南北戦争前夜に似た何か

2002~3年の欧州憲法制定の為のコンベンションとその紛糾っぷりを、1787年アメリカ合衆国憲法草案の紛糾となぞらえて称える言説(「故にこれは重大な歴史の一歩なのだ」)は結構あったりしましたけども、その後の合衆国が辿った展開まで真似しなくても良かったのにね。二つの合衆国が辿る同じ道。奴隷制度と政治的恩顧主義と。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36089
ということで欧州連合の夢の前に立ち塞がり続ける古くて新しい難題であります。これまでは国家主権と呼ばれていた権限をいかにして分割するのか? 欧州連合の運営に際してどこまで民主主義を導入するのか?
まぁぶっちゃけた話、そうした根源的な問題はこれまで棚上げにされてきたわけですよね。それこそ、かつての南北戦争前にあった奴隷制度をめぐる議論のように。
ただ、やっぱりそうした妥協的な態度は「必要悪」でもあったわけです。その合意できない問題をどこまでも追及し続けてしまったら、最終的に行き着くのは破綻しかない。先送りといえばまったくその通りですが、かつてのアメリカではそんな曖昧な状況にあったところに「白黒決着つけようじゃないか」とあのリンカーンさんが登場し見事に内戦に突入してしまったのでした。まぁ多分に結果論ではありますけども、既に死につつあった奴隷制度に白黒つけようとしたせいで、良かれと思ってやった事があの悲惨な内戦を招いてしまった。


翻って、現在のユーロの中の人たちはそうした歴史を知ってか知らずか――まぁほぼ確実に知っているでしょう――なんとかして先延ばしの努力を続けている。でも仕方ないよね、だって結論を出してしまったら、みんな死ぬしかないんだから。結論を出さないからこそ、欧州連合及びユーロについての民主主義の瑕疵を無視したままでいるからこそ、現状は維持できているんだから。
ユーロ分割案なんてことも言われていたりしますけど、そんなことをやってしまったらカンザスネブラスカの二の舞になることは確実であります。しかしもしそれを有権者が求めてしまったら? 彼らのそうした「妥協」の努力は皮肉にも目覚めた有権者たちによって突き崩されつつあるのでした。

 だが実際のところ、ユーロ圏の危機によって欧州の政治は国境線に沿う形で分裂しつつある。イタリアとスペインでは今、ドイツの傲慢かつ自己中心的な政策と見なされているものに対抗する――そして国内の左派政党と右派政党を団結させる――国全体の総意に近いものができている。

 ところがそのドイツでは、南欧を救済するなら緊縮財政の実行を条件にしなければならないとの見方が左派と右派の間でコンセンサスになっているのだ。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36089

ともあれ、まぁ救いなのはそんな風に決定的に対立が深まったとしても、そもそも彼らにはそんな『内戦』をやるほどのモチベーションなんてない点でしょう。きっと粛々とただ元の状況に戻るだけ。そんな内戦にさえならない程度の彼らの欧州の一体性へのモチベーションの不在こそが、逆説的に、今の状況を端的に示しているとも言えてしまうのが悲しいお話ではあります。どこまでいっても他人だからこそ、内戦にさえならない。
でも戻ったら戻ったでまた大陸の覇者たるドイツをどうするかという伝統的議論に舞い戻ってしまうんですけど。


欧州連合の父たちが夢見た「ヨーロッパの平和と繁栄」について。前者は比較的平坦に達成できたけども、しかし後者は……難しかったよね、と思わざるをえません。平和と繁栄、どちらか一方だけでは満足できずに、両方同時に求めてしまう私たちが欲深いといってしまっては身も蓋もありませんけど。
平和だけでも繁栄だけでも生きていけないめんどくさい私たち。今のユーロをめぐる騒動はそうしたことを教えてくれているんじゃないかと思ったりします。