『諸国民の春』にあって、『アラブの春』になかったもの

その両者の結末を左右する大事なピースの有無。もし可能であるならば、それを用意することは許されるのか?



ということでちょくちょく書いてきている『アラブの春』についての個人的で適当な概観。かつてのヨーロッパでは成功したものの、しかし現代アラブの彼らが失敗した要因について。
真に必要な人たちだからこそ届かない民主化 - maukitiの日記
端的に言ってそれは彼らの共闘が崩れてしまったことにあるわけですよね。共通の敵――諸悪の根源とした独裁者――が居なくなってしまったことで、内部分裂する多様な利益を目指す人びと。そんな多様な人たちだからこそ民主主義が必要だったのに、そんな多様性があるからこそ失敗している。当初から『アラブの春』について懐疑的だった人たちが指摘していたように、まぁ大変よくあるパターンではあります。
リベラルな民主主義を目指す勢力と、宗教勢力と、そして軍部。
ザ・三つ巴。


ただ、それこそ元祖『春』と冠されていた19世紀後半からの『諸国民の春』を経験したヨーロッパにしても、その民主主義体制への移行期には彼らも、現在の『アラブの春』と似たような構図と展開を経験していたわけです。リベラルな民主主義を推し進めようとする人びとにとってはやっぱり(弱体化しつつあったとはいえ)キリスト教勢力が邪魔だったし、逆に教会勢力にとってはそうした伝統的価値観を覆す勢力は天敵だったし、軍部にとってはコスモポリタンな革命を夢見る社会主義者勢力を敵視していた。
現在の『アラブの春』と負けず劣らずバラバラだった彼ら。ちなみに今回の場合では、軍部が敵視する世界労働者革命を夢見る社会主義者たちがほぼ居ないので、大抵どこの国でも軍人たちは比較的様子見しているのでまだマシと言えるのかもしれません。
さて置き、ここで本題。ではあの時、ヨーロッパの彼らはどうやって現在のような(多様性故の)膠着状態を打破したのか?
――といえば、それはもう身も蓋もなく「新たな共通の敵」を設定することで彼らはその停滞を打破したのであります。国内的にはユダヤ人を、そして国外には外敵を。


人種差別と戦争を煽ることで、彼らは再び団結した。


元々民主主義を目指す人々にとってユダヤ人は唾棄すべき金権体制の権化であったし、またヨーロッパの宗教勢力=キリスト教にとってユダヤ人はそれこそ伝統的な迫害すべき対象でありましたし、そして軍部にとってはコスモポリタンな異邦人として警戒すべき存在でした。
かくして彼らは、もっとも都合の良い――国家の総意として、国内的には反ユダヤ主義を煽ることで、ついでに国外には外部の敵国家の侵略的な策謀を強調し、そうして二つの『共通の敵』を再び用意することでもう一度一致団結して一つの国民国家としてのスタートを切ることが可能となったのです。
先駆者たるヨーロッパの人びとが辿り着いた結論。人種差別と戦争。まぁまったくバカげたお話ではありますよね。だってその新たな二つの『共通の敵』が最終的に、あのユダヤ人の大量虐殺と二度の世界大戦へと帰結したのだから。でもまぁ私たち日本だってかなり似たような事情だったのであまり笑えませんが。
かくして、ある意味で『アラブの春』の人たちは、1848年のヨーロッパよりもずっと難しい立場に置かれている。だってその特効薬=新たな共通の敵として創造された、人種差別も戦争も、どちらも封印されているのだから。封印されていること自体は当時よりもずっと進歩的となった証ではありますよね。しかしその進歩性故に彼らは次のステージへ進めないまま停滞してしまう。
かつてのヨーロッパ諸国がたどり着いていた究極的解決方法を使えない、あるいは使うことが(その欧米諸国によって)許されない現在の彼ら。
いやぁ一体どうしたらいいのでしょうね?
だから私たちは彼らをまったく笑えないと思うんです。だって先駆者たる私たちはそれを現在では「許されない」手法で強引に乗り越えてきたのだから。


ともあれ、ここで重大な難問があるのです。私たちは事実上そうした「新たな共通の敵」を設定することでそれを実現した。では、それ以外に民主主義と国民統合を進めることが出来るのか?
――そう言われると非情に困ってしまうんですよね。だってそんなもの思いつけないから。当然、私たちと同じようなやり方で『新たな敵』を生み出せばいいなんてこともとても言えるわけがない。かといって、それナシに先へ進めることができるなんて具体的な代替案なし無責任なことも言うことができない。
もしかたら、人種差別と戦争以外に、何か別の解答があるかもしれない。
でも、ないかもしれない。



『諸国民の春』のその後にはあって、『アラブの春』のその後にはありそうにないもの。
みなさんはいかがお考えでしょうか?