腐敗しない権力はない」なんて言われたりしますけど、その意味で実は民主主義さえも同様なのかなぁと。長期間それを上手く機能させることができない私たち。
つまりそれは(間接的に)権力を持つ有権者たちさえも結局は腐敗してしまうから、なんてことを言うと各方面から怒られてしまいそうですけど。


*1:彼の著作である『経済幻想』に詳しい。