ファイアーエムブレムの同性婚問題をクリアする為のマジレスを考える

一応全作プレイしているダメエンブレマーが考える解答キーワードとしては『子供キャラ設定の原型権(造語)』及び『開発リソース』という辺りではないでしょうか。


「『ファイアーエムブレム 覚醒』ではドラゴンもペガサスもOK、でも同性婚はできない」海外から批判 - みやきち日記
なるほどなぁと。ファイアーアムブレムにおいて同性婚ができなく怒る人たち。まぁそう声を上げる方がいらっしゃること自体は理解できます。ゲーム脳の僕としてはどう見ても「結婚=繁殖の隠語」なんですけど。ただそれをあからさまに言えないから『結婚』という言葉になっているだけ。
ともあれ、そもそも子供が同性間で産めるのか云々に関しては言われているようにまぁ「奇跡も魔法もあるんだよ」方式で適当に回避すればいい――当然それに納得しない人は居るでしょう――としても、しかし肝心のゲームバランス上のことを考えると色々難しいのかなぁと。政治的正しさを優先してゲームバランスが崩壊したらまぁなんというか本末転倒なのだろうし。結局は楽しく遊べてこそのゲームなわけで。よく批判されながらも売れまくるGTA等々の例のように、トレードオフになったらそりゃそっちを優先するのは当然じゃないでしょうか。


実際、この作品で同性婚が導入されなかったのは、身も蓋もなく純粋に(その元ネタとなる『聖戦』も『覚醒』もプレイした人間からすると)ゲームシステム上から避けられない仕様、ではあるんですよね。
――何故か?
つまり、ファイアーエムブレムにおけるこの親から子供への継承システムは『母親』の数を制限することによって、生まれる子供の数を制限しているわけであります。その制限がなければ子供世代のキャラを理論上は親の数だけ増やせてしまう。だからその子供の容姿等については基本的には全てカップリングがどうであろうと「誰が母親か*1」という点で紐づけられていて、それによって、無数の子供キャラが誕生することによる容量(それに掛かるリソース)の膨張とゲームバランスが崩壊してしまうことを抑制しているわけであります。
同時にまた、子供キャラの原型である女性を固定した上で、男性の方を敢えて余らせることで制限された選択の余地(故のゲーム的な面白さ)を生んでいる。だからどちらにしても基本的にファイアーエムブレムを普通にプレイした場合、絶対に男が余る。もし今のまま『同性婚』を導入すると、つまり事実上余った男たちの酒池肉林と化し残った男たちはアーッ。


もし同性婚を導入した上で、この問題をクリアしようとするならば、まずは女性側に独占されている『子供キャラ設定の原型権(造語)』を男性にも与える所からでしょう。それによって上記ゲームバランス上の欠陥を回避しつつ同性婚を実現できる。
ただ、そうすると必然的にその『原型権』のバラマキは、やっぱり子供キャラ設定の決定的な増大(しかも使われるとは限らない)を生み出してしまうんですが。
まぁもちろん身も蓋もなくシステム的に「子供ができるのは○○組のカップルまで」なんて制限してしまえばいいのでしょうけど、それはそれで寒いとする人も多いでしょう。あるいは同性婚しか出来ないキャラとか、……なんかこれはこれで荒れそうな気がしますけど。
ただでさえ「個別のキャラ会話が少ない!けしからん!」なんて怒られてしまう昨今のFE事情において、その決定的なリソース増加――しかもその大半は見られる事がない――を開発側が好むのかと言うと、それはないのかなぁと。実際、『覚醒』では結婚相手に「異性相手でさえ」それぞれ選ぶ相手に制限があったわけで(事実上結婚相手に制限がないのはマイユニットだけだった)、彼らがそのリソースの増大を嫌ったのはほとんど明白ではないでしょうか。
ユーザーの側にしても覚醒の批判として、(特に子供世代の)キャラの絡みが薄い、という批判はおそらく同性婚への不満以上に大きかったですよね。


結局のところこの問題は、イデオロギーがどうこうというよりは、まずはそういう点に行き着くのでしょう。開発リソースの問題。
構図的には「ゲームが短すぎる!」とか「キャラの掛け合いが少なすぎる!」とか「何で世界的な大都市という設定なのにこれだけしか人間が描写されていないんだ!」とかと同じ所にあるのです。時間とお金が足りない以上、そうする以外に選択肢がない。特に最近のゲームが売れなくなっていると叫ばれる昨今においてはより低コストを求められてしまうのは当然でしょう。
これがファイアーエムブレムではなく、スパロボのようなゲームだったらそうしたことを無視して導入していたかもしれません(あ、ちなみに僕はスパロボもFEと同じくらい好きです)。しかしむしろ丁寧なキャラ描写や緻密な戦略が要求され期待されるファイアーエムブレム「だからこそ」同性婚による開発リソースの増大が受け入れにくいんじゃないのかと。


