せめて、人間らしく

法王の人間宣言


ローマ法王が高齢を理由に退位を表明 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News
ということでローマ法王が自発的に退位、という700年ぶりの珍事だそうで。僕も教皇ってやめられるんだなぁと驚いた一人であります。カリスマと名高かった前任者の威光と、そして騒動続きだった自身の任期と合わせて、やはり色々苦労人なのだろうなぁという印象。
http://www.worldtimes.co.jp/news/world/kiji/130212-204401.html
学者法王の8年間とその「試練」 : ウィーン発 『コンフィデンシャル』
その辺りの騒動については、こちらが解りやすかったので参考に。人生の集大成でもあった本を書き上げたこと、次期法王選出の準備を進めていたこと、そして元々学者肌で保守派な彼にとっては厳しい逆風(バチリークスや聖職者の性犯罪問題)など、元々そういう退位に向けた動き自体は水面下であったそうで。
生まれる時代を間違えてしまった人、という感じなのでしょうか。生命倫理や宗教対話そして組織改革など、常識とされる価値観が常に挑戦を受ける時代なわけだし。


先日もオランダで退位があった時も思いましたが、しかしまぁ個人的にはとても現代の「人間らしい」お話なのではないかと思うんです。だってその死ぬ直前まで現役である『終身制』なんて現代社会においてはまったく一般的ではないわけで。
多く場合『終身制』というのは身も蓋もなく言えば、そもそも権力闘争・政治的対立を避ける為こそに、用いられてきたわけです。ただでさえ騒乱の引き金となりかねない継承問題を、出来るだけシンプルにする為にこそ。しかし少なくと民主主義政治が一般化した先進国にあっては、無数の市民の監視という要素によって、そうしたことが起きる可能性は限りなく小さいと言っても構わないでしょう。むしろ逆に、医療が進歩した現代においては、『終身制』はより色々とめんどくさい事になってしまうことの方が予想できてしまいます。
だったら、さっさと辞めたほうが良いというのは、少なくとも短期的には正しい選択なのでしょう。
――その『終身制』という制度(個人を捨てた奉仕)が支えてきたカリスマ性に与える長期的な影響、と言われると色々困ってしまいますが。やっぱりそういう面はあるのでしょうし。
翻ってこの辺りの問題は、私たち日本の天皇家でも他人事ではなく、実は似たような問題があったりするのだろうなぁと。しかし半ば当事者として天皇生前退位云々をするととてもめんどくさいことになりそうなので以下略。


ともあれ、そんな保守派な彼こそが「ただの人間がするように」終身制を諦め退位してみせた、というのは皮肉なお話だなぁと。