「中絶は殺人である」という紙一重過ぎるドグマ

「人間はどの段階から人間たりうるのか?」という、私たちが出来れば避けて通りたい難問について。


「ハリケーンも神のご意思」「レイプで妊娠した命も神の御業」に・・・その宗教内部からどう反論するのか? - QUIET & COLORFUL PLACE- AT I, D.
そういえばgryphon先生の記事を見て「レイプというおぞましい状況から始まった命ですら、神のお導きである」という、いつもの選挙前のアメリカさんちらしいニュースがあったのを思い出しました。すぐに言及すると何かメンドくさいことになりそうだったので当初はスルーしてそして忘れ去っていましたが、今なら適当なことを言っても許されそうなので以下適当なお話。
ロムニー氏また逆風、共和党議員候補が「レイプによる妊娠も神の意図」と発言 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News
米共和党の議員候補が問題発言、「レイプでの妊娠も神のお導き」| ワールド| Reuters
別に自分は共和党支持者というわけでも、ついでに中絶反対派でもないんですが、最初に聞いた時ぶっちゃけこの発言が何で問題になっているかよくわからなかったんですよね。
中絶是非という議論において「レイプというおぞましい状況から始まった命ですら、神のお導きである」というのは、まぁ彼ら中絶反対派の皆様の論理――胎児であろうとそれは人間である以上『子殺し』である、というポジションそのものの再説明でしかないよなぁと。完全な自由意志を持つ――故に神への『愛』を試されている――人間だからこそ矛盾した『悪』の存在理由について悩み答えを出さなければいけないのだ、と2000年近く苦しみ続ける彼らキリスト教周辺のお疲れ様な人たち。


ちなみにAFPさんの方の記事だと、

「この問題については長らく悩んできたが、命とは神からの贈り物なのだと悟った。そして、たとえレイプという痛ましい状況で命が生まれたとしても、それは神がそう起きるよう意図したものなのだと私は考えている」

ロムニー氏また逆風、共和党議員候補が「レイプによる妊娠も神の意図」と発言 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News

確かにこの言い方だと「レイプが神の御意思である」と誤解されても仕方のない面はあると思います。そりゃ「。」で区切ったらそうなるよなぁと。
その一方でロイターさんの方だと、

「長い間、中絶に関して答えを見いだせないでいたが、命は神からの贈り物であり、レイプというおぞましい状況から始まった命ですら、神のお導きであるという考えに至った」

米共和党の議員候補が問題発言、「レイプでの妊娠も神のお導き」| ワールド| Reuters

という風に訳されているんですよね。こちらは一文で纏めている。
「(レイプで始まったとしても)生命というのはやはり神の御意思である」僕が最初に読み取ったのはこちらだったのでいまいち問題が伝わらなかったのでしょう。その「神の御意思」は何処に掛かるのか。まぁ日本語でもよくある展開です。エイゴッテムズカシイヨネ。
ということで――AFPさんちが殊更に米民主党寄りだとか、あるいはロイターさんちが殊更に米共和党寄りとまで言う気はありませんが――やっぱりまぁこの辺は多分にニュアンスの問題であって、選挙前の揚げ足取り合戦の一環なんだろうなぁと思ってたらやっぱりその通りだったので以下略。
いやまぁこのファッキン議員がこのファッキン忙しい時期にファッキンな発言をしやがった迂闊なファッキン野郎――とロムニーさん辺りはは思ってそう――だという点には同意するしかありませんが。


ともあれ、中絶に反対する宗教的なポジションからこうした発言をするのは、やはり別にそこまで問題視されることでもないんじゃないかと。
もちろん最初にも書いたように僕は現代日本に生きるゆとりなオッサンではありますので、中絶は当然あるべき権利であると思っています。しかしそうした反対派の論理を全く理解できなくもないわけで。その意味でこうやって意見が割れるのはある種の健全性の発露じゃないのかと。
フランスでは中絶費用が無料。15歳から18歳へのピル配布も無料。: 極東ブログ
個人的にはむしろ完全に割り切っているフランスさんちの方がビビります。中絶無料にピル無料配布て。それなんてエロゲ。さすが元祖『共和国』たるフランスは一味違いますよね。で、その一方でもう一つの元祖『共和国』のアメリカの姿があったりすると。

