「政治的に説明責任の負わない軍事行動」の是非について

それでも現代アメリカ軍の最高司令官たちが目指してしまう場所。


http://www.cnn.co.jp/world/30007355.html
少し前のニュースではありますが、いやまぁ仰る事は確かにその通りなんですけどそれを言っちゃおしまいであります、なお話。ただやっぱりいよいよ煮詰ってきた(化学兵器云々とか)シリアにおいては、その可能性も出てきてしまった感があります。

(CNN) シリア反体制派でつくる有力連合組織「シリア国民評議会」のアブドルバセト・シーダ議長は15日に放送されたCNNの番組で、オバマ米大統領はシリア問題への対応を強化すべきだと訴え、「正しい判断」を下すことによる大統領選への影響を心配している姿勢は受け入れがたいと述べた。

シーダ議長はインタビューの中で、「米国と西側諸国が(国連)安全保障理事会を通じて責任を果たし、政権による国民の殺害をやめさせる決議の採択に尽力することを望む」と訴えた。

特にオバマ大統領に対しては、「(大統領)選挙の日を待って正しい判断を下すという姿勢はシリア国民にとって受け入れがたい。超大国が、大統領の再選をかけた選挙を理由に何万人というシリア国民の殺害を見て見ぬふりをするとは、我々には理解できない」と力を込めた。

http://www.cnn.co.jp/world/30007355.html

そこを身も蓋もなく言ってしまうと「国民世論なんて無視してさっさと行動してくれ」とほぼ同義なわけで。特にブッシュさんなんてイラクでそれに近いことをやってしまったばかりに、世界中からバカにされるようになってしまったというのに。で、ある面ではとても現実的・ドライなオバマさんにそれが出来るかというとやっぱりそんなことはないだろうなぁと。理想に殉じようとする正義バカだからこそ、踏み込める領域というのはやっぱりあるわけだし。
こんなことならオバマさんじゃなくてマケインさんを押しとけば良かったのにね。でもそんなことはアメリカ世論が許さなかった。


ともあれ、上記リンク先のお言葉はやっぱり一つの真理ではありますよね。彼ら政治家は政治家である以上、選挙期間になるとそのリソースの大部分をそれに振り向けることになる。アメリカだけでなく民主国家の避けようのない宿痾ですらあります。
そしてだからこそ、現代アメリカ大統領の皆様が――クリントンさんもブッシュさんもオバマさんも――結果として似たような場所に立つことになるのでしょう。彼らは本能的に『使いやすい』軍事力を望もうとする。
ミサイルだったり、『軽い』軍隊だったり、そして無人機だったり。つまり、国民世論や選挙といった説明責任を経なくても使える軍隊こそを。
もちろんそうした構図こそが結果として「政治的に説明責任の負わない軍事行動」の温床ともなってしまうわけです。しかしかつての大戦期にあった総力戦なんて最早時代遅れでもあるんですよね。現代の軍事行動において0か100かなんてありえない。
完全に国民世論だけを頼りに――例えば今回のシリアのような場所への介入をしようと思えばそれはもうハードルが高いわけで。おそらく真正面に聞いたらそれこそ絶対に無理なんじゃないでしょうか。


その意味で、有権者達が「無関心なまま」でいられる限定的な軍事行動、というのは実は政治家たちにしても国民の側にしても都合のいい選択肢ではあるのでしょう。
かくしてアメリカ大統領のみなさまは、それぞれのやり方で、そんな国民の関心を呼ばない程度の軍事力行使のやり方を追及する。より使いやすい『軍隊』を求める人たち。そしてまぁ、しばしば、そのせいで失敗したりもすると。
でもそれってやっぱり世界平和において必要悪だったりするのかなぁと現状のシリアのことを考えると思ったりします。まぁもちろんそれでもけしからんと怒る人は一杯いるんでしょうけども。しかしそれ無しでやっていくのも――現状の国連の惨状を見る限り――無理なのかなぁと。