彼らのあるべき国家指導者像

とにもかくにも一貫はしていて少しうらやましくなってしまうお話。


Xbox 360 ゲーマー 3 万人中 72 % が無人機でのテロ容疑者攻撃を承認 | スラド
なにか微妙に斜め上の方向に話がいってしまっている気がするので少しだけ。

月曜にオバマロムニーによる最後の大統領候補討論会が行われた。この討論会を Xbox 360 コンソール上で見ている視聴者にはライブ投票に参加する機会が与えられた。質問内容は「(政府が) テロ容疑者を無人機で攻撃することを許可しますか?」だった。こうした質問が行われた背景として、オバマ大統領が「テロとの戦い」に対し、無人機での運用・対策に力を入れていることにある。この質問対して回答者の 72 % が「はい (攻撃に賛成)」、20 % が「いいえ (攻撃に反対)」、8 % が「分かりません」という答えを出した。なおアンケートの参加者は 3 万人以上と見られている (FaceThePolitics.com の記事、本家 /. 記事より) 。

米国メディアではこの結果は意外なものと受け取られているようだ。先日、パキスタンに対する無人機の空爆で死傷した 50 人のうち、武装組織のメンバーはわずか 1 人。残りは全て罪のない民間人であることが明らかになったばかりだからだ。これ一度きりの事件ではなく、パキスタンの部族地域では、この 8 年間で少なくとも 345 回にわたるアメリカの無人機の攻撃を受けているという。またパキスタン内で、6〜7 日に無人機での攻撃中止を訴えるデモ行進が行われるなど、反米デモの要因となっている (イランラジオ日本語の記事、CNN.co.jp の記事) 。

米国内では平均的な Xbox 360 のプレイヤーはこうした事件を知らないのか、それともゲームプレイでの爆撃に慣れてこうした現実に目に行かなくなったのか、というよくあるゲーム脳的な議論に発展しているようだ。

Xbox 360 ゲーマー 3 万人中 72 % が無人機でのテロ容疑者攻撃を承認 | スラド

まぁ「ゲーム脳」うんぬんはさて置くとして。
結局のところ、このお話が問うているのは回答者自身の道徳観や倫理観なんかではなくて、「米国大統領が無人機攻撃という選択肢を含めることを容認するか?」なんじゃないかと思うんですよね。文字通りあるべき国家指導者の姿として。その意味では、やっぱり無人機攻撃の誤爆率が云々だとか――もちろんそれはまた別の話として重要な話ではありますけど――あまり本旨には関係ないお話だよなぁと。
そもそも、ミクロな個人的な道徳倫理とマクロな共同体指導者のそれはそれぞれ別なものであるわけです。
よく言われる例だと、私たち個人の倫理観で言えば「汝殺すなかれ」は最前提の制約であるものの、しかし国家指導者にとってはそうではないのだと。彼らは国民全体の保護の為にそれを脅かす者がいれば敢えて決断する必要がある。それは多数の生命や財産を保護する義務のある立場としては当然のお話であります。
絶対平和主義者を友人にするのはいいでしょう。しかし、そんな人を国家の指導者に選びたいのかというと、やっぱり別問題なのです。


といってもこの辺の割り切りは私たち日本人が苦手な分野でもあります。国家の指導者になぜか「庶民感覚を解っていて欲しい」というモノをランキングの最上位にあげてしまう。そりゃもちろん全くないよりはあった方がいいのは当然であります。権力者にとっての個人的な道徳や倫理観が、権力行使の暴走を防ぐ為の最後のブレーキとなる、というお話は結構言われているお話だったりするわけで。しかしそれよりもっと重要なものがあるでしょうに。なぜかそこに無二の資質を見出そうとしてしまう私たち。
つまり、この辺のお話が突きつけているのは、国民性そのものの差異というよりはむしろ「求めている指導者像」の違い、なのでしょう。彼らはいざとなれば無人機で攻撃を許可するような毅然とした大統領こそを望んでいる。確かにそれはアメリカの歴史を考えるとやっぱり人気のある姿なのだろうなぁと。更にはそれはどちらかといえば世界では多数派のポジションでもあります。戦わなければ生き残れない。翻って日本はそうではない、だって代わりの誰かが手を汚してくれるから。

米国内では平均的な Xbox 360 のプレイヤーはこうした事件を知らないのか、それともゲームプレイでの爆撃に慣れてこうした現実に目に行かなくなったのか、というよくあるゲーム脳的な議論に発展しているようだ。

Xbox 360 ゲーマー 3 万人中 72 % が無人機でのテロ容疑者攻撃を承認 | スラド

――そんな風に考えると、この最後の一文は意図しているのかしていないのか、深読みするとまぁものすごく皮肉なお言葉ではありますよね。
どちらが正しいのかどうかはさて置くとしても、しかし国家指導者に求めるべきある種のビジョンが定まっている(ように見える)のはうらやましいお話ではあるかなぁと少し思います。直接選挙のメリットの一つ。