(政治的リスクな意味で)もっと世界の果てへ

前回『野蛮人』に対抗するたったひとつのさえたやり方 - maukitiの日記に引き続きアルジェリアさんちのお話。というかむしろこっちが書きたかった本題。エネルギー資源を求めて世界の果てまで飛んでゆけ。


北アフリカ一帯、特に今回の事件でクローズアップされた現代アルジェリアを取り巻く複雑怪奇な状況について。日本語の解説記事として解りやすかったのはこの辺りでしょうか。
アルジェリア事件「武装勢力」を追い詰めた「利権構造の破壊」:白戸圭一 | アフリカの部屋 | 新潮社 Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト
アルジェリアは何故強硬策に出たのか? - Market Hack
ともあれ、今回の事件で示唆されたのは結局のところ、こうした危険が前提とされる場所へも「解った上で」乗り込まなくてはいけない時代である、ということなんだろうなぁと。こうしてその紛争に巻き込まれたのは決して偶然ではなくて、ある意味で必然の結果なのだと。私たちはそうしたリスクを理解した上で尚、その世界の果てへと乗り込まなくてはならなっている。


その埋蔵量の天井は一帯何処にあるのか? ――所謂『ピークオイル』説に与するのかどうかは別として、しかしどちらにしても明確に解りきったこの事実があるわけですよね。
つまり、私たちは原油にしろガスにしろ、最早手近な所では掘りつくしてしまった以上、今後も益々「世界の極地」へとそれら資源を求めて旅をしなくてはならなくなっているのだと。それは自然環境という意味でもそうだし、そして紛争や独裁やテロなどの政治的リスクという意味でも、私たちはより「危険」な場所へそれを探しにいかなければならない。
『石油最後の1バレル』という本の中でその著者は、その光景を19世紀後半にあった「近海での鯨を獲り尽くしたアメリカは、鯨油確保の為に世界中の海へと旅立たねばならなくなった」絵と重ね合わせています。かくして彼らは、当時欧米諸国にとっての「世界の果て」の一つでもあった日本にまで、黒船までも持ち出して捕鯨基地を求めるようになったのだと。


もちろんこれは日本だけではなく、現代の先進各国が抱える共通の問題でもあるわけです。故にアメリカはペルシャ湾の支配権を手放さないし、中国はカネに糸目をつけずに世界中で権益を買い漁っているし、そしてフランス(ヨーロッパ)はリビアに引き続き今回のマリについてもその情勢を無視するわけにはいかない。
日本でも「シーレーン防衛」という概念はかなり一般的になってきましたけど、その更に一歩先にはこうした光景が広がっているんですよね。つまりエネルギー安全保障の名の下に、その政治的リスクをバランスしようと、他国へ政治的に介入しようとする人びと。油にしろ、ガスにしろ、そしてウランにしろ問題の基本構造は変わらないわけですが、しかし例えば原子力なんかを止めてより一つのエネルギー源に偏らせるという事は、必然的にその「万が一」のリスクを高めることになる。
では、その時、私たち日本は現在のフランスやあるいはアメリカのような覚悟を持てるのか?
その意味では、この問題を別の角度から根本的に解決しようとした『MOX燃料』には個人的にまだ期待したい所ではあるんですよね。再生エネルギーなんかよりも近い未来として。そのバカ高い開発研究費やあるいは放射性廃棄物の危険性なんかが批判されますけども、実際上記のような危機の際に掛かる費用及び政治的リスクと較べてどちらがマシか、というのは一概に答えを出せない問題でもあると思うわけで。それこそ世界にある種の平和をもたらす新技術の一つだと期待しているんですけども、まぁやっぱりこんなことを書くと怒られそうであります。


さて置き、少し前から話題の『シェール革命』はこうした視点から見ても、また革命的なわけですよね。
つまり、もしアメリカやカナダから輸入する事ができれば、その政治的リスクをほとんどゼロにできる。今回のアルジェリアの事態を見ると、その選択肢はとても魅力的です。現在でさえ頻発しているパイプラインや関連施設への攻撃は、おそらく今後も益々増加していくことでしょう。しかしその一方で、私たちは資源を求めてそうした紛争地域ギリギリの所にまで――世界の果てにまで、益々手を伸ばさなくてはいけなくなっている。
エネルギー安全保障について。増大する政治的リスクに、私たちはどのように対抗するのか。
今回の事件は、多分に巻き込まれたとはいえ、やはりそうしたことを改めて考えさせる良い契機となったのではないかなぁと。以前の日記あなたのその電力は血の輝き - maukitiの日記でも書きましたけども、結局どの選択肢を選ぼうと「人が死ぬ」という点では違いはないのだから。


みなさんはいかがお考えでしょうか?