「それを捨てるなんてとんでもない!」しか選べない私たち

かくして間違っている可能性が高いとしても『大衆政治』しか選択肢がない人びとのお話。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36044
身も蓋もない言い方をすると、民主主義政治って効率性を犠牲にした上で正統性を確保している、という面があったりするんですよね。だから本質的にはそれは非効率的であるし、まともにやればやるほど時間が無駄に掛かるものなんです。むしろそこではその「無駄な」時間こそに意味があったするわけで。「議論は尽くされ熟議となった」という大義名分こそが。
まぁそれでやっていけたならば問題はなかったんですよ。その民主主義政治が必然的に陥る鈍行っぷりに世界の変化のスピードも許容範囲であったならば。しかしそうはなくなりつつあると。
だからこのお話の行き着く所って、現状の政治に対する反発から『強いリーダーシップ』に素朴な憧れを抱いてしまう私たち日本人ではありますけども、しかしそれってやっぱり実際にやってみれば民主主義政治ににおける手続きがすっ飛ばされるということでしかない。私たちはそれを何処まで許容できるか? どちらにしても「スピード感のある政治」と「民主主義政治の否定」はかなりの部分表裏一体であって、一方を採ればもう一方が損なわれるのは確実なのであります。


クルーグマン先生の有名なジョークの一つとして「我々は(失われた10年の対応の拙さを批判していたことに対して)天皇にお詫びしたい」というものがありますけども、やっぱりそういうことなんだと思うんですよね。危機の原因と対策は解っているにもかかわらず、彼らにはそう行動する事ができなかった。かつての日本と同じ地点に立たされた時、あの時の日本以上に何も出来なくなっている現状について。

■最近、日銀の白川総裁は自信を持って金融政策を語っているように見えますが、あなたの発言を聞けばさらに自信を持つでしょうね。

だけど、彼は誤解してるのかしれない。だって、私は今でも日銀は間違ってると言ってるんですよ。その謝罪を私なりに言うと、「オッケー、我々はやっと政治的、知的に正しいことをすることがどんなに難しいことか分かりましたよ。今になって、我々はあなた方がやってきたことと同じ間違いをしているのが分かる。理解できるどころじゃなくね。それは許容範囲なんだろう」

でも、それが正しかったと言う意味じゃない。日本は今でも必要なことがある――つまり、今起こっていることは、我々が日本の失敗を複製していると言うこと、日本は正しくないのに、結果として同じ間違いをしてると言うことです。

http://econdays.net/?p=7050

政治的な束縛によって全く動けない私たち。(それなりに正しいと解っている)解答が存在する、という点がこうした構図の救いようのなさっぷりを余計に強調していますよね。せめて何も知らなければ幸せだったのに。


悲しいことに、研究の積み重ねによって専門性が上がった結果、民主主義政治のスピードに致命的に足を引っ張られるようになってしまった財政政策。 
案の一つとしては(金融政策を独立した中央銀行に委託したように)独立させてしまえばいいというものがありますけども、しかし現状の世界中の経済危機が証明しているようにそれだってやっぱり政治の影響は受けずにはいられない訳であります。そもそも、私たちの日々の生活に直結するそれを、完全に民主主義政治から切り離すことができるのかというと……、まぁ多分無理だろうなぁと。だってその元となる資本というのは究極的には私たちの税金なんだから。その使い道にまったく声を上げられないとなれば、それは近代以降獲得したはずの民主主義という理念の完全な否定にまで至ってしまいます。「代表なくして課税なし」なんて。あまりにも根幹部分にあり過ぎて切り離すことが出来ない財政問題
ならば一体どうすればいいのでしょうね?
このままの現状を続けていけば、その必要な政策と現実に出来る政策との致命的なギャップがより大きくなっていくのは確実であります。私たちはより一分一秒を争う世界で生きていかなくてはいけないにもかかわらず、しかしその最終の意思決定を担うべき民主主義政治のプロセスはまったく進歩していない。だってそれが進歩するということは、効率性を犠牲にするのをやめて、政治的な正統性を犠牲にするということなんだから。ていうか現状のトレードオフってむしろより後者を重視することで遅くなってもいますよね。
まぁその意味では、今の経済危機の問題ってやっぱりどこまでいっても政治システムの問題でもあるんだろうなぁと思います。それこそ、かつてソ連が世界経済の変化に政治がついていけずについには崩壊したように。今のユーロ危機が、どこまでいっても政治統合の欠陥に行き当たってしまうように。私たち日本やアメリカが、危機に際して適切なタイミングで政治が動くことがまったくの夢物語になっているように。


がんばれ頭の良い誰か。