誰にも永遠に生きる権利などない

この最後の一匹だったカメさんが遺した教訓としては実のところそういうお話じゃないのかなぁと。


ロンサム・ジョージが人類に遺した教訓 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
ということで最後のカメさんが亡くなってしまったそうで。ロンサム・ジョージとか名前かっこいい。しかしまぁ生存競争でヤギに負けた、と書かれると何だかアレな気持ちになってしまいますよね。某『東京ジャングル』だと超絶難易度になってしまいそうです。
こうしたお話を聞くと――よくある人間による大量乱獲と違って――ガラパゴス的な環境に生きる希少動物たちの保護については、その意味でまた色々違った議論になったりするのかと思ったりします。希少動物と違って害獣は一杯居るから限定的に絶滅してもかまわないのだ、と臆面もなく言い切ってしまう人たち。まぁ確かにそれは一つの考え方ではありますよね。一方の動物を守るためにもう一方の動物を駆除しようと。そんな人類の大義なんてものを振り回すくらいなら、個人的にはそれならまだ「観光資源になるから保護しよう」等の私的な理由の方が筋がいいんじゃないかと。
人間との生存競争ではなくて、ごく限られた環境依存でこそ生存できる動物たちを私たちはそれこそ「万物の霊長たる権威」をもってその保護に努める義務や資格があるのだろうか、なんて。

 1971年にロンサム・ジョージが発見されたとき、ガラパゴス国立公園の職員たちは大喜びした。ピンタゾウガメは既に絶滅したと思われていたからだ。彼らは何十年にもわたって近くの島のゾウガメとの交配を試みたがうまくいかなかった。

 繁殖が成功していれば、この種はまだ生き残っていたかもしれない。人類による保護の取り組みは時に絶滅の危機にある種の回復を助けることもある。だがロンサム・ジョージの例は、一度その数が危機的なレベルにまで減少した種の数を増やすのは容易ではないことを教えてくれる。

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それでも事実上の絶滅を40年『遅らせる』事ができたことについては、人間の成果といってはいいのではないでしょうか。日本のトキもそんな感じでしたしね。
偶に「人間が保護すべきだ」なんてものすごく上から目線で仰る人がいらっしゃいますけど、でも私たち人間を含め永遠に生きることを望む権利などどんな動物にもありはしないわけで。せいぜい私たちに出来るのはそれを遅らせることしか出来ない。上記記事にもあるように、「地球の歴史における六回目の大量絶滅時代かもしれない」なんて仰々しく仰っていますけど、それってつまり私たち人間が全く関知しないところで既に以前に五回も大量絶滅の時代が起こっているんだし。その結果として現在でも地球に生存しているのは、これまで生息してきた種の内の0.02%しか過ぎないんだから。
0.02%しか残っていないからこそ、私たちは弱肉強食の生存競争の原理をそんな自然動物においても否定すべきなのか? あるいは99%以上が死滅してきたからこそ、弱肉強食の生存競争の原理を自然動物においても容認すべきなのか?
このお話は結局こういうところに行き着くのかなぁと。



ともあれ、ただ人間の管理下において永遠に保護した気持ちになりたいだけなら、それこそDNAマップなりを採っておいて保存しておけばいいんじゃないでしょうか。それで実際の所何が保護できているのかよく解りませんけど。ただ何となく努力したったという私たち欲求が保護されているだけじゃないのかと。あるいはコレクター気質とか。