ということで、もし『同性婚』が受け入れられなくてお怒りの方はこうしたリソースの問題を解決する為の「冴えたやり方」こそを提案しなければいけないのではないかと思う次第であります。おそらくそこをクリアしない限りこの問題は、そもそも問題として、取り上げられることはないんじゃないでしょうか。「そうは言っても開発費が……」と返されたら何も言えないように。
ぶっちゃけお金を任天堂様に寄付しまくるのが最も早いんじゃないかと言ってしまってはアレですけど。
100人のキャラクターを出してひぃひぃ言っている所に「足りないから200人にしろ!」と言われても、そもそもリソースが足りない。だからといって「(同性婚のために)元の100人を50:50に分けて売ろう!」とやってもまぁ個人的には、現在のゲーム市場の要請からいっても、万人を納得させる為の大作ゲームというよりは個別のニッチなマーケットを狙ったゲームの方が企画が通りやすいのではないかと思うので、同性婚と異性婚が同居したゲームなんかよりは、それぞれ別個の独立したゲームとしてやっていく方が、少なくとも現段階では、お互い幸せなんじゃないかと思います。
それこそ未だ恋愛ゲームなんかに――それぞれに合わせた個別はあっても――両用のゲームがほとんど出ていないように。
今の現状ってつまり、同性婚の為にボリュームアップするのではなく、同性婚を導入する為に異性婚のボリュームを半分以下にしました、とやるしかないわけだから。まぁそれで売り上げが上がるならそうすればいいんじゃないでしょうか。もし上がるにも関わらず、延々と異性婚にこだわり続けていたらその時こそ、彼らの誠実さを疑うべきでしょう。
で、しかし今はそういう現状ではないというだけ。
政治的な正しさの為に「もっと売れなくてもいいから、○○なゲームを作れ!」と彼らに要求するのは(もちろんそう言うのは個人の自由ですけど)あまり筋がよろしくないのではないかなぁと。そんなこと言ったら僕も言いたいこといっぱいあります。ベルウィックサーガの続きとか、オウガバトルサーガの続きとか。……うわー売れなさそー。




追記0804

えーと、この日記は元ネタ様の日記のタイトルにもあるように『何故「ドラゴン」や「ペガサス」との結婚はOKなのに、「同性」は無理なのか?』――ということを文字通りそのまま捉えた上で『何故プレイヤー側に(同性相手を選ぶ)選択の自由がないのか』という議論であると個人的には考えております。プレイヤー側の選ぶ楽しみがなくなっている、ということこそが主題であると。そしてつまり上記見方をすると「対象として(ドラゴンやペガサスは許されても)同性をも含めると(選択の自由があり過ぎて)相手が膨大になってしまうから」との解答になるしかない。
なので問題は、現実における同性婚問題に一部近い構図でもある『選択の自由が阻害されていること』だと僕は思っています。この最初の見方からお互いにズレてしまうと延々と平行線になってしまうのではないでしょうか? 


もちろんこの問題を、なぜファイアーエムブレムに「ゲイ/レズビアン」なカップルを(いつものように)もっと明示的に登場させないのか、という議論であるとすれば当然「はじめから同性カップルを用意すればいい」という回答はかなり正解に近いのではないかと僕も思います。もしそれで解決する問題であれば結構楽にいけるだろうということは同意します。



結局、無限になど用意できるはずもないリソースという前提で、制限された自由の中での優先順位――ゲーム的な面白さを追及しつつ一体どこから切り捨てていくのか? とした場合にそれが同性婚という身も蓋もないお話だった、ということだと僕は認識しています。故にそうしたカップリングはゲーム根幹に関わる継承システム上の面白さを両立することが難しいとして、用意されなかった。もし元ネタの海外の人がその優先順位そのものがけしからんと怒る人であれば、うん、まぁ、それはゴメンナサイするしかありません。
もちろん僕はこのゲームの開発側の人間なんかでは当然ないのでこうしたお話は全て個人的見解及び妄想であり、おそらく実態に則しておりません。ただ(過去の歴史を見る限りそこまで彼ら自身も嫌いではないのだろうし)ぶっちゃけそういう投入リソースの優先順位の結果であって、今回も潤沢に資金と時間があれば解決した問題だったかも、とやっぱり思っています。
これまでと同様にそれを入れて「そんな余計なことするよりももっと他にやることあっただろう!」と多くの人に怒られるよりは、一部のファンからの反発を覚悟ではじめからカットしてしまった人たち。集大成と謳いつつの今回『覚醒』のなんだか微妙な出来は、そうしたことを考えると個人的にはものすごく頷いてしまうお話であります。

*1:ちなみに主人公キャラは伝統的に例外扱いされています。