「ザ・玉石混交」な人たち

上から下まで大変そうです。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35873
「〜ない」ってタイトルだと途端にラノベっぽくなる不思議。俺のインドが中国においつけないはずがない。

 だが、インドは、バンガロールにいる政府の閣僚たちが、カンナダ語という現地の言葉ではなく英語で教える学校を激しく非難する一方で、自分たちの子供を英語で教える学校に入れている国だ。

 一方、デリーは、世界で最もぬるま湯につかった首都であるように見える。インドは火星探査衛星の打ち上げを試みなければならないと決意している人たちが植民地風の巨大な邸宅に住む一方、筆者がデリー西部で訪ねた公立学校の少年たちは、薄汚い部屋の埃だらけの絨毯の上に座っていた。制度を動かす人たちは本当に、別世界に住んでいるのだ。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35873

ともあれ、やっぱりインドさんがずっと抱え続ける課題はそうした超『格差社会』なのはやっぱり間違いないでしょう。まぁ人大杉ですしね。ていうかガンジーさんの時代から一周回って、その格差社会のありかたがまんまかつての大英帝国と植民地な感じになりつつあるのが、笑っていいやら悲しんでいいやらであります。実際あれはあれでやっぱり「効率的」ではあったんでしょうとか言うと怒られてしまいそうですけども。


さて置き、やっぱりこうしたインドの悲劇は勿論下層を引き上げられないことが原因の一つなんでしょうけども、しかし同時にまた上が「優秀すぎる」というインドの宿命ではあるのかなぁと。
インドは超大国になるのか? - himaginary’s diary
以前上記お話を見ていても思ったんですけど、やっぱりインドにおいて彼ら一部のエリートたちが優秀すぎることこそが、その理想が完璧に出来すぎて実体に追いつけないことの理由の一つではないかと思ったりします。もしその理想が下手なデキであればもっと先に気付けたかもしれないのに。それこそかつてインドが計画経済へと走ってしまった理由として「インドの不幸は優れた経済学者がいたことだ」なんて皮肉られてしまったり、あるいは上記リンク先で「一流の憲法、三流の民主主義」なんていわれてしまうように。
(その人的資源を除いて)基本的に「持たざる国」だったインドがその優秀な人材を使ってなんとかしようと、頑張れば頑張るほど、しかしその理想は現実から乖離していってしまう構図。彼らの抱える問題はあまりにも重大だからこそ努力せずにはいられない、そして重大すぎる問題故に大抵その努力は空回ってしまう。いやぁ悲しいお話であります。
その意味ではやっぱりインドの歩みにとって「適切なスピード」こそが求められているんでしょうけど、それってまぁ民主主義政治にとってものすごく厳しい要請ですよね。もしインドが中国のような政治体制だったら。


がんばれインド。