  • 「中絶は実質的な子殺しである」という彼ら宗教保守派の主張に対して、私たちは一体どのような反論をすればいいのか?
    • 「胎児は人間じゃない」と身も蓋もなく言い切ってしまえばいいのか?
    • では一体いつから胎児は人間の権利を獲得するのか?


「まだ人間じゃない」
「じゃあ、いつから人間?」


僕がこの問題に関して積極的に口を開くことができないのは、こうした問題へのきちんとした解答を用意できないからでもあります。だけど母親たる女性の権利を考えると中絶は容認するしかない。じゃあその『殺される胎児』に何も人権はないのかというと……うん、えーと、ノーコメントで。助けてサンデルえもーん!!!(でもやっぱり助けてくれない*1
上記フランスのようにそれは個人の権利であり社会や国家が介入すべき問題ではない、と言い切ることもできるでしょう。ただ、そうするとその解決できない道徳的なジレンマをほとんど一方的に妊娠した女性に押し付けてしまうことになるんですよね。確かにそれは美しき選択の自由の権利ではあります。しかしそれは言い換えるとつまり母親には自分の胎児への文字通り「生殺与奪のライセンスがある」ということになってしまうわけで。ほんとフランスさんちはこの問題を一体どう考えているんだろうか。
まぁ私たち大多数の日本人が普段やっているように、完全に『効率』だけを考えて余計な蛇足のお話なんて全て無視すればいいというのがおそらく最適解ではあるのでしょう。(より声の大きな)一方の権利を守るために(より声の小さな)もう一方の権利については見なかったことにする。いやぁ素晴らしきオトナの対応でありますよね。
ともあれ、以前の日記で書いた気もしますけど、こうした点を克服できない限り完全な『男女平等の社会』とか絶対無理だよなぁと素朴に思ってしまいます。あまりにもその身体的・精神的・社会的負担(といっては怒られそうですけど)が大きすぎてそのバランスを取るのが難しすぎます。単純に「それに見合うだけの積極的差別を女性側にやればいい」とやってそれを男性側の皆さんを納得させる事なんて絶対に無理でしょうし。その辺は完全に人工的な代理母システムによる出産が多数派になれば解決すると思うので、はやく未来になーれ♪、ということで一つ。まさかのドロシーオチ。


みなさんはいかがお考えでしょうか?







よだん「愉快なアメリカさんち」

余談ではありますが、だからこそアメリカさんちで見られるこうした中絶是非を巡る議論は色々とユニークで個人的にすごく面白いなぁと思うんですよね。
昨日の日記「神への祈りと天罰」のお話でも少し思っていたんですが、こうした構図って先進国の中でもアメリカさんちはかなり特有だよなぁと。もちろん日本ではさっぱり見られないし、それは同様にかなりの部分まで無宗教化が進んだヨーロッパでもほとんど見られない、宗教と社会と道徳と国家がそれはもうごっちゃごちゃになっているお話。
『先進国』で且つ『宗教大国』たるアメリカだからこそ異様に盛り上がってしまう議論。大統領選挙における恒例のテーマ。
しかしこの辺は世界規模で『宗教の役割の大きさ』を見るとおそらく私たち――上述の日本やヨーロッパ、そして中国も――の方が少数派であって、むしろアメリカのような構図の方が多数派なのでしょう。だからこそとても面白いお話であります。なのでうちの日記では油断するとアメリカさんちネタばかりになってしまうんですけど。

*1:『これから「正義」の話をしよう』P323~