欲しがりません勝つまでは

確かにそれはある種の美しい(特に日本的な)決意なのかもしれませんよね。ちなみにその「勝つまで」が具体的にどういった状態になれば勝ったことになるかについてはよく伝わってこないんですけど。


電力需給:「節電」新料金で不足2.6%改善 関電提示− 毎日jp(毎日新聞)
なんというかものすごく盛り上がっていらっしゃる関西の電力危機について。
しかし以前の日記で、橋下さんは民主党の皆さんと違って『勝てそうな相手』にだけ的確にケンカを売っている辺り策士ですよね的なことを書いたんですけど今の状況を見ているとごめんなさいするしかありません。ごめんなさい。一体は彼は何と戦っているんだろうか。

 ◇「通報制度」など大阪府市独自策
 一方、大阪府市エネルギー戦略会議は15日、独自の節電策を提示した。照明が明るすぎるオフィスや店舗を住民が見つけて通報し、中小事業者に節電を促す「節電通報窓口」の設置や、真夏の午後に役所を閉めて節電するなど、家庭や事業者、官公庁などを対象に計約110万キロワットの節電を目指す。

電力需給:「節電」新料金で不足2.6%改善 関電提示− 毎日jp(毎日新聞)

ともあれ、まぁなんというか丁度70年経った2012年になってまでこうした「欲しがりません勝つまでは」とか「贅沢は敵だ」的なお言葉を見るとはまったく思いませんでした。現実って不思議でいっぱいです。
そんな彼らをただ簡単にバカにすることもできるんですけど、かつての大日本帝国からジハードに命を掛ける人まで、そんな彼らは『そこまでしても』勝ちたかったことを考えると、まぁ単純に端から見ている人がバカにするのはどうかなぁとは思う所ではあるんです。だって彼らはまさに本気で『そこまでしても』脱原発という目標を実現したいのでしょうし。それこそああした戦時標語を作ってまで勝ちたかった70年前の人びと同様に、彼らはどうしても勝ちたいのだと。
指をさしてバカにすることは出来ますけど、やっぱりそれは彼らの悲愴な決意でもあるわけだし。桜花とか回天とかを見ている気分に近い感。まぁやっぱりそれもバカだと一言で切り捨てる人も沢山いらっしゃるんでしょうけども。


なのでまぁ第三者である僕が言えるとしたら、そこで賛同しない人たちを「非国民だ!」とか「不心得者だ!」とか「異教徒だ!」とか言い出さなければいいですよね、という辺りで落ち着きます。もし居たらどうするんでしょうね? 努力目標としては幾らでも勝手に掲げればいいと思うんですけど、従わない人への扱いについて、むしろそっちの方が気になります。
がんばれ大阪の中の人。